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江戸時代の身分
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江戸時代の中間層では、商人を含む町人から武士へと身分変更したケースが結構あります。 当時、貧乏な御家人が多くおり、彼らは金と交換に養子を迎え、役人の地位を譲り渡しました。こうすれば、幕府がつづくかぎり、役人に付随している幕府からの米が毎年支給されます。 勝海舟の家ももとは町人ですが、金で御家人株を買って幕臣となっています。 こういうケースは特に幕末になるほど多くなっています。
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- yoosie
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ddysm866さんが間違った認識を持つといけないので一言。 藩、幕府は存在しました。 おそらくPENPENMAKKYさんは言葉のことを言ってると思うのですが 確かに、藩、幕府は幕末になって使われたようです。 ただ言葉を使わなかっただけで認識はありました。 それまでは幕府を公儀と読んでいました 苗字については、武家以外も苗字は持っていましたが名乗ることは出来ない。 つまり、もぐりの苗字、非公認の苗字は持っていました(全員ではないですが) 大名行列は普段はダラダラ歩いていましたが宿場では隊列を組みました。 ただ、周りが土下座したのはどうだかわかりません。 江戸で節句などの登城日は、大名行列を組んで登城しましたが、 それを見学するのが、江戸の観光名物でした。 ということは、 土下座してたら見れないわけだし、わざわざ土下座しに 行く馬鹿も居ないはず で、質問にもどりますが、藩に貢献したり、献金したりで武士になれる藩もありました。 珍しい所では、漂流してアメリカから帰国した人が武士になったこともあります。 藩によってまちまちです。 あと、武士と言っても上士、郷士と階級がありますけど、足軽だと武士だかどうか微妙です。
お礼
なるほどです。いろいろと奥が深いですねーみなさんよく知ってらっしゃるなあと関心しています。
- Tacosan
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厳密にいえば「士農工商という枠組み」はあったといっていいんじゃないかなぁ>#2. まあ, 今で言うと「階級ごとに住民登録する場所が決まっている」, つまり「武士」とか「農民」とかの階級が「登録された場所で決まる」というくらいなわけですが. あ, 「枠組み」はありますが, 基本的に「そのどこかにいれば OK」というシステムであって, 階級間の移動は割と自由でした. 調査によると, 約半数の人間が「階級間の移動を経験している」という結果もあったりするそうです.
お礼
そうですかー なんだか皆さんのご意見を聞いていると,教科書に書いてあることとは違うんですねー 再認識しました。ありがとうございました。
- PENPENMAKKY
- ベストアンサー率17% (344/1984)
江戸時代ですが、学校教育と事実は違ったものです。 士農工商なんぞは存在しません 藩・幕府という言葉も存在しません 名主は選挙で選ばれます 武家以外も苗字を持っています 一揆・打ち壊しは武装蜂起ではありません 有能な人は城に取り立ててもらえます 参勤交代の大名行列はほとんど存在しません 学校教育の常識に囚われると、まず事実とぶつかりを起こします。
お礼
なかなか興味深いご意見ですね,常識がくつがえりそうですね ありがとうございました。
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