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現代に現代音楽やってるヤツの頭はあれ。
現代に現代音楽やってるヤツの頭はあれ。 大学で、実験音楽や電子音楽、ミュージック・コンクレートやってます。いや、正確には、やっていました。というのも、飽きましたし、あほらしいです。 確かに、現代音楽は存在するべき一つのジャンルでしょう。 ただ、それでも、シュトックハウゼン。ピエール・シェフェール、などの創始者だけが製作していれば良いし、それだけで事足ります。 というのも、学校で実験音楽コンサートをしたのですが、ま、大体適当に製作しようと、時間かけて製作しようと、それなりに現代音楽っぽくなるし、コンテストにも入賞してしまう。ほぼ努力なし。審査方法はセンスがあるかどうか?みたいな非常に抽象的な基準だし。 こんなんじゃ、コンテストに入賞しようが、誰かから褒められようが、全く嬉しくないです。 しかし、それにも関らず、現代音楽やってる人は変な優越感持ってますよね?進歩的だとか何とか言って。しかも曲を非難されれば、「なんだ、こんな進歩的な音楽が理解できないのか?センスのないやつ」と、ますます優越感に浸るし、それか、「己の感性に、自由に、個性的に、音を表現した」みたいな理論(?)を並べるばかり、 セコイです。非常にセコイ。 しかも、曲の感想を聞きたいと思いアンケートをとろうとすると、教授から「そんなことして、曲を非難された文章書かれたらどうする?すごくみんな傷つくと思うな」とかなんとか言われて却下されるし。俺達は芸術家だろ?傷ついたっていいじゃん?そんなに現代音楽は大勢の人々からクソにしか思われていないという現実を見るのが怖いのか~!! 蛇足になるが、現代音楽やってる他校もふくめた教授たちは、なんかどいつも胡散臭いです。芸術を愛していません。単に日本でやってるやつ少ないから教授の地位にもつけただけ。しかもその地位を捨てたくないから心の中で「つまんねぇ~」とおもいつつも、自分に嘘ついて現代音楽やってんじゃないのだろうか?どうも、そんな気がする。 みなさんは、どう思われるでしょうか?
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最初質問のタイトルからやけに攻撃的な人だな~ と思い質問文を読んでみてニヤニヤと笑ってしまいました。 nitoro2さん本当に音楽が好きなんですね。 なんだか安心しました。日本にもこんなに音楽というか芸術に 愛をもって接している人がいるんだなと。 芸術を学問のように扱うのは私は本当は苦手です。 私は畑違いというか美術特に絵画を長い間勉強してきました。 だからほかの音楽の知識をたくさん持っている回答者さん と比べると何にも分かってない人間かもしれないですが同じ ことが美術の世界でも起こっている気がします。 明らかに何でもありが進みすぎて収集がつかなくなってるのか その道の人が引っ込みがつかなくなってるのか分かりませんが 現代美術の世界ははっきりいって絵を描いたり彫刻したり することが特別な行為ではなくなっているような気がします。 気軽な雰囲気はいいのですが学問として教えるのなら もっとクリアーな事物であればいいのになと思うことに 結構出会いますね。 現代美術なんかだと学問として接する人よりごく一般の人 がある日突然なにか絵を描きたくてと始めたりすることが 結構あって、なかなか面白い展示や綺麗なモノを作ったり することがあるのですが、誰かに絶賛されたいとかそういう世界 ではないですね、逆に誰からも相手にされなくてもいいかな? と思って展示してあるものもあってなかなか興味深いです。 nitoro2さんも音楽を愛しているのなら別に教授が面白くなくて もいいじゃない。ほっときなさいよ。そんなことより 好きに演奏したり作曲したり楽しんで音楽を追求してみたら いいんじゃないかな?自分がいいと思う世界に近づくように。 そのうち胡散臭いおじさんたちは死んでいなくなるから と質問文を読んで思いました。門外漢より
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- takeches
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確かに、その教授の言っている内容については質問者様と全く同じように感じています。 しかし、だからといって現代音楽を創る人の誰もが芸術を愛していない、と断定するのはいかがなものかと思います。 質問者様のいう現代音楽がどこまでを示しているかはわかりませんが、いつの時代も作曲家は常に現代音楽を作っています。 後年のモーツァルトにしたって、短調の曲はまったく受けいれられず、非常に不評でしたし、ベートーヴェンの交響曲も、あの有名な第五番の初演は失敗に終わっています。ブルックナーの長すぎる交響曲も、コンサートで3人しか拍手しなかったという逸話もありますし、マーラーの曲がむちゃくちゃな評価を受けていたのもご存知かと思います。 では彼等は音楽を愛していなかったのか。 否。寧ろ、愛していたからこそ、斬新な曲を作ったのだと思います。現代の人だってそうです。人によっては、ただ斬新というだけではなく、それまでの音楽に繋がるような現代音楽曲を創っている人までいます。私はどの音楽にも公平なつもりです。確かに「クソ」ばかりを作っている作曲家もいますが、現代音楽というジャンルにありながら、珠玉の作品を作る方もいるのです。 良いものは良いのです。 現代音楽に対して不満があるのは当然だと思いますが、それを全ての作曲家にあてはめることは、これはまた別の話かと思います。
私も音楽に対しては強い考えを質問者様と同じくもっております。 ちなみに絶対音感所持者です。 まず、飽きたのであればやめればいいと思いますが、私は音楽が大事ですので辞められないですね。 コンサートに優勝だの褒められてもうれしくないといいますが、審査員は色々考え方もあるでしょうし、いかなる理由で納得いかなくても、こんなもんかよと思っても、審査員が判断したものが、コンクールの評価です。コンクールに審査員の考えは含まれますんで。 あと、評価されたいがために音楽をやっているのですか?? それじゃないなら、別に軽く流せばいいと思います。 音楽やってる人は、私の著名な周りの人々も変人が多いですし、大学卒業時に音楽から卒業したくないと4年の冬にいきなり退学した人がいたりと、変なやつだらけですので、我心がつよいのも、自分の考えや、優越感をもった発言もいたっておかしくもないでしょう。 音楽は主張すること大事だと思います。 教授がどうだとか色々おっしゃってますが、質問内容をみてるところ 他の方々の意見や周りを意識してるような質問ですね。 もっとおおらかな気持ちで望めば良いと思いますよ。 周りを気にせずに楽しみましょう。それができないのであれば、それから考えればいいと思います。音楽の質問に対しては以上です。 頑張ってください。
> 大学で、実験音楽や電子音楽、ミュージック・コンクレートやってます。 ということなのですから、現代音楽に多少なりとも興味があってその分野に進まれたわけですよね。 それで、飽きてしまったのなら、止めればいいと思いますよ。 現代音楽は「知性」よりも「知的階級性」に訴えるという側面があります。だから「こんな進歩的な音楽が理解できないのか」という発言が出てきてしまうわけです。 かつては、共産主義思想も、知的階級性を担保した時代がありますから、似たようなもんですかね? しかし、現代音楽がさらに発展を遂げるかどうか、については、内部からは正しい判断はできないでしょうね。 例えば、音楽学者の沼野雄司氏は、その著書「リゲティ、ベリオ、ブーレーズ」で、「現代音楽は他のジャンルに溶け込みながら安楽死を迎える」と予言しておられます。 現代音楽は、過去との離反・否定を目指す潮流から生まれてきたものです。現代性を映す鏡が、「同時代の聴衆・パトロン」ではなく、「過去の音楽」のままであるならば、今の「現代音楽」の斜陽化は避けようもないでしょう。もちろん、才能(商才?)のある作曲家は、それでもやっていくでしょうが、現代音楽という巨大?潮流は矮小化の一途をたどると思われます。 また、逆説的な話ですが、「こう作曲しなければ現代音楽」らしくない、と考える人が増えていく過程は、現代音楽の発展過程ではなく、発展が減速しジャンルとして成立していく過程と見ることもできます。
- tio_elemen
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どんな音楽も初めは誰も聴いたことないような奇怪な音だったでしょうが、音楽そのものは何も変わっておらず、庶民が響きに馴れて、心地よいと思ったりするように誘導されてきたからじゃないでしょうか? そんなことをいえば少数民族の内輪の音楽とかはどうなるのですか?質問者などの考えですと、これらも音楽に含まれないことになってしまいます。アフリカの少数民族にモーツァルトを聞かせたら彼らはそれを雑音としかみなさなかったという実験結果が残っています。 現代音楽 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E9%9F%B3%E6%A5%BD にあるように、「感覚ではなく知性に対する働きかけをする」音楽です。 質問者の「どこに魅力を感じていますか?」という質問ですが、私はそここそに魅力があると思っています。 音の持つ可能性を追求して「こんな音もある」「こんな響きもある」という発見をしていくことは私にとって新鮮な研究です。 とりあえず、こういう世界もあるのです。音楽は発展していくものです。調性という組織があったらその可能性を追求し、楽器があったらもっと幅広い表現ができるように改良を重ねる。上を上を目指していきたいという人間の知性です。当然です 現代音楽の発展は、人類の歴史にとって当然の過程です。 #2に対する回答の >「非難するとあなた自身がその人たちよりももっと卑しい人間になってしまうんじゃないでしょうか」 それはどうしてでしょうか? そんなこともわからないのですか?言葉遣いがひどいです。こういう公共の場で質問するときにとる態度ではありません。自分が一番正しいと思って違う考えを非難するというのも人間として最悪です。そこは反省してほしいです
- k-think_so
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興味のある内容だったので、傍観していましたがコメントさせていただきます。 質問者さんの御意見ですが、まったくその通りです。と言うより現代音楽がまだ若すぎるのです。そして何ら確立されていないので受け入れる人々も数多く居ません。 専門家は現代音楽を「これが芸術(音楽)なんだ」と言いますが、No3の方の言う「どんな音楽を作っても、どんな絵画を描いても一般に受け入れられない物はどんどんと淘汰していくでしょう」の通り、いくら専門家が「すばらしい芸術」と言っても一般庶民に受け入れられなければ消えていきます。そして音楽として認めてもらえなくなるのです。ポップス、ロック、ジャズ等が早く受け入れられたのは、一般庶民が認めたからです。専門家もそれをわきまえないといけません。 また音楽について、No4の方が「そもそもこの「音楽の範囲」って誰が決めてるのですか?芸術をよく知らない一般庶民です。私は専門科(の卵)なので、このような定義には疑問を感じます~音楽とは広い意味で音による時間の表現だと思っています」と言われていますが、「音楽」とは文字通り音を楽しむ物であって、不快感を得る場合は音楽ではなく「雑音」あるいは「騒音」と言います(と書くと音楽嫌いの方はすべての音楽を騒音などと言われるでしょうが、一般的な意味ですのでご了承ください)。また、先も述べたように一般庶民から排除されたくなければ「芸術をよく知らない一般庶民」的な考え方自体止めた方が良いでしょう。 発展途上の現代音楽を「音楽」とする言葉そのものがそもそも間違いであり、「音学」または「音術」という分野を作るべきだったのです。これは専門家の方々の不手際、怠慢と言った所でしょう(個人的には音術の方が混同しないのでいいですが。。)。 質問者さんが、「大体適当に製作しようと、時間かけて製作しようと、それなりに現代音楽っぽくなるし、コンテストにも入賞してしまう」と言っていますが、これはあって当然です。芸術の範囲ですのでインスピレーションの問題です。時間をかけるかけないは関係がありません。 もし現在の現代音楽という分野がこのまま残ったとして、確立されるにはまだ100年位かかるのではないでしょうか?
お礼
ありがとうございます。 そうですね、「音学」と名乗って研究室に閉じこもって音の研究だけやっておくべきですね。あんなもの作品にして発表されたら聴かされる方が迷惑ですよね。 確かにインスピレーションは大事ですね。 しかし、実験音楽は、そのインスピレーションが湧き出てくる前の状態、つまり、ほんっと~に適当に作っても、これは「実験音楽です」と一言言えばなんとなく筋が通ってしまうという。 むしろ、そちらの方が「斬新だ!」と言われて喜ばれるかも(笑)。
- Vwiyoonn
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んー、素人の現代音楽好きですが。 質問者さんのいらだちは「おれは音楽の最先端を探求する『実験音楽』をやってるはずなのに、やってることといえば既存の作品の模倣ばっかでちっとも実験性も革新性もないじゃんかよぉ。おれはこのたぎる情熱を既存の技法とは一線を画した斬新な手法や技法でもって表現したいのに、どーして音大ってトコは既存のものに縛られた表現しか許容しないんだぁぁぁぁっ!」と、いったものではないかと思われます。 しかし、一般的に大学は表現の場ではなく教育の場です。 つまり優先事項は、学生に既存の理論や手法や技法を習得させることとなりますし、評価もまた習熟度に応じたものにならざるを得ないのは論を待たないでしょう。 が──、音大という、表現者を教育する、しかも先鋭的な表現者を育成する機関となると余計に既存の表現に対する深い理解が求められるように思われます。 実際、本人だけが「画期的に斬新!」と、力んでも、はたから見れば(いや、聞けば)凡庸極まりない作品は音楽に限らず日々ゴマンと産みだされており、その原因は慢心からくる不勉強というのが相場です。 思うに、音大の教授ともなればいやっていうほどそうした作品に接しており、「いまさらお勉強が足りないっていうのもなァ」なんて思っていないとも限らないでしょう。さもなければ「どーせいっても自分の勉強が足りないなんて信じやしないしなァ」と考えているかも知れません。 とりあえず、担当教授に「弟子にしてください」と、土下座させるほどの作品をつくれば総ての問題が解決するのでは?
補足
いえいえ、むしろその逆の節があるのです。 「どんな形の曲でもいいよ」 「人それぞれに個性があるように、どんな音楽もそれぞれ素晴らしい」 とかなんとか、現代音楽らしければなんでも許容していしまうという、なんと言うか、自由すぎて面白くないのです(あっ、これは現代音楽ではなく、大学への不満だね)。 返って、既成の和声法とかリズムがあると、ダメだとか言っています。
- tio_elemen
- ベストアンサー率25% (41/160)
>現代に現代音楽やってるヤツの頭はあれ。 私は現代音楽やってるものです。頭があれだって?こういうことはここではなく、有名な某大手掲示板に書きましょう。 #3さんの回答より >ただ、音楽はそもそもリラクゼーション。心を落ち着けるものであって、音楽を聴いて不快になるのであれば、技法的にどうあれ、基本的にそれは音楽の範囲ではありません(一般的な意味で)。 そもそもこの「音楽の範囲」って誰が決めてるのですか?芸術をよく知らない一般庶民です。 私は専門科(の卵)なので、このような定義には疑問を感じます。 もちろん回答者さんが言われていることも音楽ですが、音楽とは広い意味で「音による時間の表現」だと思っています。音楽はあるときは図形であって、ある時はカオスな空間である。その状態の変化こそが音楽だと思います。 質問者様は少々言葉遣いが悪いですが、とりあえず自分の信じることをしてみてください。何か答えが出ると思います。
お礼
ありがとうございます。 tio_elemenは現代音楽のどこに魅力を感じていますか? 音を数学的に捉えるとか何とか(十代の頃はこれが非常にかっこよく思えた)、それがだから一体なんなの!?って一度でも疑問に思っちゃうと、目からうろこ、まったく面白く思われなくなってきます。 というより芸術は独創的でなければならないと言う近代的な思考自体を疑うべき時代になってきているのでは?と個人的には思います。
- chubuchubu
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その通りです。 一般の人から見れば現代音楽なんて訳の分からない音の羅列。 それをすばらしいと言う人自体、眉唾ものだと思われても仕方の無いことだと思います。 もちろん、それらを研究している人の方向性を非難するものではありませんが・・・。 実験音楽をやっておられたそうですが、何か成果はあったのでしょうか?成果が何かあったのであれば、やっていたことは成功だったと思いますが・・・。 ただ、音楽はそもそもリラクゼーション。心を落ち着けるものであって、音楽を聴いて不快になるのであれば、技法的にどうあれ、基本的にそれは音楽の範囲ではありません(一般的な意味で)。 だから、現代音楽は一般の人に受け入れられないのだと思います。 絵画でも同様ではないでしょうか? 音楽も絵画も好き嫌いはあるにせよ、絵画の抽象画などはまさしく現代音楽のそれと同じことが言えそうです。 どんな音楽を作っても、どんな絵画を描いても一般に受け入れられない物はどんどんと淘汰していくでしょう。
お礼
そうですよね。当時は電子音自体がまだ珍しかったのでそれなりに意味はあったと思うのですが、器材も発達した現在になんでわざわざやらなきゃいけないのか?しかも、みんな個性的な作品過ぎて、逆に誰のものを聴いても一緒に聴こえてしまい、個性0。幼稚園児でも簡単に作れちゃう気がするし。 成果はほとんど何も無いです。実験音楽なんて音楽じゃないということを、実験音楽に教えられたということぐらいでしょうか? 絵画と音楽を同一に捉えてはダメだと思いますね。 抽象画は「一瞬」で感覚に訴えてくるし、退屈しません。 それに引き換え、実験音楽は、基本、無駄に長くて、暇です。眠いです。コンサートではほぼ全員寝てました。こんなの芸術じゃない。 そうですね、こんなものはどんどん淘汰されてしまえばいいんです。
- okyosh
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あなたは今までそれをやっていたのでしょう? 考え方が変わることはよくあることです。 だからといって、打って変わって非難を浴びせるのはどうかと思います。 非難するとあなた自身がその人たちよりももっと卑しい人間になってしまうんじゃないでしょうか。 自分が今までやってきたことに価値が見出せなくなったのなら、黙って去るだけでいいと思います。そして本当に自分が一生懸命やれる方向へと向かってください。 胡散臭い世界というものはたくさんあります。 それが嫌なら、自分の納得できる世界を自分で作るまでのことです。 そう信じて自分のやるべきことを続けていけば、きっと道は開けていくと思います。
補足
>「非難するとあなた自身がその人たちよりももっと卑しい人間になってしまうんじゃないでしょうか」 それはどうしてでしょうか? 道が開けるよう、頑張って生きたいと思います。
- yukarikihara
- ベストアンサー率11% (42/359)
大体においてその通りだと思います。
お礼
そうですか。ありがとうございます。
補足
回答ありがとうございます。 >「非難するとあなた自身がその人たちよりももっと卑しい人間になってしまうんじゃないでしょうか」 それはどうしてでしょうか? これはですね、実験音楽やってる人たちは、作品を非難されると、上のように「非難するとあなた自身がその人たちよりももっと卑しい人間になってしまうんじゃないでしょうか」や、「そんな意見もあってもいい。人それぞれ」とか、「君は君の信じる道を、私は私の道を行く」などの、常套句を必ず言うので、あえて聞き返してみたのです。 このような常套句言うのって、逃げてるのと一緒ですよね。 >「アフリカの少数民族にモーツァルトを聞かせたら彼らはそれを雑音としかみなさなかったという実験結果が残っています」 では、こういう例はどうでしょうか? あるコンサートが開かれていたとします。入場料金もちゃんと取る。演奏時間は12時間。 しかも、そのコンサートの曲すべてが、ケージの4分11秒のあれ。曲の長さが少し違うだけ。音楽コンサートなのに音は一切なし!しかし、出場者達は、「実験音楽」の一言で平気な面持ち、しかも、ケージのパクリと言われれば、「曲の長さが違う」とかなんと言って小難しい理論を並べて得意顔。しかも、その「理論」は筋が通っていたとしよう。 こんなコンサートでも、あなたは、「感覚ではなく知性に対する働きかけをする音楽」と言って納得するのだろうか? 上、進歩を目指すのは当然のことです。しかし、方向性の問題があります。 上、進歩を目指したはずの共産主義は、いまや悪夢として我々に認知されているかのように……。