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オーストリアに天才が多い理由

最近、クラシック音楽に興味を持ちだしてからオーストリアに注目をするようになりました。 モーツァルト・アインシュタイン・ヒトラー・カラヤン・ドラッガーetc・・・ 国の規模の割には、能力の高い(強いリーダーシップや天才肌の)人物を多く輩出しているなという感じがします。 ここでお聞きします。 (1)歴史的見地からして、この国から能力の高い人物が多く輩出される要因とは何だと思われますでしょうか? (2)あなたにとって印象深いオーストリア出身の人物とは? (3)日本とオーストリアとの共通点には何がありますでしょうか? ぜひお教え下さいませ。

質問者が選んだベストアンサー

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  • k16399638
  • ベストアンサー率33% (342/1035)
回答No.6

オーストリア・ハプスブルグ家の本山がオーストリアのヴィーンですが、まず大都会なので人が集まります。地図をみるとわかりますが、欧州の真ん中にあったので陸路と、またドナウ川を使った水運も盛んだったので、物も人も行き来していました。そのなかに、才能を持った人がいて、都会暮らしを始めるのは、かなり自然なことだと思います。また、西欧と東欧の中間点でもあり、その方の流通も、都市を活性化させます。今と違ってオーストリアは、ドイツなどとは比べ物にならないほどの陸の強国でした。基本的に敵は、パリのブルボン家です。 音楽家ですが、当時は夜会、舞踏会が貴族にとっては大事な事でした。そのようなとき、室内で演奏できる曲が必要になります。すると貴族の家の執事なりが、家のお抱え楽団を通して、評判の作曲家に××日までに、こんな感じの、こんな長さの曲を作ってくれ、とオーダーを出します。締め切りまもり、いい曲を作ってくれる作曲家は重宝され、名も上がり、ギャラもよくなる、そして彼自身の曲が流れる舞踏会などに呼ばれるようになります。モーツァルトがまさにそうでした。このような下地があったので、この国の音楽、つまりドイツ語圏音楽家の数は、他を圧倒しているのです。 まあ、有名人ではアドルフ・ヒトラーでしょう。

dela
質問者

お礼

さすが!天から曲が舞い降りてくるモーツァルトの真骨頂ですね。 ありがとうございました。

その他の回答 (5)

  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.5

天才というのは定義が難しいので、多様性の尊重と考えた方が分かり易いかと。みんなが同じ考えをしていたら、天才なんていないことになりますから。 19世紀というか、オーストリア帝国が崩壊する1919年までは、オーストリア帝国は多様性とその融合の最先端です。 葉書は1869年にオーストリアで始まりました。葉書かよ!と現代では思えますが、当時においては情報システムの最先端です。極端なたとえ話で言えば、それまで従量制だったインターネットが定額・低額でつながったようなものです。 電車の地下鉄が最初に始まったのもオーストリア帝国のブダペストです。 で、多様性の尊重というと、20世紀のアメリカ合衆国となります。

dela
質問者

お礼

ありがとうございました。

  • jamiru
  • ベストアンサー率5% (170/3044)
回答No.4

類は友を呼ぶ。 はともかく、貧弱なオーストリアが強国になるには人材を集めるしかない。 強国の基本は国を一つに纏め上げること。 異民族が多く入り混じるオーストリアで目をつけたのが音楽などの芸能。 遊びに現を抜かしてたわけじゃないよ。

dela
質問者

お礼

ありがとうございました。

noname#171433
noname#171433
回答No.3

ヒトラーって偉大ですか? 今年入ってからのニュースでもあったけど、 とんでもない変態事件を起こしていた犯人も オーストリアでのモノだった。(子供を愛人にして 長年地下室に閉じ込めていた変態オヤジ) あえてどこの国が何の分野で能力が高いって言えば、 機械の分野いうと圧倒的にドイツです。 ザルツブルグは昔から、優秀な音楽家が出る下地 みたいなのがあったっていいますが、あすこは ナチス色がかなり濃い土地でもありました。 オーストリアって言って印象的なのはマリア・テレジア 女帝ですかね。モーツアルトを可愛がっていましたよ。 (日本との共通点とか思い浮かびません…) そういえば、アインシュタインって科学者としては 優れていたんでしょうが、家では暴君だったっていい ますよ。 ~ウィーン少年合唱団って創設したのはハプスブルグを  メジャーにした偉大なるマクシミリアン1世。オースト  リアって神聖ローマ帝国だったから、ここから見ていった  方がいいと思います。神聖ローマ帝国ってナポレオンの  脅威に屈して店じまいしましたが、最後の神聖ローマ帝国  皇帝の息女(13人姉弟の一番上)がナポレオンの2番目  の妃。で、彼女は亭主と別れてイタリア・パルマ王国の女  王となり善政を。たくさんのパトロネスにもなりましたが、  ヴェルディも庇護を受けた音楽家の一人でした。

dela
質問者

お礼

ありがとうございました。

  • debukuro
  • ベストアンサー率19% (3634/18947)
回答No.2

国の方針や風潮がそういう人たちを優遇した オーストリアに限りません イギリスはビクトリア女王が科学を奨励し優れた科学者を貴族に叙したので多くの天才科学者を輩出しています イタリアでは協会が宗教画家を優遇したのでキリスト教関連の天才画家が多くいます モーツアルト 地球上に存在する

dela
質問者

お礼

ありがとうございました。

  • kt1965
  • ベストアンサー率34% (116/339)
回答No.1

回答します。 天才が多いのか、はたまた秀才が多いのか?別にしておきます。音楽が盛んになったのは、次の理由によります。神聖ローマ帝国時代、オーストリアには、教会領が集中していました。教会では、様々な式典のために音楽が必要でした、そのため「聖歌隊」を初めとして、「パイプオルガン」などを整備しました。そして、「クラブサン」(=ハープシコード)などが発明されました(現在の、「ピアノ」の元になる)。 この楽器を使いこなした人、もしくは聖歌隊などで活躍した人物の中から、「音楽家」が生まれました。音楽家は、一種の職人技の世界のため、一子相伝に近い形で「教育」や「育成」が行われます。 それらの音楽家を支える「パトロン」が居たということです。ちなみに、「教会」のみならず、「王侯貴族」なども競って名の知れた音楽家に「音楽」を作ってもらいたいということで、有名な音楽家は引く手あまただったようです。 また、商人や都市の住人は、「劇場」を建てました。この劇場でも、音楽劇などを盛んに上演しました。この劇場で必要とされる音楽を残した作家も多いのです。 よって、オーストリアのみならず、当時のヨーロッパ全体で育てた音楽家が、現在まで名前の知られる天才音楽家と呼ばれる人々なのです。 では。

dela
質問者

お礼

ありがとうございました。 芸術文化が育つ背景には援助をする権力者が存在しているのですね。

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