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現代日本に住む芸術家の皆さんは、今、何を目的に活動しているの?

h1g2h1g2の回答

  • h1g2h1g2
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回答No.3

>矛盾に挑んでこそ、現代の芸術家ではないのか? その問題に挑んでる人はちゃんといると思いますが、作品に表れていないか怖くてできないか色々な問題があるんだと思います。 わからないのもいますが、大体芸術家には二種類いますよね、モダニストとアヴァンギャルドで。 モダニストというのは人に好かれることをやるようないってみれば芸術屋さんでしょう。アヴァンギャルドは時代と対決する芸術家。 アヴァンギャルドになるのは中々難しいことなんですよ、本質的な問題を掴み取り、その上で本当に新しい形式でその問題作品を提出しなければならないので。 まず技術を追って過去の形式ばかりみていたら当然本質などつかめるわけがない。鋭敏であり、自分にも他人にも遠慮しないことが条件です。 >芸術を論理的に語ることは愚行とされてしまうのか? これはおそらく保身のためだと思いますね。 本質を一人のアヴァンギャルドに突かれたら、一気に権威は崩れ去る。 今までもやっぱりそうだったんですが、時の権力者というのはいつでも権威を守ろうとする、だから一般に芸術がこうだというのを開放されると枠を作っているひとたちにはまずいことなのでしょう。 やっぱり権力者に大勢の人は従うので、そんなんが一般に「ああそういうものなんだ」くらいに受け止められて枠ができるという具合じゃないですかね。 たいていアヴァンギャルドは生きてるとき認められないです、権力者が押さえ込むんで。 それで死んだあとに注目されるパターンが非常に多いですね。 それで今度はそれを時代に合わせるようにして流行の大移動が始まるわけなんです。 >こんな世の中の状況の中、現代の芸術家は何を目的に絵を描いているのかも教えていただきたい。 おそらくほとんどが本質的な問題を含んでいないうわべだけの形式主義。最近はコンプチュアルな謎解きみたいなアートが流行みたいですね。あとはただ人を夢気分にさせ、楽しませるような浮かれた装飾主義じゃないですかね。装飾は人に好かれるんで都合がいいんです。 ごくわずかな芸術家が本質をつかもうとしたりして大変悩んでおられることでしょう。 私は一般人ですが、芸術のルールをそんなに知らないのでこんな物言いができるんです。でも芸術なんてそんなものなんじゃないでしょうか。 ちなみに私が日本でもっとも本質をついていたと思う芸術家は岡本太郎だったと思いますね。 太郎さんは死んでますが、書籍の中で今なお色あせることがない本質的な問題をついていると思います。古いところもありますが基本的にまだ生きてますね。 ほかに横尾忠則さんなんかも日本のアヴァンギャルドです。

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