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宮沢賢治の「よだかのほし」を読んで

よだかのほしを読んでみてのわたしが考えるテーマは「差別やいじめ」だと思うのですが、みなさんはどう考えますか?宮沢賢治は何を伝えたかったのでしょうか?意見を是非よろしくお願いします。

質問者が選んだベストアンサー

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  • zephyrus
  • ベストアンサー率41% (181/433)
回答No.3

児童書は子供たちが最初に出会う「文学」です。その印象はしばしば鮮烈です。 私も小学生の時、初めてこれを読み、よりによってどうしてこんなに醜くて皆から嫌われる鳥が主人公なのだろうと、それがまず不思議でした。 けれども長じるにしたがって、作家というものは少数者の味方なのだ、いや、書き手自身がまずたいていは少数者なのだ、と気づくようになりました。 大勢のがわに立つだけでは、新たに見えてくるものがないのです。ですからそういう人たちは何も書かない。たとえ書いても他者の言っていることをただオウム返しにくり述べているに過ぎない。 一方、少数者には主張がある。自分がいま見えている世界を表現したいと切実に望むのです。 まさにそのことを出発点として、さまざまなお話も手法も生みだされるのでしょう。 「よだかは、実にみにくい鳥」だと作者はまず書き出します。それは外見上のみにくさなのですが、われわれがこの表面上の美醜感によって、いかに差別を生み出すかは、自分の心に問うてみたとき愕然とするものがあります。 わずかの違いをあげつらって忌み嫌うだけでなく、無害なのにというより無害だからかえって時には接近されると身の危険を覚えたり、たとえ親切を受けても逆に憎んだりします。 「外見」とは容姿だけにとどまらず、所有しているものや身につけているもの、住んでいる家、住んでいる地域、学歴や職業など、さまざまな蔑視や差別の対象となるものがあるでしょう。 もう一つは強権の介入です。 自分に似たところがあるから気にくわないという理由で「名前をあらためろ」と迫る「鷹」。これはやってはならない権力の暴力の最たるものです。この恥辱、屈辱。されるほうは自身の存在を根底から否定されてしまう。 「よだか」はこんなふうに悲鳴を上げましたね。「そんなことをする位なら、私はもう死んだ方がましです。今すぐ殺して下さい」 こうした暴虐は賢治がこの童話を書いたすぐあとにも歴史上で実際に起こったことです。 また、自分が生きていくためには、他の生き物の犠牲の上にしか成り立たないことの切なさが描かれています。「(ああ、かぶとむしや、たくさんの羽虫が、毎晩僕に殺される。そしてそのただ一つの僕がこんどは鷹に殺される。それがこんなにつらいのだ。ああ、つらい、つらい。)」 こうした繊細な心を持ち、「弟の川せみ」のほかは満足に口をきいてももらえない「よだか」は最後にお日さまや夜空の青い星々のそばにおいてもらおうとします。これは哲学をはじめとする学問、宗教の暗示でしょう。 けれどもいずれからも体よく拒絶されてしまいます。もしくは「よだか」の心を真の安寧へ導いてくれなかった。 すべてに絶望した「よだか」は失墜してゆきますが、地面に激突する寸前、精神が蘇生します。キシキシと高く叫び鷹のように雄々しく「どこまでも、どこまでも、まっすぐに空へのぼって行きま」す。 これは何なんでしょう? それは強い意志です。すべてを喪っても、自身の生命と引き換えても貫くものがある。 われわれが夜空を仰ぐとき、カシオピア座のとなりで「今でもまだ燃えてゐ」る、その強い意志はわれわれを勇気づけてくれているのです。 さて、以上が私なりの感想なんですが、いささかアナロジー(類推)の解明に偏しています。こんなふうにテクストと現実の世界を重ねあわせるのは、それなりの意義もおもしろさもあるでしょうが、あまり嵩じると作品世界にある雰囲気というか、独特の風味、なんともいえないあるものを損ねてしまう弊があります。 作品世界を矮小化し、つまらなくさせてしまうんですね。 このため、作品は作品としてのみ味わうべきである、文芸のみならず芸術全般は、哲学や宗教やどんな既存の価値観からも独立し超越しているんだという、近代以降の芸術観が生み出した鑑賞法があります。 そして確かに、どんな類推も効かない、受けつけようのない作品群も現に存在するのです。たとえばある種の詩や現代アートの多くが。音楽(ことに純粋器楽曲)などはこのほうが普通なくらいです。こうしたものを強引に何かに結びつけて分かった気になろうとするのは間違っているだけでなく害悪かもしれません。 でも、アナロジーの効く、アナロガスしたくなるテクストもあるわけで、今回はそれをしてみました。 あくまで一斑の参考として下さい。

その他の回答 (2)

  • bakansky
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回答No.2

私自身は、この作品のテーマはこれこれである、という決めつけ方をするのは嫌いです。 読んだ人それぞれの心の中に、それぞれの何かが残ればいいのではないでしょうか。

  • putidenny
  • ベストアンサー率43% (160/369)
回答No.1

テーマは、ご質問のとおり「差別やいじめ」です。 宮沢賢治が伝えたかったのは、それにも負けず強く 生きていこうとするよだかの強い意思だと思います。 最後の「そしてよだかの星は燃えつづけました。何 時までも何時までも燃えつづけました。今でもまだ 燃えています。」というのが結論のように思います。 読者にも、いじめられても挫けずに、このよだかの 強い意思を見習いなさいと言っているのが主題だと 思いますが、そのような読み方をすると大変辛い小 説です。弱い者いじめをするなと言っているのだと 思うのが素直な読み方かもしれません。

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