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謙虚さは美徳? のろけた者勝ち?
こんにちは。 謙遜とか謙虚とかする事は、大事だと思い、心がけているのですが・・・ 最近、なんだかんだ、謙虚にするばかりでなく、 褒められた事が事実なら、(恥だという事に気がつかないで) 「人前で自分で褒められちゃう人のほうが幸せなのかな?」と 感じる事があります。 例えば、 生けた花(アレンジの仕方)を褒められたりすると 自分も良い(そうでしょ、良いでしょ?)と思っていても、 「いえいえ、そんな事ないですよ~」なんて言って流すのですが、 その言葉によって、 他人に「そうでもない(んだって)」と言う評価に繋がったり、 その内、自分の心の中でも、褒めてもらったのに、 自分でも良いと思ったのに、 「そうでもないものになっちゃった」と言う悲しさになってしまったり・・・ 幸せに感じなかったり・・・ でも、逆にそんな上手くなくても、お世辞でも褒められた時に、 「そうなんです~私一生懸命頑張って作りました~」や自画自賛している人がいると、 その作品の評判も「一生懸命作ったんですって・・ステキね~」とか言われる事になり、 褒められた人もイキイキしている感じがします。 また違う例ですが、 近所の方に家族を褒められて、その通りでも 「そうでもないですよ~」と謙遜すると、 その謙遜によって、「あそこのご家族、全然ダメなんですって」と評価を落とされ見下げられてしまうのが、 「何だかな・・・」と思ったりします。 この際、「そうなんですよ~」とか言って、 バカみたいに、のろけちゃっている人の方が、 結局本人としては幸せなのかな・・・と感じる今日この頃です。 なんだかんだ 謙遜しないで、 自分で自分を褒める事の出来る人の方が幸せなんじゃないかな・・・と感じるのですが・・・ バカみたいに、 非常識な程まで自画自賛するのはどうかと思うけど、 なんだかんだ、謙遜ばかりしないで、 褒められたら褒められたまま受け取ったり、 自分で自画自賛した方が、 した者勝ちと言うか、 そのほうが幸せなんじゃないかな・・・と思ったのですが、 やはり、謙虚さや謙遜は美徳なのでしょうか? 宜しくお願い致します。
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- miyoo
- ベストアンサー率12% (2/16)
ばかみたいにのろけられるほど主人愛してないのかもしれません。 たとえ話ですが、女は仕事に生きるか、家庭に入るか、どちらかだ。 といいます。 うんと好きな人となら何をしてもかまわない。と 思います。 それほどでない人とは、何をしても自分の存在というもの を見直してしまいます。 女にとっての幸せとは好きな人と過ごしていくことなのかもしれません
- nobukoro
- ベストアンサー率35% (26/74)
私もかつて何でも「そんなことないですよー」って否定してた口でした。でもやっぱりなんだか悲しい気持ちになり、褒めた方の立場だったらどう答えてもらったら気持ちがいいだろう?って考えました。 その答えは他の方の回答にもありました。 「ありがとうございます」 でした。 「髪切ったの?今日はすごく素敵じゃない?」 →「ありがとうございます。自分では上手くまとまってないと思ってたので嬉しいです」 「成績良かったんでしょ?すごいね」 →「ありがとうございます。自分なりに頑張ってみました。でもたまたまかもしれないので、また次も頑張りたいと思います」 →「ありがとうございます。自分でもびっくりしました」 お礼を付けて素直に受け止めた方がスマートじゃないでしょうか。 「そんなんでもないと自分では思ってましたけど、嬉しいです」みたいな風にすると嫌味にはならないのではないでしょうか。 言われて結構困ることを言われたら・・・ 例えば「美人だよねー」みたいな返答に困ること →「えー!初めて言われましたよ、びっくりしました。でも素直に受け取りたいと思います。ありがとうございます」 とか飛び切りの笑顔で答えちゃう それなら自画自賛にはならないですよね。 否定すると嫌味になることもありますから(旦那の職業が良かったり収入が良くて家が大きかったら)、まずはお礼するのがいいと思いますよ。 「ありがとう」はお互いに人を幸せにする魔法の言葉ですから
「いやいや…そんなことないですよ」「私なんて全然ですよ」は口癖になってるから、直すのも難しいですよね。とはいえ「ですよねー!」って全肯定で返すのもどうかと思いますしね^^; そういう時は、「褒め返す」っていうのはどうでしょう? (例)「生け花素敵にできたわね~」 →「えー!先生の教え方がうまいおかげですよ~」(あるいは、「○○さんのお花こそ、このラインがすごく素敵じゃないですか~」) 「teacafe12ちゃんってかわいいよね」 →「えー?○○ちゃんだって髪とか超キレイでかわいいよー!」 否定も肯定もせず話がすり替えられるのでストレスなくて楽ですよ。 向こうも嬉しいでしょうし。 ただ、家族とか恋人とかを褒められた際は、適当に謙遜しておいたほうがカドが立たないですよ。 私は家族を褒められたときには、「いえいえ、そんなことないんですよ~。こんなとこあるんですから~」って軽く笑えるドジネタ等で返してます。 ほほえましい感じになるし、そのほうが褒められた家族に対する褒めた人の好感度もアップするみたいです。 ノロケの一種みたいなもので、話している自分も楽しいですしね。 褒められて褒められっぱなしで否定しないと、「ねたみそねみ」を向けられることもあるにはありますから、賢くやることが大事だと思いますよ。
- secret_bar
- ベストアンサー率38% (5/13)
勝ち負けでなくて、どちらも有りでしょう。 謙虚さが美しいとか、自画自賛はみっともないとか、そういうふうに決めつけると あらゆるときに謙虚、と極端になってしまいます。 問題なのは謙虚、自画自賛ともに“行き過ぎ”になってしまうことですね。 どっちが正しいの?ではなく、どっちも極端になることで都合が悪くなるんだと思います。 要はケースに応じて使い分けることです。
お礼
ありがとうございます。 そうですね、勝ち負けではないですよね。 「自分で自分を否定して、相手にもそう伝わるより、 自分でも自分を認められて、相手にも認められているほうが幸せかな・・・」「幸せの方が良いかな?」と言う発想だったのですが、 勝ち負けと表現をしてしまい、失礼しました。 極端にして都合が悪くなるのですね。 どちらも、「行き過ぎず」ですね。
- dai-ym
- ベストアンサー率22% (848/3824)
誉められたことは素直に受け入れる。 しかし天狗にならないように謙虚でいる。 そういうバランスが取れることが今の時代は大事なように感じます。 昔の日本は村社会でほとんどの人が同じ価値観を持っていたので優れている部分を誇張する必要がありませんでした。 しかし今はさまざまな価値観が存在するので、それが謙譲なのかどうなのか判りにくくなっています。 なので素直に優れている部分は認めることは誉めた人に対しても、貴方の価値観と同じですよ。と言う意思表示になります。 下手に謙遜すると、貴方にはこれが良いレベルに見えても自分にはこの程度は駄目なレベルなんですよ。と言う価値観の否定と取られる可能性もありますから。 ちゃんと謙虚な心を持って行動をしていれば、ちゃんと周りにはわかりますよ。 必要以上に謙遜することは必要ないです。
お礼
ありがとうございます。 素直に受け入れ、天狗にならないように・・・のバランスですね。 今の社会は、色々な価値観があり、 色々な考え方を持った人がいますよね。 仰るように、考え方がいろいろあって、わかりにくいです。 だからこそ、自分の信念を持って、 それを「自分はこう思う」と言う情報を相手に言葉に出して発信していかないと、 お互いに、何考えているのかわかりにくいし、 相手の感覚に流されちゃうところありますよね。
- debumori
- ベストアンサー率29% (367/1254)
率直に言いますと、質問者様の場合「謙遜」「謙虚」というより「卑屈」「卑下」に感じました。 質問文では質問者さまの例と 質問者様とは逆のタイプの方の例と2パターン書かれていますよね。 すごく気になったのですが、お二人ともからあるフレーズが一切出てきませんでした。 それは「ありがとうございます。」という言葉。 あくまでも私の価値観ですが、褒められてまず言う言葉は 「そうなんですよ」と自画自賛する言葉でも、「そんなことないです」と心にもない謙遜を言うのではなく まずは「ありがとうございます」という言葉だと思うのですが。 「ありがとうございます。すごく頑張ったんです。」 「ありがとうございます。でもそれほどでもないですよ。」といえば 必要以上にバカと思われることもなければ、必要以上に見下されることもない。 謙遜か?のろけるべきか?という問題より、 なんで「ありがとうございます」の一言が二人とも言えないんだろう?と感じました。 申し訳ないですが「ありがとうございます」の一言がないばっかりに あなたも、のろける人も幼稚な印象を受けました。 「ありがとうございます」がなければ謙虚とはいえないのでは?
お礼
ありがとうございます。 そうですね。 まずは「ありがとうございます。」と 相手が褒めてくれたありがたい言葉や気持ちに感謝する事が大事ですね。
- uresiiwa
- ベストアンサー率45% (49/107)
>また違う例ですが、 >近所の方に家族を褒められて、その通りでも >「そうでもないですよ~」と謙遜すると、 >その謙遜によって、「あそこのご家族、全然ダメなんですって」と評価を落とされ見下げられてしまうのが、 >「何だかな・・・」と思ったりします。 こういう近所の人には、どう応対しても悪い方にとられかねない気がします。謙遜せずに肯定していたら、「大した事無いのに天狗になってますわ」と噂されるかも知れません。 あまり近所の方の言うことは気にせず、あなた自身がどう思うか、を大切にしていけば良いのではないでしょうか。 「自分の家族はすばらしい」という確信があればこそ、より謙虚に、謙遜しても堂々としていられるのではないでしょうか。
お礼
ありがとうございます。 >こういう近所の人には、どう応対しても悪い方にとられかねない気がします。謙遜せずに肯定していたら、「大した事無いのに天狗になってますわ」と噂されるかも知れません。 そうなんですよね。 つくづく、人間関係って難しいと思っています。 きっと、それは私のコミュニケーション力が低いからだと思います。 短い時間(答える一言)で、どう答えたら、全てが上手く良くのだろう・・・と、 悩んでしまうんです。 それで、だったらいっその事肯定してしまった方が楽なのでは?と 思ったりします。 誰がどう思っているのかなんかに振り回されるのも疲れますよね。 誰がなんと言おうが、自分の確信があればこそですね。
なんとなく、謙遜とか謙虚とか、そういうもののレベルではないような内容ですね。要するに会話の受け答え、気持ちのいい受け答えのレベルの話なんじゃないかな。 >生けた花(アレンジの仕方)を褒められたりすると 自分も良い(そうでしょ、良いでしょ?)と思っていても、 「いえいえ、そんな事ないですよ~」なんて言って流すのですが こういうときは、にっこり笑顔で、 「ありがとうございます」でおわらせればいいんじゃないですか。それ以上何かつけるから自画自賛になる。 本当は、(そうでしょ、良いでしょ?)が言いたいの? 言いたいなら言えば? でもね、傍目には、ありがとうございます。恐れ入ります。で済まして笑顔が素敵な人が好かれますよ。 謙遜とか謙虚とかってもう少し、大きな話に使ってください。
お礼
ありがとうございます。 気持ちの良い受け答えが出来れば良いのですね。 「そうでしょ、良いでしょ」は言いたくないのです。 謙る→極端に否定にしかできなくなってしまい、 「そうでもないですよ~」と答えてしまう自分が悲しくなってくるんです。 きっと、相手も作品も全てが悲しい気持ちになるから、 自分の言葉一つで、その後の全てが悲しくなるようで、悩んでしまうんです。 (謙虚は美徳といえども) 「あぁ、だったら肯定できた方が、皆幸せなんじゃないかな・・・」と思った次第です。
- JackBauerr
- ベストアンサー率7% (84/1089)
美徳ですよ。謙虚さは。間違いなく。 でも確かに言葉をそのまんま受け取られる方には、否定の意味にとられてしまうこともあります。 というか褒める人というのは、真にそう思って褒めているのではなくて 「こう言えばこのひとは喜ぶだろうな」という心理に基づいて言っている場合が多いです。 なので褒められた場合は単純に喜んだり、否定するのではなく、、 そういう相手の気持ち(相手を喜ばせようという心遣い)に感謝しておけばいいです。 上の例え(生け花)ならばなにか感謝の言葉を言っておけばいいんです。 褒める人は自分の気持ちが相手に伝わったと思うので、それで満足するでしょう。 「そんな事ないですよ~」という言葉は心のうちにしまっておいてください。 褒める人には褒める人の心遣いというものがあるので、それを汲み取ってあげることが大事です。 謙虚さは向上心や成長に欠かせないものです。 ぜひ謙虚さを捨てずにがんばってくださいね。
お礼
ありがとうございます。 間違いなく美徳なのですね。 相手の気持ちを汲み取って感謝する事・・・なるほど。 この習慣を付けたいと思います。
- -rino-
- ベストアンサー率59% (39/66)
謙遜=美徳 というのは武士道からくる日本のわびさびですね^^ 私個人は、基本的には謙遜しないで事実を言うタイプですが、 人に物をあげる際に「つまらない物ですが」と謙遜する時もあるし、 「これとってもおいしいですよ」と事実をそのまま言って渡すことも。 相手と自分の立場や、相手の気持ちに配慮することは必要だと思います。 配慮した上で言った言葉に対し、言われた相手がどう感じるかは、 相手の性格やその時の気分?次第だと思います。 例えにあげられている、家族を褒められた場合ですが、 愛妻家の人が「いい奥さんですね~」と褒められ、相手との関係や気持ちに 配慮した上で「ありがとう。ホントいい嫁なんです」と答えた場合、 「自慢だ」「たいしたこと無いくせに」とは感じないのでは? 本当に「いい奥さんだ」と感じて褒めたなら、嫉妬したりしないでしょうしね。 「この人の奥さん、嫌いだわ」と思っているのに「いい奥さんですね」 なんて心にも無いお世辞を言う人も居るでしょうけれど、 それは謙遜どうこうの話では無く、その人の性格なのでしょう。 私はそういう人とは付き合い勘弁です・・・。 >そのほうが幸せなんじゃないかな・・・ どちらを選ぶかは人それぞれなので、質問者様がそう思われるのであれば、 そうした方が良いのでは? ただし、最初に述べた『相手と自分の立場、相手の気持ちに配慮』は必要で、 バランスも大事だと私は思っています^^
お礼
ありがとうございます。 バランスですね。 謙遜=美徳と習ったものの、 最近の社会や人々の性格では、そうでもないのでは?と感じてならなかったんです。 仰るように 「つまらない物ですが」と言う言い方、 最近は、そんな言い方したら、両者ともに悲しいし、 贈り物自体の価値(?)すら、さがって見えてしまったり。 本当は、すごく美味しい物が、言葉一つで美味しく感じなくなってしまう。 そう言う習慣って、却って幸せを招かないな・・・と感じました。 いちいち「うちの愚妻が・・・」と言う言い方・・・ その「妻」(普段は一生懸命働くいい妻だとしたら・・・)に対して人権はどうなってしまうのだろう・・・ 謙っているようでいて、 誰かを立てるが為に、 誰かを「愚」と表現しないといけない言い方が、 どうなんだろう?と感じました。 謙りつつ、悲しくなります。 >相手と自分の立場や、相手の気持ちに配慮することは必要だと思います。 そうですよね。
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お礼
ありがとうございます。 そうですね。 口癖になっていて、 必ず、「そんな事ないですよ~」から入ってしまうんですよね。 その後に、「そんな事ないこと、無かった・・・あっ。」と思ったりします。 褒め返しは、返し返しが繰り返されると、 だんだん白々しくなるから程々にですね。 近所の人にどじねたなんかで返していたら、 微笑ましいと思ったら、大間違いでしたよ。 それによって評判を落としたり、 その「意外性」に勝手に盛り上がられ、 勝手なキャラが出来上がって、非常に良くないです。 そうかと言って、 仰るように肯定して良い部分を持っていると、 妬まれたりするんですよね。 人間関係(特にご近所さん)って、すごく微妙な按配がいて、難しいですね。 プラスナ事を言うにもマイナスな事を言うにも 程々が良いのだと思います。