• 締切済み

ローマカトリックのキリスト理解について教えてください。

http://forum.hangame.co.jp/thread/read.nhn?threadno=87077 http://forum.hangame.co.jp/thread/read.nhn?threadno=87862 >イエスは神ではありません。 >ローマンカトリックでは規定の内容です。 >預言者で聖者でしかありません。 >カトリック教徒にとっては、イエスは預言者のうちの一人かつ聖者。 >プロテスタント教徒の半分がイエスを神とみなし、残りの半分は神の子として扱う。 >私はローマンカトリックなので、イエスは、聖者であり、預言者である。 これは本当ですか?

みんなの回答

  • SOLAR_RAY
  • ベストアンサー率21% (12/56)
回答No.6

「ローマカトリック」の代表者がここに現れるまで待つか、手紙を出しましょう。メールでも受け付けてくれるかもしれません。

  • SOLAR_RAY
  • ベストアンサー率21% (12/56)
回答No.5

ローマカトリックのキリスト理解について教えてください。 α.ローマカトリックの人が教えれば、納得するのですか...

kirsi_tan
質問者

補足

ローマカトリックのキリスト理解では 「イエスは 神ではない キリストでもない ただの預言者で ただの聖者」なのかどうか 教えてください

  • nacam
  • ベストアンサー率36% (1238/3398)
回答No.4

カトリックにおいては、三位一体(三位同体)の考え方をします。 つまり、「父と子と聖霊は一体(同体)であり、見え方が異なるだけである。」としています。 質問者が引用しているところの回答者の回答は、完全な誤りです。 プロテスタントでは、そのへんをあいまいにしています。 それは、カトリックが唱えるニケーア信条と、プロテスタントの唱える信徒信条の差にもなっています。 一方ロシア正教やギリシャ正教は、カトリックとは異なり、イエスは神性を帯びた人間としています。 この立場は、単性派であるコプト教やエチオピア教会などもそれに近い立場をとります。

  • kigurumi
  • ベストアンサー率35% (988/2761)
回答No.3

基本的にイエスを神の代理者とみなすことで成り立っていると思います。 例え信者がイエスを一番に思っていないとしても。 例えばヨハネ・パウロ氏が暗殺されたとき、「マリアが守ってくれた」と発言しました。 重症を負いましたが、マリアは超能力で弾を逸らせて急所に命中させることを防いだが、もし神だったら、当たらないようにできたんじゃないか と。 それどころか「何故 私の邪魔をする」とか現れて犯人に説教して犯行を未然に防げたのかもしれませんね。 ということは、神はなんにもしないが、マリアはちょっとはやるというのが、パウロ2世の認識だったんじゃないか と。 で、ペテロ伝説の元は、ペテロあるいはぺテルリーベルというローマ神話。 ミトラ教のペテルパトルムpater patrum(父の中の父)と同一の神で、その名前が転訛してpapaパパとなった。 さらに転訛して教皇popeとなった。 エトリアル時代(紀元前4世紀)にvatisと呼ばれる信託を告げる祭司たちの名をとって、バチカンという地名が生じたが、その頃からパテルリーベルは、バチカン神殿の地下の一室にあり、「岩」であり「父」である存在 すなわち男根柱とされていた。 この男根柱崇拝は、ローマ帝国後期の数世紀から中世を通じ、バチカン丘に置かれていた。 この男根柱がキリスト教の十字架。 アーサー王伝説で、誰も抜けない岩につきささった剣を抜いたものが とありますが、岩が膣でそれに突き刺さっている剣がペニス。 つまり 岩とそれに突き刺さった剣ってのは、性交を表しているわけです。 で、剣ってのがペニスですので、教皇の紋章は二本の鍵が交差しているようになっているが、タマタマなわけです。 で、要するに神をタマタマというかペニスとしているのは、紀元前からのミトラ教の神を崇拝しているから。 ミトラは太陽崇拝ですので、太陽を神格化しており、だから、太陽の出が一番短かかった12月25日を神の誕生日ってしているわけです。 その日が一番北半球では日の出が短く、そこから太陽はまた日の出が長くなるので、太陽が復活するって意味。 でも復活祭はイースター すなわち春分点までは祝われない。 春分点以降 太陽が出ている昼間が長くなるので、昼が夜に勝ったってなり、春分点に太陽の復活祭を祝うわけです。 ということで、その太陽の具象化を人物化した小説が新約聖書であり、その太陽信仰がローマカトリック。 ミトラ教の概念をひきついでいるので、キリスト教の出現にミトラ教が滅ぼされたわけではなく、ミトラ教がキリスト教になったってだけ。

kirsi_tan
質問者

補足

ローマカトリックのキリスト理解について教えてください。

  • SOLAR_RAY
  • ベストアンサー率21% (12/56)
回答No.2

>カトリックの見解のほうが妥当であると見てよいでしょう。 ◇これは、 >カトリック教徒にとっては、イエスは預言者のうちの一人かつ聖者。 >プロテスタント教徒の半分がイエスを神とみなし、残りの半分は神の子として扱う。  これらの文章が本当だとした場合の話です、しかし「現実世界への影響力を与えるためにキリストが出現した」と考えれば、プロテスタントの見解も解らなくもありません。

  • SOLAR_RAY
  • ベストアンサー率21% (12/56)
回答No.1

 人の子は、人ではないのでしょうか  例えば、親が60歳であり、その子が30歳だとして、実務能力や対人関係などにおける社会的影響力はどちらが上でしょうか。もちろん、年の功による、形而上的、抽象的なことを考えることでの精神的影響力は親のほうが優れているかもしれません。しかし、どちらが上でも下でも、偉いわけでもありません。  親と子どちらが優れているとか、偉いということでもありません。  人の子は人であり、神の子は神です。  ということで、カトリックの見解のほうが妥当であると見てよいでしょう。

kirsi_tan
質問者

補足

ローマカトリックのキリスト理解について教えてください。

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