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学校や教員の評価は一般的な方法で行われているのでしょうか。
普通、会社などの事業は、どれほど目的を達成することができたのかについて検討した上で評価されます。 義務教育を一つの事業としてみたとき、教育という業務の評価は、一般的な方法で行われているのでしょうか。 義務教育の目的は、 「義務教育として行われる普通教育は、各個人の有する能力を伸ばしつつ社会において自立的に生きる基礎を培い、また、国家及び社会の形成者として必要とされる基本的な資質を養うことを目的として行われるものとする。」---教育基本法(平成18年法律第120号)の第5条2項 とされています。 ”被教育者である子供達”が、 「成長し社会に出てから、義務教育の成果として、自立的に生きる基礎が身に付いているか、また、国家及び社会の形成者として必要とされる基本的な資質が身に付いているか。」 という、義務教育の目的の達成度についての話は聞いたことがありません。 (きちんと目的が達成されていれば、犯罪などが減り、もっと住みやすい国になるのだと思うのですが。) それとも、そうした調査や検討・評価は既に行われているのでしょうか。 学校や教員の評価は、学校や学級の”今の状況”だけを判断して行われているようにしか見えないのですが・・・。
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- azharu
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どもf(^^; >最初に「質問」に書いたとおり、義務教育の目的が教育基本法に書いてありますが、「義務教育の目的の達成度」についてきちんと評価が行われているのだろうかと言うことを教えてもらいたいのです。 う~ん、こう言うのを指していらっしゃるのでしょうか。 「教育委員会の点検・評価」(の検索結果) http://www.google.co.jp/search?q=%E6%95%99%E8%82%B2%E5%A7%94%E5%93%A1%E4%BC%9A%E3%81%AE%E7%82%B9%E6%A4%9C%E3%83%BB%E8%A9%95%E4%BE%A1&sourceid=navclient-ff&ie=UTF-8&rlz=1B3GGGL_jaJP261JP262&aq=t ほかにも時の諮問機関その他から、評価・提案を受け、ゆとり教育になったり、教育課程が改変されたり・・・とか言う面はあります。ニュースでも、よく報道されますよ。 ただ、質問文に挙げられている条文を直接、引き合いに出して、どうのこうの・・・というのは、よくわかりません。そもそも、教育に終着点なんて無いのですから、教育基本法にあるような理念を実現すべく、その時の子どもの状況に合わせて、あらゆる具体的な方法を講じているという感じだと思います。 >また、「十分な学力を身につけること」は、その目標を達成するための必要条件ではありますが、十分条件とはいえないと思います。 それなのに、いつの間にか「義務教育の達成度の評価」が「学力の評価」にすり替えられてしまっていて、なおかつ誰も(教育に携わる人でさえ)それを不思議に思わないように見えるのはどうしてでしょう。 それは質問者さんが、私の回答文をよく読んでいないからです。 「一端を担っている」「一つの」などといちいち断って回答しています。誰も「十分条件」などとは言っておりません。 質問者さんのように、「学力評価=教育の評価の全て」と勝手に決めつけた上で、それを批判する人は、なぜかよくいます。マスゴミのせいでしょうかね。私は、マスゴミに踊らされないような人になることが、社会的自立の一要素ではないかと思っています。・・・「一要素」って書いてありますからね、十分条件ではないですからね、念のため。
- azharu
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#2です(^^; 「教育の業務の評価」云々とおっしゃるので、進路状況などが、その評価の一端を担っているのでは、と#2で申し上げました。 >教育の内容よりも、入試による優秀な人材の選別の影響が大きいのではないでしょうか。 入試は、普通教科の学力を中心に評価されています。普通教科の学習は、主要な「教育内容」であり、これ抜きには学校を語れません。その達成度を測るものとして、世に「テスト」というものがあります。学力テストや大学入試は、まさにその代表的な「テスト」と言えましょう。 テストの結果は、その人の学力を評価したものですが、たまに勘違いして、人格などを評価したものと取り違えている人もいますが。 >教育の成果そのものを純粋に判断してはいないと思います。 質問者さんは、どういうものを評価したいとおっしゃるのでしょう。抽象的な言い回しを繰り返さず、明確な基準を示して欲しいと思います。何かを評価しようとする時、そこには「基準」が必要になります。 生徒や卒業生からアンケートを採って、「教育内容が良かったですか」とか「幸せですか」とかを、理由を抜きにイエス・ノーだけで答えさせるアンケートを採り、イエスが多いほど、評価が高い、とすれば良いというのでしょうか。 >さらに学校ごとではなく、個々人の教育の成果が評価されることは少ないのではないでしょうか。 指導した教員を個別に評価すると言うことでしょうか。そういうことは、あり得ない、できない、と言うことはご理解できませんか。 ある生徒が「幸せになった」とします。いや、それでは抽象的ですので、例えば何かで成功を収めたとします。それに対し、○○先生のおかげだ、などと特定して評価することなどできますか?まわりの友人や親、通りすがりの人、その生徒が接触したあらゆる人やものが影響して、そして何よりも本人自身の努力の集大成として出された結果なのです。 従って、個々の教員を評価するのは、教育を純粋に評価することにはなりません。 >そのことが、「いい高校や大学に行き、いい会社に入っても幸せになるとは限らない。」というようないまの雰囲気を引き起こしているのだと思います。 質問者さんはマスコミに汚染されていますね~。 上で申し上げたように、学歴は、学力としての面を評価した結果を言っているに過ぎません。 例えばですよ、 英語の勉強をがんばって、英検一級取ったら、それはその勉強の結果として評価されるものです。それに対し、「英検一級取ったからって幸せになるとは限らない」と言う人なんていますか。なんでそこで、幸せとか言う言葉を引き合いに出すのでしょうか。そもそも英検なんて、幸せの度合いを測る検定ではありません。 そういうわけで、ランクの高い学校へ合格することは、学力に対する評価であって、幸せの度合いに対する評価ではありません。 じゃあ幸せの度合いを計る検定なんてあるのでしょうか。 「幸せ」は人によって基準が違います。「幸せ」を計りたいのでしたら、その基準を客観的な形で示して頂きませんと、答えようがありません。なので、上述のように、生徒に「幸せか?」と単にアンケートを採って判断するしか無くなるのでは、と申し上げております。 #3の補足文で触れられていますが、 教育の目的として「愛国心」が上げられます。しっかし、左翼勢力の影響もあり、なかなか、うまくいかないでいます。こうも自国をさげすむような教育をしている国は、海外ではないように思います(笑)。 また、教育の自由の名の下に、国家が教育に対して統一したものを示すこと自体、嫌う風潮があるとは思います。
補足
>質問者さんは、どういうものを評価したいとおっしゃるのでしょう。抽象的な言い回しを繰り返さず、明確な基準を示して欲しいと思います。何かを評価しようとする時、そこには「基準」が必要になります。 最初に「質問」に書いたとおり、義務教育の目的が教育基本法に書いてありますが、「義務教育の目的の達成度」についてきちんと評価が行われているのだろうかと言うことを教えてもらいたいのです。 もし、今現在、きちんと評価が行われているのであれば「明確な基準」は、すでにあるのでしょう。 しかし、そのことについては、最初に「質問」に書いたとおり、聞いたことがありません。 また、「十分な学力を身につけること」は、その目標を達成するための必要条件ではありますが、十分条件とはいえないと思います。 それなのに、いつの間にか「義務教育の達成度の評価」が「学力の評価」にすり替えられてしまっていて、なおかつ誰も(教育に携わる人でさえ)それを不思議に思わないように見えるのはどうしてでしょう。
- mojitto
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#1です。 補足ありがとうございました。 さてさて、評価の「一般的な方法」とは何か?ということで、質問者さまは「業績評価」を引き合いに出されましたが、これが一般的な方法ですか?…という疑問は置いておいて、 >売上や利益などの業績にどれほど貢献したかを図る ことを >辞書の内容を教育の場合の条件に置き換えれば とのことですが、学力テストや体力テストは確かに数字に出るだけ分かりやすいかもしれません。 しかし、 >国家及び社会の形成者として必要とされる基本的な資質を養うこと はどうやって計るのですか? 質問者さまいわく、 >(きちんと目的が達成されていれば、犯罪などが減り、もっと住みやすい国になるのだと思うのですが。) とのことですが、これは学力でもなければ、体力でもないですよね? (全く関係ないとは言いませんが) どんな物差しで計るのでしょう? 質問者さまは「条件に置き換えれば、条件を確定すれば、可能だ」という考えでしょうけど、その条件は無限にあるといっても過言ではないでしょう。 仮定が成り立たなければ、不可能ということです。 (ただし、評価はしなくてもいいというわけではありません) それに、それをすべて学校や教員の評価につなげるのも間違いです。 教育の最大の協力者であり、最大の邪魔者(?)の保護者の存在を忘れていませんか? 子どもがどう育ち、どれだけが家庭で、どれだけが学校で育ったかを判断することはとても難しいと思います。 よって、条件が複雑であること、学校の貢献度が不透明である点を考えたら、一般的な方法(?)で評価は難しいでしょう。 ですから#2さまの回答にもあるように、「評判」に頼るところはかなり大きいと思います。
補足
返事が遅れてすみません。 >>国家及び社会の形成者として必要とされる基本的な資質を養うこと はどうやって計るのですか? どうやって計るのでしょう? 目的を達成するための評価の基準を決めていないのが、今の日本の教育です。 この疑問を取り上げることがないのが、私たちの社会です。 ちょっとおかしくないですか? >それに、それをすべて学校や教員の評価につなげるのも間違いです。 教育の最大の協力者であり、最大の邪魔者(?)の保護者の存在を忘れていませんか? 私個人としては、子供の教育について最大の義務と責任を負っているのは保護者だと思います。 しかし世間では、教育を学校に押しつけておきながらそれに不満を持つ保護者が多くいます。 保護者のうちで、前者が協力者となり、後者が邪魔者(?)となるのでしょうか。 それはさておき、法律で定める教育の目的を達成するためには、学校や教員の評価のための大きな材料の一つとしてとりあげることはひつようだと思います。 もっとも今の日本では、学校や教師に対して何が求められているのかはっきりしません。 教育基本法の目的など、知っている人もほとんどいません。 目的が無視され、それに変わる希望もはっきりしていない今の状況では、人それぞれの基準によって何となくランク付けされている、#2さんの言うような「評判」がものを言うのでしょう。
- azharu
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>という、義務教育の目的の達成度についての話は聞いたことがありません。 学力テストは、その一端を担っているような気はします。 また、世の失業者が何%いるかが、多少は関連していると思います。自立的に生きる基礎が、あまり身についていない人ほど社会的に下の部類の職業にしか就けず、不況の影響も受けやすいので。 >学校や教員の評価は、学校や学級の”今の状況”だけを判断して行われているようにしか見えないのですが・・・。 追跡調査、という意味でしょうか。 とりあえず、難関と呼ばれる学校を出た人は、比較的将来、各界で活躍されているようには思うのですが。卒業生の進路などは各学校でもある程度おさえていると思います。これらは”未来の状況”とは言えないでしょうか。 また、高校から大学へ推薦合格した学生など、追跡調査しているケースは良くあると思いますよ。今後、その高校から推薦合格を出すかどうか検討したりするために。 また、企業などでも、有能な人材はどこの学校出身か、などのデータは、経験的にも持っていると思います。世間はそれを「学歴社会」と言って批難したりするかも知れませんが。 いわゆる高校や大学の偏差値ランキングなんて、一つの立派な評価だと思います。誰もが行きたがるため受験者が多く、競争率の高い、学校ほど、偏差値ランキングでは高く評価が出るので。また、それは卒業生が社会から高い評価を得ている事とも関連してくると思います。 小中学校(義務教育)でも、「あの学校の生徒はしっかりしている」とかとは地域の人や、学校関係者の間では、大体、知られています。しかし、こういったことを客観的に公の機関が明文化するのは波風が立つでしょう(笑)。問題の多い学校ですと、教員の左遷先(問題教員収容所)になっていたりもします。 公立の学校では昔、勤務評定問題とか言って、教職員組合と行政がもめたことがあったように思います。 公式の評価としては、学校長や指導主事が、個々の教員を評価したりはしますが、形だけの、当たり障りのない評価しかしていないように思います。新採用の教員は、大抵、1年目は仮採用となっていますが、2年目以降も在職していて当たり前の空気はあると思います。
補足
>また、企業などでも、有能な人材はどこの学校出身か、などのデータは、経験的にも持っていると思います。世間はそれを「学歴社会」と言って批難したりするかも知れませんが。 教育の内容よりも、入試による優秀な人材の選別の影響が大きいのではないでしょうか。 教育の成果そのものを純粋に判断してはいないと思います。 さらに学校ごとではなく、個々人の教育の成果が評価されることは少ないのではないでしょうか。 そのことが、「いい高校や大学に行き、いい会社に入っても幸せになるとは限らない。」というようないまの雰囲気を引き起こしているのだと思います。
- mojitto
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補足の要求としては… Q.1 >一般的な方法 とは何ですか? Q.2 その方法を教育現場に当てはめることは可能ですか? Q.3 その評価法とやらが、教師各個人に適用でき、その結果はいつごろ現れるのですか? そして最後に言いたいのですが、 >”今の状況”だけを判断して これは学校よりもむしろ、民間のほうが“今の状況”を判断している割合は多いと思います。 それは民間企業に勤めている私が、そう思います。 むしろ教師のほうが“今の状況”だけで判断しているようには思えません。 補足をよろしくお願いします。
補足
Q.1 >一般的な方法とは何ですか? 業績評価 会社の売上や利益などの業績にどれほど貢献したかを図る、個人やグループ、事業部単位での評価。 ・・・goo辞書 辞書の内容を教育の場合の条件に置き換えれば一般的な方法といえると思います。 Q.2 その方法を教育現場に当てはめることは可能ですか? 世間一般的な判断で、可能かどうかはわかりません。 私の考えとしては、教育にかかわる特殊な条件をきちんと確定した上で、当てはめることは可能だと思います。 Q.3 その評価法とやらが、教師各個人に適用でき、その結果はいつごろ現れるのですか? お分かりとは思いますが、子供が大人になり教育の効果を判断できるようになるためには時間がかかります。 それに基づいて教育内容を変更し、その結果が判断できるようになるまで、さらに少なくとも同じ時間がかかります。 そうした作業は大変な時間がかかると思います。 だから無視してもいいということにはなりません。 >これは学校よりもむしろ、民間のほうが“今の状況”を判断している割合は多いと思います。 民間の場合その結果が現れるまでの時間が短いからだと思います。 たとえば目的が、 「自分の会社の開発した方法を広く認めさせ、世界標準とする。」 というような大きなものであれば、時間もかかるでしょう。 >むしろ教師のほうが“今の状況”だけで判断しているようには思えません。 今の学校、教員の評価は、教育課程・学習指導・学力調査、運動や体力に関する調査などの現在の状況を判断して行われていると思います。 http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/18/03/06032817/002.htm 教師は、たまに同窓会に招かれることがある程度で、ほとんど社会人となった教え子の様子をを知る機会はありません。 教師が自ら社会人となった教え子の様子を調査したという話は、特殊な場合を除いて、聴いたことがありません。
お礼
回答ありがとうございます。 「教育委員会の点検・評価」(の検索結果) http://www.google.co.jp/search?q=%E6%95%99%E8%82%B2%E5%A7%94%E5%93%... を見てみましたが、ほとんど「教育委員会」の仕事状況に関する「点検・評価」ばかりで、「義務教育の目的の達成度」として教育を受けた生徒についてふれている内容を見つけることは出来ませんでした。