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五畿七道の行政区分と役所の呼称と長職名について
- 五畿七道における行政区分である国、郡、里の役所の呼称とその長職名について教えてください。
- 五畿七道には五つの国がありますが、国の庁は国府と呼ばれています。国の庁の長職名も教えてください。
- 五畿七道の区域である道においても国庁という呼称は存在するのでしょうか。国庁の長職名も教えてください。
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五畿七道下の行政区分であるが国、郡、そして里の役所の呼称と、その長たる職の呼称をお教えください。 (自治体のシニア向け講座で勉強したのですが、混乱してきまして。) 1. “畿”と呼ばれる国は五つだそうですが、国の庁(役所)の名前はやはり国府でよろしいでしょうか? 畿は最初4カ国でしたので4畿でした。716年に和泉国から河内国が分離して5畿になります。国の庁(役所)の名前は国庁もしくは政庁・国衙・官衙で、国庁(国衙)を含むを都市(都市と呼べる規模ではないが)を国府と呼ぶのが一般的です。ただ、国衙は政庁の意味にも都市の意味にも用いられることがあります。また、官衙は国だけでなく、中央・郡などの役所も表します。 2. その責任者(長たる職)の名称、は何というのでしょうか? 畿に限定したとき摂津国は例外で、摂津職が特別に793年までおかれていましたので、摂津大夫が長でした。他の山城・大和・和泉・河内国は国守が長です。摂津も摂津職が廃止されてからは同じです。また、平安京については左京職・右京職が置かれ、それぞれ大夫が長でしたが、扱いは地方官ではなく京官(中央官)の扱いでした。 なお、他の七道管轄下の国の長は国守です。 ただし、西海道だけは大宰府が置かれ、管轄権を持っていました。大宰府は帥・弐(大弐・少弐)・監(大監・少監)・典(大典・少典)-ソチ・スケ(ダイニ・ショウニ)-ジョウ(ダイカン・ショウカン)-サカン(ダイテン・ショウテン) 3. 同じく、“道”と呼ばれる区域もその系統下の区分は国であると勉強しましたが、国の庁(役所)は国府という名称だけでしょうか?それとも“国庁”という名称もありましたでしょうか? 畿と同じです。 4. 国の庁(役所)の長官たる人の職名がいわゆる国司という呼称なのでしょうか? それともそうではない呼称でありましたでしょうか? 国司とは守・介・掾・目(カミ・スケ・ジョウ・サカン)の四等官をいい、本来都から派遣された官人を言います。定員は国の格により介以下は変わりますが、長官である守は1名です。その守も権官(定員外の任命・員外官とも呼ぶ)を任命することがあります。これは介以下も同じです。 5. “畿”と呼ばれる国の下の区分にも、“郡”及び“里”というものがありましたでしょうか? 異なる呼称の区分でしたでしょうか? 国-郡-郷が一般的です。ただし、古くは郡は評(コオリ)、郷は里とされていました。 6. “畿”と呼ばれる国の下の区分、そして七道の国の下の区分であるとされる、“郡”及び“里”の役所の呼称とその長たる職の呼称をお教えください。 郡にも郡司と呼ばれる役人が任命されていますが、これは前代の国造などの系統を引く地方の有力者を任命するのが普通でした。郡司も大領・少領・主政・主帳(ダイリョウ・ショウリョウ・シュセイ・シュチョウ)の分けられます。郷は郷長(里の場合は里長)です。なお、役所は郡衙と呼ばれています。 以上、参考まで。
お礼
ありがとう御座います。 何もか氷解でして、大雨上がりの東京の真っ青な今朝の空のような気持ちです。 郡司さんという苗字のひともよく知っております。そんな職名があったのですね。えらい大学の先生ご夫妻で庄司さんもいました。 国守をコクシュと読むのが通例か、クニノカミと読むのが通例かは場にもよりましょうが、自分での勉強も難しくはありません。 ありがとう御座いました。 いろいろ読み方もお示しいただき、ご親切を心よりお礼申し上げます。 ありがとう御座いました。
補足
fumkumさんありがとう御座います。 こんなに明確詳細を極め、網羅的なるお教えをいただけるとは、お礼の申しようがありません。 実は一日おいて、ご回答がないかもしれないという憂いと、あぁ専攻以外のことでして膨大な資料の中をさ迷いあるかなければいけないなぁと覚悟をしておりました。 学芸員の先生(43歳とからしいですが、30年下です)にお尋ねすればいいのですがお忙しいし、あまり独り占めはいけませんからと、遠慮をしているのです。 ありがとう御座いました。とても嬉しいです。