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英語の教育に熱心なのに、国語力には無頓着
こんにちは。日本人は英語の教育や学習に熱心な人が多いですが、国語力の欠如のために思うような成果が挙げられないケースが少なくないようです。 (1)小学生にNHKの基礎英語を聞かせたが、文法の説明がよく理解できなかったり、漢字が読めなくて つまずいてしまった。 (2)小学生に英検を受けさせたが、英語は理解できるのに日本語の説明文が読めないために不合格になった。 (3)小学校のうちから英語を習い、中学校では英語が得意だったが、 高校の英語の長文が理解できなくなった。 (4)仕事でちょっとした英文の翻訳を頼まれたが、英文の意味は理解できても 訳が下手で誤字脱字もあり 恥を書いた。 そこで質問ですが、日本人はどうして英語にはあんなに熱心なのに、 国語力には無頓着な人が多いんでしょうか?
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- easter-egg
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#1です。 何度もすみません。 質問者さまの問いかけの意図が高度で、自分には十分それを理解できていないのかも・・・と危惧しつつ、思ったことを再度書き込ませていただきますね。 たとえば英検。 普通に英語が理解できて、listeningもwritingもできる小学生。 この子に「『スクール』のスペルは?」あるいはschoolという表記を見せて「何て読むの?」と問いかければ、その子は難なく答えるでしょう。 でも例えば英検で 「次の中から「学校」を意味する言葉の正しいスペルのものを一つ選べ」といった問題が出てそこにschool、skhool,skuool,..等記載があったら・・・ 子供は混乱します。まず、なぜ敢えてとんちんかんなスペルをそこで目にしなければならないかが理解できない。schoolならschoolと回答用紙に書けばいいだけじゃないか、と。これが子供の思考回路です。 これは「問題を読解する国語力」ではなく「ペーパー試験のテクニック」であり「馴れ」が要求されるものです。 いくら国語力があり難しい本を読みこなせる子供でも、こういう試験問題に回答する訓練を受けていない子は、こういう問題は解けない。 そしてそれらは、試験を受ける為にのみ必要な能力であり、実社会を生き抜くための能力ではない。よって親は、必要に迫られない限り、子供にそういう教育(訓練)をしようとは思わないでしょう。 そのため、その小学生にはそういうペーパー問題を回答する「能力」がなかった。 (余談ですが中学受験などは、私はこの典型だと思いますよ。知的能力や学力を問われるのでなく、ペーパー試験をこなすための訓練をどれだけ受けてきたか、で評価が決まるものだ、と) 英検の問題が解けない=国語教育の遅れ とは言えないと思うのですが、いかがでしょうか。 ,
- multi_pon
- ベストアンサー率40% (240/589)
おっしゃりたいことはよくわかるのですが、 挙げていただいたケースは問題とはちょっと違うと思います。 1,2については対象が中学生や高校生以上なのですから「文法」というものの 理解がまず難しいですし、説明文が読めないことは国語力の問題ではなく まだ習っていない・その年齢に達していないことが問題です。 例えば易しい英語で書かれた説明文での英語のテストなら合格する可能性も ありますよね。 3 について、長文が読めるかどうかというのも国語力ではないですね。 英語の長文が理解できることとそれを日本語におきかえることは別ものです。 また、受験用の英語だとわかりにくく、会話では使わないような表現が あるかもしれません。 4 意味が理解できても訳が出来ない。これは訓練が必要です。 私は英語の本を読んだり、多少の会話は出来ますが訳せと言われても できません。日本語におきかえて理解しているわけではないからです。 これも国語力の問題ではなくそういう訓練をしないと出来ないのです。 誤字脱字については国語力の問題もあるかもしれません。またコンピュータに 習熟してないのかもしれません。 日本語と英語は異なる言語ですので、専門家でなければ英語は英語のまま理解すればよいと思います。 しかしながら外国語は母語を超えることはないとも言われます。 それは言語レベルではなくて思考レベルのことなのだと思います。 大人になって外国語を学んでほとんどネィティブに近いレベルの人もいますよね。 でもその人が非常に幼稚なことしか考えなければ英語に堪能でも幼稚な話題しか 出来ないわけです。 日本語教育の最終目標は高度な思考力の育成でしょうね。 漢字が書けても自分の意見ひとつ言えないようでは困りますし、立派な意見を 文法に沿って文章という形に表せないのも困ります。 確かに現代日本人の日本語力は若干低下しているようにも見えますが、 英語を含む外国語に一生懸命な人ほど日本語にも気を使うようになるというのもあると思います。
補足
回答ありがとうございます。 multi_ponさんは英語とスペイン語に嗜みのある方だと存じております。 >説明文が読めないことは国語力の問題ではなく まだ習っていない・その年齢に達していないことが問題です。 私、つくづく思うんですが、国語力が弱い為に英語が苦手な人も 口を揃えて、「自分は英語が出来なくて...」と言うんですよね。例えば 英単語の暗記に追われている人の中には acceptという単語には「受領する」と「受諾する」の両方の意味があるけど、両方覚えるべきかとか。これは英語よりも日本語の類義語の使い分けの問題になりますよね。あと、これは 外国語のカテでも度々登場している ウベドブレ・イグリエガ・ウノさんが難色を示している学習法ですが、例えば 英語を介してまた別の外国語を学習するのは非常に効率が悪いそうなのです。 でも、その方法に大きなメリットを見出している人もおりますが、 その違いが英語力の差でなかったら何が違うんでしょうかね? >長文が読めるかどうかというのも国語力ではないですね。 いや、抽象的な概念を理解する力というのも、国語の学習によって育成されるので 日本語におきかえようがおきかえまいが、やはり国語力に負う部分が大きいのでは? >日本語と英語は異なる言語ですので、専門家でなければ英語は英語のまま理解すればよいと思います。 いや、どっぷり日本の英語教育で育った人は、英語は英語のまま理解する方が難しいと思いますよ。ウベドブレ・イグリエガ・ウノさんがその典型だと思います。 >しかしながら外国語は母語を超えることはないとも言われます。 普通はそうでしょうけど、インド人やフィリピン人のインテリなんかは 抽象的な概念とかは英語でないと表現できないそうです。母語には それを表現する単語がないんだそうです。
- mi_p
- ベストアンサー率18% (17/93)
付け加えです。 英語のほうが日本語よりも優先と考える理由は明白です。 英語は世界共通語と言われるくらい英語がわかればいろいろな国の人の文化や意見や思考を自由自在に交換することができます。 日本語は日本国以外で殆ど通じません。 海外の人たちとコミュニケーションはできません。海外の人に日本の文化を伝えることも難しいです。ということで視野が日本に限定されるため狭くなります。
お礼
すみません。質問の趣旨をご理解いただけていないようです。
- kaz-a
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いずれも国語力の問題ではないでしょう。 1)どんな国の子どもでも、そもそも母国語の文法について教わりながら習熟したわけではありません。よって英語学習の前に文法のついての説明をする必要があるでしょう。 漢字が読めない問題については、元々中学生向けの素材を使用するのに振り仮名をふるなどの配慮を怠った指導者の手落ちでしょう。 すなわちカリキュラムの組み方がまずいのであって国語力の問題ではありません。 2)これは1)の内容によるものでしょう。 特に英会話から入るカリキュラムが多い子供向け講座と英検は相性が悪いと思います。 3)高校英語というよりも受験英語では? 受験英語は受験者を振り落とすための試験ですから、趣味的に難解な問題が出るものであり、それに応じた訓練が必要です。 このような問題を海外からの留学生に見てもらったことがありますが、はっきりと「わざと意味を取りにくくしている悪文による悪問だ」と指摘されたことがあります。 4)これは仕事そのものに慣れていないためでしょう。 仕事で使う文章はある程度定型化されていますから、そういった文章を書くことそのものに慣れていればそうおかしな文章にはならないはずです。そういったことになるような人は一から同じような文章を日本語で書かせても同じように恥をかくでしょう。
補足
微妙に視点が逸れた回答をされていますが、折角ですのでレスを致します。 >いずれも国語力の問題ではないでしょう。 それでは何の問題になるんでしょうか? >よって英語学習の前に文法のついての説明をする必要があるでしょう。 どんな説明でしょう?中学生でさえ英文法の説明に辟易する生徒が少なくないのに、小学生に教えたら尚更チンプンカンプンになるのでは? >漢字が読めない問題については、元々中学生向けの素材を使用するのに振り仮名をふるなどの配慮を怠った指導者の手落ちでしょう。 問題のポイントを取り違えていらっしゃるようです。ここでは指導者の配慮に関しては問題にしていません。 >特に英会話から入るカリキュラムが多い子供向け講座と英検は相性が悪いと思います。 小学生向けには児童英検というものがあるんですが、背伸びして一般の英検を子供に受けさせる親御さんもいらっしゃるようです。 >受験英語は受験者を振り落とすための試験ですから、趣味的に難解な問題が出るものであり、それに応じた訓練が必要です。 それはもちろんそうですが、国語力が弱い為に「それに応じた訓練」にスムーズに取り掛かれない生徒も少なくないようです。 >そういったことになるような人は一から同じような文章を日本語で書かせても同じように恥をかくでしょう。 結局 国語力の問題になるのでは? ただ私が疑問に思うのは、子供に英語の学習を先取りさせるのは 誰に言われてするわけでもなく、親御さんが自発的に行うものですよね。そして、このカテでも「お子さんを語学が得意するには、英語よりも先ずは日本語を先取りさせるのが効果的だ」という回答がありました。その回答者自身、そのような教育を受け、英語だけでなく中国語やフランス語話せるそうです。 そこで振り返って考えると、子供に英語を習わせるのは、他の子供を差を付けたいという気持ちも多分にあるはずです。しかし、そういう親御さんで「先ずは日本語を先取りさせるべきだ。」というアドバイスに耳を傾ける人は少ないでしょう。なぜなら、日本語は誰でも黙っていても日常生活に不自由しない程度にはマスターできるし、日本語を先取りして子供に教えたこところで、他の子供と比べて特に目立った優越感は得られません。それにこう反論するでしょう。「そんなものいずれ学校で習うのに、何で今のうちに教える必要があるの?」 しかし、英語の場合は今のうちから少し教えておこうとする親御さんが多いですね。
- easter-egg
- ベストアンサー率23% (3/13)
#1です。 すみません。 launch→lunchのスペルミスです。 偉そうな持論を展開しておきながら、お恥ずかしい限りです。 お礼もいただいているようですが、すみません、取り急ぎ訂正のみ。
- bakansky
- ベストアンサー率48% (3506/7250)
漢字検定がはやったりする現状を見ると、英語ばかりに熱心なわけではないような気もします。 日本語は、とりあえず日常生活に困らない程度には使えるし、日本で生活しているのだから、何とかなる。そういう意識はあります(私の場合ですが)。 英語は、とにかく科目に入っているし、努力して覚えないと、何が何やら分らない。だから、どうしても意識的に学習努力をする。 学校での国語という科目が、あまりに退屈である。その退屈でつまらないというイメージが、ずっと後を引いて、何を改めて国語の学習なんてことを言い出すんだ、こちとら子供じゃないんだぜ、となる。 明治維新以来、外国かぶれが多い。新奇なものに注意を魅かれる。それが外国の文化への興味となり、敗戦後は特に米国の勢力下にあるわけであるから(いまだに半占領状態)、英語への傾斜傾向は、それほど不自然ではない。 でも、それ以前の日本人が、特に日本語(国語)を意識的に学んでいたかどうかという点も疑問がある。「読む」学習は、基本の仮名を覚えた後は、漢文を読み下すことが学習で、やはり外国の文章であった。 結局、「日本人であるからには、日本語はできて当り前」という意識があるのだと思います。
お礼
回答ありがとうございます。
- mi_p
- ベストアンサー率18% (17/93)
言葉はやはりその国のほかの文化に影響するものでしょう。 その国の文化に魅力がなければその国の言葉も習いたいとは思いませんよね。 私は英語圏の文化のほうが日本の文化よりも好きです。 その理由はアメリカとかは男性の公共のマナーが日本よりも良いからです。(詳しいことは私自身gooで問題寄稿しています。私が女性だからかもしれませんが。)
補足
回答ありがとうございます。
おっしゃっていることは理解できるつもりです。 翻訳の上手下手でなくて、何語かに関わらず、「文章読解力」だとか何とかが足りないから、「英語でも長文が読めない」という場合がある、ということですよね。 英語をやるにも国語力が大事だと感じたことのある人が少ないからなのかもしれません。 日本語力が、というより、「文字で表記されている文章を読み取って理解する力」だとか、「頭の中の考えを整理して、文字を用いて文章に表す力」とかではないかと思いますが・・・・。 もちろん、読み書きだけでなく、スピーキングも同じだと思いますが・・・・。
お礼
回答ありがとうございます。
- easter-egg
- ベストアンサー率23% (3/13)
(1)(2) どちらも中学生以上を対象にしているものと思われます。そもそも小学生に理解できる言葉で記述しているものではないと思います。 (4) 「英語が原文のまま読めて理解出来る」ことと「きちんとした日本語に訳せる」ことは、全く別の能力だと思います。後者には後者なりの「訓練」が必要でしょう。 日本の生活圏内での英語力を評価するときにはこの後者の力を問われますが、英語圏で英語に囲まれて暮らす中において、「日本語に訳せる」能力は、全く不必要と言えると思いますよ。 今、小学生で行われ始めている英語教育は、「日本語」⇔「英語」の相互変換をしうる能力ではなく、英語を英語として理解し、その国の文化慣習に関心を持つ、ということではないでしょうか。 アメリカの小学校のschool launchは、あくまでschool launchであって「給食」では無い。根ざす文化が違いますから。 これをわざと日本文化の「給食」という言語にあてはめることこそ、他国文化を無視したごり押しだと、私は思っています。 でも日本でこれをschool launchと称すると「給食でしょ」「わざわざ英語で言うな」という横やりが入るんです・・・・・・。
お礼
回答ありがとうございます。 >どちらも中学生以上を対象にしているものと思われます。そもそも小学生に理解できる言葉で記述しているものではないと思います。 すみません、これは既に暗黙に示唆していることであり、もっと根本的に突っ込んで考察して欲しかったのですが... でも、子供に英才教育を受けさせている人は、国語から先取りしてどんどん教えているので、そういう問題もクリアしていますけどね。
お礼
再度回答ありがとうございます。 >「次の中から「学校」を意味する言葉の正しいスペルのものを一つ選べ」といった問題が出てそこにschool、skhool,skuool,..等記載があったら・・・ 英検はそんな問題は出てこないと思いますが、いずれにせよ、ペーパー試験のテクニックは要求されますが、それ以前に国語力がまだ不足しているケースも少なくないようです。ただ、私の知る限りでは、英検に落ちた小学生は「否定文」が読めなかったそうです。ですから、 「次の文を否定文にしなさい」という問題が解けなかったそうです。