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現代日本に住む芸術家の皆さんは、今、何を目的に活動しているの?

noname#78143の回答

noname#78143
noname#78143
回答No.2

現代美術はまずコンセプトありきの創作工程なので論理的でないという ことはないですね。こういう風に見せたい、こういう効果を狙った、 こういう意図を持った、こういうテクノロジーを使ったというもの は大体ははっきり謳っていますから質問文を読んでなんとなくですが 違和感を感じましたし、感性で見るか、そのコンセプトを多角的に 見るかは人それぞれだと思います。が、ソレが最も重要なことかと 問われたらどうだろうねとか、別に、と言わざる得ない気がします。 愚行だというのはそういうことではないでしょうか。 そのように見るなと言ってないと思います。 私は絵を描くのも見るのも好きなので行為そのものが目的な気がします。 つまり、描きたいから描いた、見てもらいたいから発表した、ですね。 なんで描きたかったの?ってきかれたら好きだからとか楽しいからかな。 目的や大きな意味がはっきりしないのは哲学上の問題ではないかと 思います。例えば、「アナタはなんのために生きていますか?」とか 「アナタをアナタ足らしめるものは一体なんですか?」とか 「人間とはどういう存在ですか」と問われて明確な答えを現在答え られる人ははっきり言っていないと思います。実存主義以前の哲学での 主流といえる考え方は真理とか本質というゴールに向かって突き進む ものという性質のものでしたし、宗教的な縛りや封建的な制度上の 問題で片付けられていたと思います。 以後では本質に先立って現実に存在している私が他者と入れ替わる ことの出来ない私の人生を生きて死ぬという一種の自由の刑を受けている というものに変わりますし、それをよりよい人生として充実させていくか が課題となっています。実際こちらのほうが私達の考えに合ってきて いるのではないかと思います。(この辺がデリケートな問題ですが) 芸術は人間の営みの反映の産物であって哲学と切り離して考えること は難しいかと思います。そして前出の質問の「アナタ」とか「人間」を 「芸術」に置き換えると芸術の意味とは?といわても様々な作品その ものと捉えられて一個に集約するのは難しい問題になってきます。 つまり私の考える芸術とは他の人が考えた芸術と入れ替える ことが出来ない唯一無二の存在というわけです。 ここで初めて「感性」やら「個性」という言葉が重要になって くるわけです。 で、一個で集約できるものではないということは他の価値の芸術も存在 するわけですが、そのほかとの芸術と共に影響し発展していく為には 自由だけでは済まされない問題に直面するわけです。 人間と同じわけですから知らん振りするわけにはいきません。 許容範囲がないというのはありえません。実際私達は想像の出来ない ことを表現することは出来ないのですから許容範囲はあるはずです。 現時点で不可能であることも山のようにあります。 それに、作品を生み出した者はその作品に対して責任を負うことを 忘れてはいけません。 要するにどのようなスタンスを取るかですよね差別や弱者を虐げた ほうが芸術(人間)が発展すると思ってるならぜひそうすべきですが、 発展しないと分かった時点でソレは主流になりえるはずはありませんし、 反主流になることもありえません。生み出されても消えていくだけです。 人類の歴史の観点からいえば人間はより自由により善い環境を求めて 発展していると考えるならばその考えは無理があるのかもしれません。 差別のある世界で差別される側はのうのうと絵を描いたり音楽聴いたり 作ったり出来そうもありませんし。はっきり言って弊害です。 現在はそのような考えが支配的ではないでしょうか。 (ですが将来どのようなことになるかは分かりませんね。  戦争を賛美する作品が過去にあったりプロパガンダに使用される危険  は常にあります。) 質問中にこのような文章がありましたが・・・ >シュトックハウゼンが、同時多発テロは「最高の音楽だ」と言った  ことに対して世界的な非難が上がったのか? 芸術は肯定的な意見がもらえればそれでいいのでしょうか。自由とは なにものにも否定されないことなんでしょうか。 そんなバカなことはあるはずはないと思います。作品には責任が伴い ますからもし同時多発テロが芸術作品であるなら、全てを元に戻す ことが可能であるなら芸術として認めるべきですが出来ていない時点で 芸術作品としては大きな欠陥があると思います。 大きなインスタレーションを展開する場合展示期間が終れば元に戻して 返すべきですし、音楽フェスも期間が終れば現状に戻して片付けます。 その際に発生した責任は開催に関係した人に降りかかります。 第一テロがよりよい充実した人生になにかプラスになるようでも 今のところありませんしね。 性質が社会の病巣を表した現象 だったために現代美術の手法と共通点が少なからずあったという だけです。 そのために先の発言につながり批難に至ったのではないでしょうか。 >エロスやエコや可愛らしさや自己表現が上手く表現できている芸術 ばかりが評価され、しかも、そのことに多くの人は矛盾を感じないのか? コレは簡単な質問です。流行だから。よくある手法だから。 矛盾は感じている人ばかりですよ、さすがに。 しかしそれ以上に気になるのは評価の点です。評価されないと 意味がないのかな・・・。自己表現は当然だろうに・・・。 まあそれは置いときましょう。 >これらの矛盾に挑んでいる芸術家がいるのならば、教えていただきたい 挑んでいるわけではないでしょうが有名な小説家スティーブン・キング はこう言っています。「私は小説家にならなかったら殺人鬼になって いただろう、私は運がいい。」つまりインモラルな妄想に悩まされて 自己を守る方法としてペイパーバックのようなホラー小説を描き インモラルな妄想を表現しつづけてい自己を保っているわけです。 そのほかにもマリリン・マンソンの詞の世界や舞台演出はパンクや ノイズミュージックやブラックメタルの手法と黒魔術とインモラルな 妄想や社会不安を掻き立てる内容を表現していますし、PVでは ヒトラーの演説のような演出をして批難を浴びましたし、キリスト教 信者からはコンサートの自粛を言われたこともあります。 古くからビート詩人やヒッピーは反社会的でしたし、色々調べてみれば アナタが満足するような表現をしている芸術家や音楽家はいると思います 意外と有名なものだったり、なんでもない表現がインモラルな妄想の産物 だったりするわけです。分かり易くでなければゴマンとあると思います。 ただ気づかないようにしてオブラートにくるんだり冗談めかしたり していることが多いかも知れませんが、それが処世術ってやつです。 バカみたいに批難されるやり方だけが芸術ではありませんし、 評価のされ方もサブカルチャーとして扱われることで成功を収めている 場合もあります。日本で有名な人は知りませんが一昔前なら 寺山修司は家出のススメか書を捨てよ町へ出ようで悪徳のススメという コラムのような書き物が残っています。アウトローの気持ちで 物事を見ようという感じのものですが、当然と思っていたものを 逆さに考えようという趣旨のものです。参考まで  

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