- ベストアンサー
漢字と仮名のバランスについて
こんにちわ☆ 文章を書くときの漢字、かなの配合のバランスのようなものが気になります。こちらのカテで回答される方々はそれぞれに文章の表記についても一家言お持ちかと思い、質問してみることにしました。 わたしはこちらのサイトに投稿するようになってから、じぶんが書く文章の漢字、かなのバランスというのが気になり始めました。本をよむことは好きですので、よく図書館から借りてきてよみますが、最近の作家の方の文章をよむと比較的かなを多用される傾向がつよいように感じます。わたし自身もそれになれてしまったのか、そういった文章をよみやすいと感じるようになりました。 一方でわたしは内田百閒のファンでもありますので、折にふれて全集から好みの一冊をとりだしてよんだりもしますが、最初ページをひらいたときなど、あまりに漢字が多いので一瞬めまいがします^^:。(すぐに慣れますが) 文学史的な知識については、せいぜいが中高生のレベルにも満たない程度のものしかありませんが、かな文学の系統をたどると、単純に漢字(漢文)=男性的、かな=女性的というようなイメージも持ってしまいます。なので女性であるわたしが、かなを多用する文章により親しみやすいのもそのためかな?などとも考えます。 少し質問の論点がぼやけてきたような気がします。まず、みなさまが感じる漢字、かなのバランス感覚についてのご意見を伺いたいと思います。つぎに、ご自身がこういったことに配慮されているとしたら、どういったバランスで文章をお作りになるのか、その実例を回答文としてご紹介いただければ、と思います。よろしくお願いいたします。 ※この質問文はわたし自身がここちよいと感じるバランスで表記してあります。
- みんなの回答 (6)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
名前は忘れましたが、ある有名な著作者(思想家だったかもしれない)が、「漢字をやたらに使ったり難解な文章を書こうとするのは、教条主義者か自分を知的だと勘違いしているヤツだ!」と書いておられました。本当の物書きなら、「伝えたくてしょうがない」から「誰でも理解できる文章を心がける」とも書いておられました。 また、別の日本語研究者の方が、「日本語は漢字の裏打ちがあって成立する言語だ」とも書いておられました。つまり、同音異義語があまりに多いため、話ししているときでも、漢字を当てはめながら同音異義をふりわけし理解している、ということらしいです。 同時に、(だからこそ)文章にするとダブルミーニングを意図的に仕込むことができて面白い言語である。とも書かれておられました。 以来、上記の内容は、私が文章を書くときの指針としていることで、なるべく平板に、意味が通る場合はなるべく漢字を使わないように(しかし同時に誤読もされないように)しています。 ただ、漢字とひらがなのバランスもむずかしいのですが、句読点の打ち方もむずかしいですね。ていねいな文章をこころがけると、どうしても文末にひらがなが多くなってしまいますし、同じ1文にどれだけの内容を詰め込むかも難しいです。 こども向けなら、1文中1の意味になるように心がけますし、高度な内容なら、ずらずら書くこともあります。 -以上- いつもより、漢字とひらがなの分量に気をつけて、書いてみました。しいて言えば、流し読みでも頭に入る文章をこころがけている、というスタイルでしょうか。
その他の回答 (5)
- trgovec
- ベストアンサー率52% (2538/4879)
まず何よりも考えなければならないのは「何のための文章であるか」ということです。漢字についての考えはここのNo.2(http://oshiete1.goo.ne.jp/qa5088238.html)に書いてありますが、常用漢字の範囲内に収めることです(固有名詞や、熟語の中の一つだけが仮名になりそうな場合は除く、あるいは状況で判断する)。 一応の基準は新聞や評論文で、現代のものです。 こういうところに書く文章や報告書のようなものは個性のないものであるべきと考えていて(内容は別です)、そのため普通と違う漢字の使用や漢字の使い過ぎはするべきではないと考えます。一方で文芸や、極端な例ですが匿名掲示板の書き込みで個性を出すことは結構と思います。影響を受けた作家の真似をしたり、スラングを多用するのは否定しません。 (余談ですが、Wikipedia は全体的に漢字の使い過ぎで、公共性のあるものという意識が希薄に思えます。あそこに記事を書く人の多くは文章自体をあまり読んだことがないのか、偏った文ばかり読んでいるのか、仮名漢字変換に任せきりで無頓着なのかと勘ぐってしまいます。)
お礼
ご回答ありがとうございます。 「何のための文章であるか」と言われれば、「ヒマツブシのお遊びサイトへの落書き」などという身も蓋もないことばが頭に浮かんできますが、どうせ楽しむのなら少しコダワリも持ってみようか、というスタンスかもしれません。 でもこちらに投稿してあらためて思いましたが、漢字かなまじりができる日本語っていいですね。なんだか柔軟性があって、それでいて奥深さがあって。alphabetのお国ではどうなんでしょうか? Oh,Romeo,Romeo,wherefore art thou Romeo?なんて文章を読むと漢字だらけみたいに感じるんでしょうかね?
- LN-TF
- ベストアンサー率53% (320/596)
#4です。 お断りしたように今回は態と「少し漢字を多めにしてあります」 「ヴァランス」は特に意味はありません。実は他にも「様」を「やう」としたりしていたのを訂したのですが、訂正漏れです。余計の御気を使わせたやうで申し訳ありません。 訂正序に、弓形括弧と書きましたが、楔形括弧の方が適切でしたので訂正しておきます。弓形括弧は{}の方が適切です。 実は、丸谷才一氏の文章を読んで触発される処があり、漢字を多めにする以外に、字体に問題があると思ふものも当用体を使わないでいます。パソコンの場合は変換の関係で徹底はしていませんが。(ここでの回答には普段は控え目にしています)例えば「訣」とか「截」などです。 記者は、御推察の如く、男性です。 記者は通俗小説の古い処では黒岩涙香を二三冊と保篠龍緒を数冊読んで居ますのでその影響は否定できません。 男女の差よりこのようの経験や好みほ方が割合は大きいでしょう。
お礼
わたしの質問の件、了解いたしました。 やはり読書経験から影響をうける、ということは大いにありそうですね。わたしにもたしかに好みの作家の文体というようなものはありそうですが、もともと自分に書くという習慣があまりなかったので、最初のうちはここに投稿するにも、あまり気をつかっていませんでした。 実際、このようにバランスを意識して書いてみると、かなを多用することのむずかしさを痛感します。回答をいただいた皆さまの文章も参考にしながら、自分なりのスタイルをつくり上げていきたいと思います。 ありがとうございました。
- LN-TF
- ベストアンサー率53% (320/596)
先例に倣って、先ずご質問文を、起こしてみます。 ** 私はこちらのサイトに投稿する様に成ってから、自分が書く文章の漢字<・>仮名のヴァランスと云うのが気に成り始めました。本を読む事は好きですので、佳く図書館から借りて来て読みますが、最近の作家の方の文章を<拝見する>と比較的カナを多用される<傾向がある>様に感じます。私自身もそれに慣れてしまったのか、そう云った文章を読み易いと感じるように成りました。 一方で私は内田百 のファンでも有りますので、折にふれて全集から好みの一冊を取り出し読んだりも<致しますが>が、最初<に>ページを開いた時など、餘りに漢字が多いので一瞬眩暈がします^^:。(すぐに慣れますが) 文学史的な知識については、精々が中高生のレヴェルにも満たない程度<>しか<有し>ませんが、"かな"文学の系統をたどると、単純に漢字(漢文)=男性的、かな=女性的と云うようなイメージも持ってしまいます<>ので女性である私が、かなを多用する文章により親しみ易いのもその<所為>かな?等とも考えます。 少し質問の論点がぼやけてきたような気がします。先ず、皆様が御感じに<なられる>漢字<・>仮名のヴァランス感覚に就いての御意見を伺いたいと思います。次に、御自身がこう云った事に配慮されているとしたら、どう云ったヴァランスで文章をお作りになるのか、その実例を回答文として御紹介頂だければと思います。宜しく御願い致します。 ** 読み難いとの事ですので、漢字に起こした部分はその儘ですが、多少字句をいぢらせて頂きましたので、弓型括弧で挟みました。「仮名」「カナ」「かな」は意識的に使い分けをする場合があると云う事もあり、多少無理やりですが使い分けてあります。最後のは平安女房の「かな文学」の流れを意識して、最近の傾向として開くあるいは洋語を多用する傾向があると云うので「カナ」、表記論として「仮名」です。 現在の日本語は漢語が相当多いため「仮名書き」にしてしまうと解り難い同音の語と紛れ易いは良く云われる事ですが、もう一つ分かち書きをせない限り語や文の区切れが解り難いと云う点は余り云われて居ないようです。有名な「べんけいがなぎなたをもつてやぐらのうえに」を「弁慶がな、ぎなたを持ってヤ、ぐらの上に」と読んだと云うのも「弁慶が長刀を持って櫓の上に」とすれば紛れる心配はありません。 また、多少こちらを漢字にするならばこの語も釣り合いを取って漢字にとかは個人による語感の相違がありますし、文章の想定される読み手を慮ってと云う事もあります。 (今回は多少漢字を多めにして有ります) 御参考にならば幸甚です。
お礼
ご回答ありがとうございます。 正直申しあげて「めまいのしそうな」文面でした。LN-TFさんて、プロフを拝見すると宝塚ファンとのことですが、男性の方ですよね?文章を読み書きするときの感覚というのは、男女の性差があらわれるものなのでしょうか?気になるところです。「佳く」「成りました」「餘りに」のあたりにLN-TFさんなりのこだわりを感じました。 ひとつ気になる点がありました。もしかして規約違反になるかもしれませんが。「ヴァランス」という表記をされていますが、「balance」をカナ表記したものだとすると、違和感があります。なにか意図があってのことなのでしょうか?
- kkk1002
- ベストアンサー率37% (9/24)
では,No.1のご回答にならい,私が心地良いと感じるバランスで書いてみます。申し訳ありません,邪魔かもしれませんが,変更したところは<>で示します。 --------------------------- 文章を書くときの漢字、<仮名>の配合のバランスのようなものが気になります。こちらのカテで回答される方々はそれぞれに文章の表記についても一家言お持ちかと思い、質問してみることにしました。 <私>はこちらのサイトに投稿するようになってから、<自分>が書く文章の漢字、<仮名>のバランスというのが気になり始めました。本を<読む>ことは好きですので、よく図書館から借りてきて<読み>ますが、最近の作家の方の文章を<読む>と比較的<仮名>を多用される傾向が<強い>ように感じます。<私>自身もそれに<慣れて>しまったのか、そういった文章を<読み易い>と感じるようになりました。 一方で<私>は内田百閒のファンでもありますので、折にふれて全集から好みの一冊を<取り出して読んだり>もしますが、最初ページを<開いた時>など、<余りに>漢字が多いので一瞬めまいがします^^:。(すぐに慣れますが) 文学史的な知識については、せいぜいが中高生のレベルにも満たない程度のものしかありませんが、<仮名>文学の系統をたどると、単純に漢字(漢文)=男性的、<仮名>=女性的というようなイメージも持ってしまいます。なので女性である<私>が、<仮名>を多用する文章により親しみやすいのもそのためかな?などとも考えます。 少し質問の論点がぼやけてきたような気がします。まず、みなさまが感じる漢字、<仮名>のバランス感覚についてのご意見を伺いたいと思います。<次>に、<御>自身がこういったことに配慮されているとしたら、どういったバランスで文章をお作りになるのか、その実例を回答文としてご紹介いただければ、と思います。<宜しく>お願いいたします。 -------------------------- 私の漢字の使い方は,ご質問の文よりも多いようです。 「文章を書くとき」の「とき」は,時間とか時点という感じが薄いので,仮名のままにしました。 「最初ページを<開いた時>」の「時」は,「ページを開いた,まさにその時」という感じがしたので,漢字に変えました。 「親しみやすい」の「やすい」は,「やさしさ」の気分を出したいので,仮名のままにしました。(あくまで気分の問題であって,語源的には「易い」と書くべきだということになります。) 「読み易い」の「易い」は漢字を使ったほうがいいような気がします。この「易い」は,「食べ易い」「歩き易い」などの「易い」と同じく,即物的(気分ではなくて,「容易かどうか」という物事の性質)だと思うからです。 「ご意見」の「ご」は平仮名がいいと思いますが,「<御>自身」のほうは漢字がいいと思います。 「御自身」は,「自身」の前に「御」が付いて出来ている言葉なんでしょうけれども,私には「御自身」で一つのまとまった言葉だと感じます。 「ご意見」は,「意見」の前に「御(ご)」が添えられているように感じます。「ご紹介」も同様です。 これらは私が文章を書く際の方針であって,他の方にお勧めするほど根拠があるとは思っていません。 ご質問中の「わたし自身もそれになれてしまったのか」の「なれて」と,「(すぐに慣れますが)」の「慣れます」は, 平仮名と漢字に使い分けられていますが, 何か理由がありますか? 私がそのような使い分けをするとしたら,「わたし自身もそれになれてしまったのか、」が挿入句的で,さらっと読み流してほしいから,という理由で平仮名にします。 それに対して,「(すぐに慣れますが)」のほうは,括弧内にあるのですが実は,さらっと読み流してほしくないから,という理由で漢字にします。
お礼
ご回答ありがとうございます。 No.1さんのご回答同様、wordに貼りつけて比較してみました。正直申しあげて非常に自然な文章に変わったように感じます。 わたしの元の文章はあらためて読んでみると、仮名を多く取り入れようとして少し無理をした感があります。kkk1002さんの理詰めの使い分けと違い、見た目の印象に頼り過ぎていたようにも思います。 「わたし自身もそれになれてしまったのか」の「なれて」については、変換の時点でちょっと迷ったのですが、「~してしまった」というやや否定的な言葉があとに続くことから「慣れる」より「狎れる」なのかな?とも考えました。でも「狎れる」という字を使うといかにもわざとらしい印象を与えてしまうと考え、無変換のまま表記してみました。 このお礼文は少し漢字の比率を高めてみました。やっぱりこれくらいが普通かな?という気もします。
では,ぼくが心地よいと感じるバランスで書いてみましょう。変更したところは<>で示します。これには表記も含みます。 文章を書くときの漢字、かなの配合のバランスのようなものが気になります。こちらのカテ<ゴリー>で回答される方々は<,>それぞれに文章の表記についても一家言お持ちかと思い、質問してみることにしました。 わたしはこちらのサイトに投稿するようになってから、<自分>が書く文章の漢字、かなのバランスというのが気になり<はじ>めました。本を<読む>ことは<す>きですので、よく図書館から借りてきて<読み>ますが、最近の作家の<>文章を<読む>と比較的<に>かなを多用される傾向が<強い>ように感じます。わたし自身もそれになれてしまったのか、そういった文章を<読み>やすいと感じるようになりました。 <いっぽう>でわたしは内田百のファンでもありますので、<おり>にふれて全集から好みの一冊をとりだして<読んだり>もしますが、最初<に>ページを<開いた>ときなど、あまりに漢字が多いので一瞬めまいがします^^:。(すぐに慣れますが) 文学史的な知識については、せいぜいが中高生のレベルにも満たない<ていど>のものしかありませんが、かな文学の系統をたどると、単純に漢字(漢文)=男性的、かな=女性的というようなイメージも持ってしまいます。なので女性であるわたしが、かなを多用する文章により親しみやすいのもそのためかな?<(1字開け)>などとも考えます。 少し質問の論点がぼやけてきたような気がします。まず、みなさ<ん>が感じる漢字、かなのバランス感覚についてのご意見を<うかが>いたいと思います。つぎに、ご自身がこういったことに配慮されているとしたら、どういったバランスで文章をお作りになるのか、その実例を回答文としてご紹介いただければ、と思います。よろしくお願いいたします。 -------------------------- 論文だと専門用語があるのでもっと漢字がふえるかもしれませんが,日常の文章ではこれくらいでしょうか。質問者さんの漢字使用率は,かなりぼくに近いです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 <>が少しじゃまだったので、wordにそれぞれの文章をコピペしてそれをとり払って比較してみました。 原則的に、おっしゃるとおり漢字の使用率はおなじくらいに感じますね。むしろどの言葉を漢字(かな)に置きかえるかのこだわりのほうを強く感じました。 ちなみに最初の部分「わたしはこちらの・・・」についてあらためてよみ直すと「よむ」ということばが不必要なまでに重複使用されているのがわかりました。passersbyさんのご回答ではそれが漢字になっていたので、それがよりはっきり見えたように思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 とても読みやすい文章だと感じました。わたしの書いたものと違って不自然にかなを多用してもいませんね。拝読しながら頷くことしきりです。今後の投稿の際にはぜひ参考にさせていただきたいと思います。 すこし違うかもしれませんが、わたしの好きなことばに「教養とは真理を知ることではない。真理を平易な言葉で語れることだ」というのがあります。うろ覚えなので、こまかい部分は違うかもしれません。でも通底するところはありそうですね。 句読点の打ちかたも迷うところですね。投稿する時って、入力画面と確認画面、最終的な表示画面と全部レイアウトが違うじゃないですか。一回投稿するごとに、なん度も確認をくり返しているといいかげんウンザリしてきます。全部おなじレイアウトにしてくれるといいんですけどね。