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虐待の脳死

虐待の脳死は何で移植できないのでしょうか? 又虐待すると脳死するものなのでしょうか?

みんなの回答

回答No.4

補足 証拠調べの為に死体解剖、そのために時間は経過、死体は証拠品、臓器をあらかじめ移植用に冷凍保存、当然そんなことは出来ませんので臓器移植は出来ないと言うこと。 誤解がないように補足しておきます。

回答No.3

普通に考えれば分かることです。 >wakkoさん ・・・臓器移植の本来の姿ではない・・・ まずは虐待により脳死になったという証拠、そしてその虐待に対しての罪、これが証明されその罪相応の罰を受けることになった後、その後の臓器移植は、普通に考えても行ってもいいのではないかと思います。 しかし普通に考えても嫌ですよね、でも臓器を提供してもらいたい人にとってはたぶんそんなことは言ってられないのではないかと思います。 現在は、下手な理屈的な解釈というか、裁判でもそうですが普通に考えてある程度分かること、これが歪曲されてやたらとこうだからこうですとかで、裁判員制度での判決で最近、双子の女の子の虐待死の判決で温情判決の執行猶予付判決が言い渡されましたが、これは明らかに間違った判決であり、温情であっても短期の懲役を科せるのが100%正しいのです。 なぜなら例えばあなた達が嫌うような違反をすると上記の例よりも軽い違反であっても重い罪を科せようとするでしょう。所謂感情判断が実は根底には定着した形で決まってしまっている法律もあるのです。 まず被害者が存在するかなのです。 この判決で判断すると今までの他の刑事事件での判決に不平等が生じてしまうのです。 全く違う内容の事件であってもそうです。まずは被害者が生じているかで判断するべきですが、そうではない判決が多く下されてるのです。 母親一人で育てた女性が殺されお金を奪われた事件がありましたが、この時の女性裁判官の行った言葉、「楽をしてお金を得ようとした・・・」、何故殺人をして金を奪うことが楽をして金を得るという表現になるのか、全くの間違った表現です。 楽をして金を得るというのはパチンコでも、株でも他にもあります。殺人をして金を奪うことが楽をして金を得るの表現に当てはまるわけがないのです。 裁判官でも間違った言い方をするのです。間違った判決も多くあるのです。裁判官であれば正しいと思いがちの無知な人が多い現在なのです。 この為に当たり前に分かることが分からなくなりやたらと難しい判断で、結果的に間違った判断をしてる例がおおく、それが定着してしまってる現在の世の中なのです。 俳優の木村一也、タクシーの運転手を暴行し確か植物人間、脳死状態になったと思いましたが。 その虐待が暴力なのか、頭部を狙った暴力なのか。 私は法律を知らない若い頃、酔った40人近い暴走族に知人二人でいた時に絡まれ、一人は全身血だらけの気絶に近い状態で、私はタイヤの交換工具を使い一人でその人数とやり合い、相手の一人の頭を叩きつけ私自身は無傷、相手に捕まれないようその短い工具1本で身を守りました。 youtubeでも似たようなケースで一人は死亡、一人は大けがでしたね。経験がないと危険度が分からないと思います。 知人は大けが、慰謝料で200万円は下らないと思います。病院で警察に聴取を受けたのですが、警察は捜さずと言うより、被害届が出なかった、私は聴取を受けたことでそれが被害届になるとも思ってました。 はっきり言えば人命を損なう可能性がある事件なのにこの対処、警察の説明不足の何ものでもないと言うことです。 やはり私が法律を知らないので見つけられなかった、あるいは本気で探さなかったんだろうと思ってました。 ながながとすみません、日本の法律は100%どころか50%くらいの精度とも言えるのです。どこの国も同じかもしれませんが。

  • honde
  • ベストアンサー率5% (10/182)
回答No.2

ある兄弟がいたとします。 兄は心臓移植をしなければならない病状である。 弟は親の言うことも聞かないし虐待してしまえ。 こんなので、弟の心臓を兄に移植するなんてことになったら、世も末です。

  • wakko777
  • ベストアンサー率22% (1067/4682)
回答No.1

虐待の脳死があったとして、親が子を虐待して脳死判定を受けたとします。 で、仮に脳死となった場合、親が臓器移植をしてくださいと言えば、 移植されることになります。 その場合、親が虐待したという証拠はなくなり、殺人罪で捕まることがなくなります。 (医師が警察に虐待があることを通告しなかった場合) そうなると、虐待による脳死での臓器提供が増えることになるかもしれません。 それは、臓器移植の本来のあるべき姿ではありません。 臓器提供は崇高な善意の意志によって提供されるべきものなのです。 ちなみに、虐待で脳死になるかは知りません。

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