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いじめは無かった、とか言い切る学校関係者への評価について
いじめ問題があるたびに良くタイトルのような事がありますが どう見ても言い逃れにしか見えません。 彼らは何に対してこんな言い逃れしなければいけないのでしょう? 世間体等の評判?教育委員会等の上の存在? 少なくとも前者に対しては完全に逆効果としか思えません。 火に油を注ぐようなことにしかならないと思うのです。 そして後者に対して思うのですが 上の存在に対していじめが無い、と言った方が評価が高いからとか よく言われますがそうだとしたらその評価そのものが間違っていると 思います。 今の世の中を考えれば 学校にいじめは何かしら存在するものであるという前提で、 「いじめが無い」と言い切れるのはそれを見つけ出せない無能さを、 または見て見ぬ振りをして問題に対応しようとしていない無責任さを さらけ出しているだけとしか思えないからです。 だからいじめが無いと言い切れる学校関係者などは評価を低くすべき… そう思うのです。 しかも学校関係者が公でその類の発言をしている時は自殺等、 いじめ関連でその学校内で問題が起きていると誰もが考えている時です。 そんな時にそんな発言ができる事自体、さらにおかしいと思うのです。 「上」の評価が「いじめが無いと言い切る学校関係者は無能」であるなら こんな事にはならないと思うのですが、なぜそうならないのでしょうか?
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> 「上」の評価が「いじめが無いと言い切る学校関係者は無能」であるならこんな事にはならないと思うのですが、なぜそうならないのでしょうか? 「いじめが無いと言い切る学校関係者は無能」では、評価基準として成立しません。 それでは、実際にいじめが無い学校の評価が正しく行えませんから。 また、「いじめが無かった」 或いは 「いじめの事実を把握していなかった」と発言する理由は、評価どころの問題では無いからでしょう。 「あった」 或いは 「把握していた」と発言した場合、いじめを認識して放置したことになりますので、当然、行政・学校関係者の管理監督責任が問われます。 すなわち、発言者は刑事責任を負う可能性が発生し、犯罪者になるかどうか?と言う問題であり、単に教育界における保身のためだけではありません。 言い換えれば、所得の減少や社会的立場の下落では無く、公民権の停止等、更に上位概念の権利の喪失が発生する可能性がある発言だからです。 従い、評価の仕組みなどを変えても、殆ど意味は無く、刑法などを変えない限り、無責任と思われる発言は無くならないと思います。
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- key00001
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No.2です。お礼ありがとうございました。 質問者様のご意見は、道義的には正しいと思いますが、極めて感覚的です。 ご質問文では、主に「評価の仕組み」に言及しておりますので、それは不適切・不可能という結論以外、有り得ません。 再調査であろうが、いじめを認めた瞬間に、刑事責任を負うことになると同時に、教育界での処罰も、人事・評価の問題では無くなり、懲罰規定に則ることになります。 労働上、懲戒解雇が最も重い処罰です。 懲戒解雇は、刑法で言えば死刑に相当する最高刑です。 死刑執行後の死刑囚の評価など、作成することは困難であり、かつ何の意味もありません。 事件後、「いじめがあった」と発言することは、当然、懲戒解雇を視野に入れた発言であり、その瞬間に人事や評価の及ばぬところになります。 従い、「いじめが無いと言い切る学校関係者は無能」などの評価は、「死刑を認めない被告人は悪」と言っているのと似た様なものです。 これは、人事の中で評価されることではありません。司法に委ねるべき事項です。 犯罪を犯している場合は極めて当たり前であると同時に、冤罪や情状酌量の可能性もありますので、慎重な議論が必要です。
お礼
重ね重ねありがとうございます。 やっぱり理想の域を出ないですかね…
教育関係者が腐っているからでしょう。 刑事責任を負いたくないという『組織の保身が一番』なこの国に有能な人を育てられるはずがない。 少なくとも狡賢い社会にするのには貢献するのでしょう。 こんな教育関係者が多いから教育がだめになる。 理想も夢も持てなくなる。 だから『子供の自殺』も防げない。 すべてを正直にやって潰れた方がよほど健全であり、長い目でみたらこの国の為にもなるでしょうね。 質問者様のような人が増えるといいですね。
お礼
ありがとうございます やはり保身、その一言に尽きますか。 ドラマの悪役のような事を素でやってるようなのがのさばってる以上、 そうならざるを得ないんでしょうね…
- disease
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「いじめが無かった」を言い通さないと担任・校長の責任が問われます。 だから絶対無理な場合を除いて「いじめが無かった」と言うのは当たり前のことです。 「いじめが無かった」を言い通して処分を免れた関係者はたくさんいます。 いじめがあったとしても責任を取らずにすませるのが有能なのです。 「いじめが無いと言い切る学校関係者は無能」なのは理想論です。 世界中が兵器を捨てて戦争を止めれば、皆が平和で幸せになるのにテロも戦争も兵器開発も無くならないのと同じことです。 理想論で世の中が回るなら、とっくにそうなってます。
お礼
ありがとうございます 自分としては事件が起きた時点で既に何かしら責任が生じてると思うんですよね だから発生してる責任を取らずに済ませるのは責任逃れする無能と捉えてます 「無かった=見つけられなかった・見つけようとしなかった」と 責を問う事がされるのならなぁ… いっそもう上の方が自分棚上げでもいいからそういう評価基準に 強引に書き換えてしまえばいいのに、とか思うようになってます
- buster0824
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多分世間の皆が思っていることだと思います。 ただ、今の世の中をみて、日本を仕切っている政治家達が自分たちの不正を隠し、問題があっても「問題はない」と言い切りうやむやのうちに話が無くなっているという世の中です。 日本のトップの姿勢がまずは「臭いものには蓋をする」ですからその下の下の下の人たちは当然、臭いものには蓋をしないといけないんです。 正直謝ったところで自分の為には全くならない。 いっそのこと自分たちには関係ないと言いきった方が自分の保身の為にはいいという事です。 知らぬ存ぜぬをつき通すことで話をはぐらかしうやむやにしてしまいたい。そういうことです。 上と言ってしまえば日本のトップから入れ替えてしまわないと変わらないと思いますよ。
お礼
ありがとうございます 確かに上の上がそうならそうなりかねないんですね 回答者様の言う通り世間は皆分かってるはずなのに歯がゆい…
お礼
ありがとうございます。 個人的にはいじめがない所でも無い、とは言い切っちゃいけないと思います 現実に無いような所でも対策が功を成していじめの芽を潰した経歴とかがある、とか そういう事があるはずだと思うんですね。 確かに認識して放置していた、という事だとかなり言いにくい事になるのでしょうが 「改めて調査した上でも見つからなかった」とか言い出すのは 流石に節穴過ぎる、もしくは見苦しい逃げ口上なんじゃないかな、と 思うのです