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西本願寺か、東本願寺か
20代の真宗門徒です。12年前に祖父が亡くなった時、父の「うちは西本願寺だとお父ちゃんから聞いてる」という証言を元に本願寺派寺院に葬儀を頼み、今も菩提寺として付き合いが続いており、当然実家にある仏壇も本願寺派のものです。 ところが、祖父の実家(祖父は六男でした)に行ったところ、仏壇は大谷派(東本願寺)のもので、従如上人の署名の入った経本までありました。つまり、祖父か父のどちらかが記憶違いを起こしていたわけです。 両親は宗教に無頓着で、面倒だからこのまま本願寺派でいいんじゃないかと思っているようですが、私はいろいろ勉強した結果、大谷派の方に好感を持ち、一人暮らしのアパートには大谷派の三つ折り本尊をお迎えしました(我が家は徳川恩顧の家でもあり、先祖が大谷派に付いたのも教如上人自らの巡行で説法を聞いたからという謂れがあるようです)。 今年大学卒業ですが実家には帰る気がなく、都会に出て一生暮らすつもりですので、どのみち新たに菩提寺を探さねばなりませんからその時に大谷派に戻そうと思えばできます。しかしこの12年お世話になってきた本願寺派の菩提寺にはその旨を言いづらく、私は長男ですのでいつかは実家にある仏壇も相続することになるでしょうから、それを大谷派仕様に改造…ということになるとまた大変だと思います。両親は伝統的な金仏壇が嫌いなようで、家具調のいわゆる現代仏壇が好きなようですから、今実家にある本願寺派の金仏壇は両親が亡くなったら寂しいですが処分して、今アパートにお祀りしている三つ折り本尊を本尊として上置き型の現代仏壇(都会ではあまり広い家は買えないでしょうから)を新たに購入するか…等々いろいろ考えています。 私が自分の意思を殺して本願寺派にとどまれば仏壇問題はなくなるのですが、仏壇の都合で信仰を妥協するのもいかがなものかと悩んでいます。僧侶の方のみならず、様々な方の助言を頂ければと思います。
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- amida3
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再度、坊さん@浄土真宗です。 要は、浄土真宗の門徒、阿弥陀仏の門徒、親鸞聖人の門徒であって、その門徒が近くの真宗寺院に縁を持つと言うことでよいのです。たまたま、その寺院が本願寺派であるか大谷派であるかというだけとの理解でよいです。 仏壇ですが、仏壇は寺院本堂をミニチュアにしたもので宗教上は寺院本堂と同じです。たまたま本願寺派本願寺(西本願寺)と大谷派真宗本廟(通称・東本願寺)とでは造り(屋根形状、宮殿形状、造作、荘厳形態)が異なります。そのため、本山の本堂をそのままミニチュアにした結果で、仏壇も本願寺派用の金仏壇と大谷派の金仏壇というように商品化されています。(当然に小さい分略されています。) しかし、このとおりでなければいけないということではありません。 一般寺院も本山の地方別院等も必ずしも本山の本堂と同じ造りにではありません。宗派に属する寺院本堂でさえ必ずしも本山と同一の造りではないのに、さらに小さく略した仏壇が本山と同じ形でなければならないと言うことはありません。 ただ、今ご安置の三つ折り本尊を本尊として上置き型の現代仏壇とされると言うことももちろんかまいません。居住形態でお参りし易いということが一番です。
- amida3
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坊さん@浄土真宗です。 結論から言うと、どっちでも良いです。そもそも本願寺派と大谷派は信仰上の差異はありません。本願寺教団が大きいから幕府に敵対することになると勢力として強大なので1組と2組に分けただけで、東西本願寺はしいて言えば織田信長と徹底抗戦するか和睦するかで石山本願寺内でグループが分かれただけで、地方の各寺院や各僧侶の意志で分かれているわけではありません。現在は真宗10派と1組~10組に分れ、現行法上の包括宗教法人としては形式的に分かれていますが教えで分裂して分かれた他の宗派のような派とは意味合いが異なります。 ですから寺院も途中で大谷派から本願寺派に移ったり僧侶も所属を変更したりしています(現代でも出来ますし、しています。)。もっとも寺院は途中で宗派が変更になったり寺号が変更になっている寺院は多いです。 門徒さんの場合、昔は代々同じ土地に住んでいますから、寺の宗派が変わってもその土地の同じ寺院に所属しています。現代のように移転が自由な時代では、移転先に真宗寺院があればそれがどの派であってもご縁を持てば良いだけです。そもそも真宗10派も地域差があり、全国均一にはありません。大谷派寺院の多い地区から本願寺寺院しかない地区に移転すれば当然に本願寺派寺院と縁を持つことになります。その逆もそうです。 ちなみに私の近隣は本願寺派寺院のほうが多く、大谷派の受け入れ先寺院が無かったので地方出身の元大谷派のかたは近くの本願寺派寺院に現在は所属しています。 なお、そのために仏壇を変更する必要もご本尊を変更する必要もまったくありません。 ご質問者さんのご質問分を拝見しますと、大谷派(真宗本廟・お東)と本願寺派(お西)を別のものとの理解が強いようですが、同じ御同行・御同朋として同じですねという理解が出発点に無いと浄土真宗を見誤ると思います。 私は本派の布教使ですが、近隣のお東の寺院の講師もしています。また近隣のお西の寺院の住職はお東の寺院の息子さんです。私の親族も本願寺派に属しているものが多いですが、転居等で住んでいる地域で大谷派さんの門徒となっている者も当然にいます。 本願寺派に変わるとか大谷派に戻すとかという話ではなく、ご縁の有る真宗寺院を持つことが重要で、それがたまたま大谷派であるか本願寺派であるかはどうでも良い話で、まずはご聴聞しやすい近隣の寺院とご縁を持つことです。 私たち僧侶でさえ、縁あれば同じ教えの中で転派するわけですからご門徒さんも転居等で特に所属寺変更に教えとは関係のない娑婆のしがらみが無ければ、どちらに属そうがまったく問題はありません。ご縁のままにどうぞ。 合掌
お礼
教義が同じというのは知っていましたが、そこまで東西間の転派が現在でも盛んなものとは知りませんでした。仏壇・本尊の変更も必要ないというのも安心しました。本当にありがとうございました。
お悩みになることは無いと思います。 ご質問者様が書かれているように (我が家は徳川恩顧の家でもあり、先祖が大谷派に付いたのも教如上人自らの巡行で説法を聞いたからという謂れがあるようです) と書かれておられるでしょう? つまりは、先祖様方々から宗派を替えられる一族だということですから あまり深くお考えになられずに、思うことをされれば良いと思いますよ。 例えばですね、昔昔、織田信長のころまでは、基督教というのは日本には殆どなかったと聞いています、しかし今は当たり前のように存在しています、 それらの人たちは、どこかで改宗というのか、改教された人たちだということですね。 つまりは、日本での宗教なんてものは自由自在に勝手に変更されて来たということです、 それも日本の文化かな? と思うようなきもします。 新興宗教なんてすべてがそうですよね。
お礼
宗派を変えるか否かというより、仏壇をどうするかが悩みの種でした。まぎらわしい書き方をしてすみません。しかし考え方は参考になりました。ありがとうございます。
お礼
いろいろとありがとうございます。 アドバイスを踏まえて自分の気持ちを整理したところ、現在の本願寺派の御門主も素晴らしい人だし、本願寺派にとどまるのも悪くないなと思うようになりました。要は徳川恩顧・長州閥嫌いということだけが引っ掛かりで、本願寺派は長州贔屓、大谷派は幕府贔屓ということだけが気になっていたのです。それ以外は本願寺派だと不都合な部分など何もありません。 ちなみにお聞きしたいのですが、現在の本願寺派にはもう明治期のような長州閥の支配は無いと考えて大丈夫でしょうか?