- ベストアンサー
自殺
自殺ってしてはいけないとかいうのありますよね。宗教とか。倫理学他などではありますでしょうか。
- みんなの回答 (2)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
>倫理学他などではありますでしょうか 私が知る限り、無いです。 自殺は悪とする社会はありますが、実際自殺は悪とする理由は、宗教がらみ。 神様は計画を持っており、その人がいつ死ぬかも計画している としている。 (死ぬというより 天国に招くと表現していますが) 神様の計画ではその人の死はまだ先なのに、その前に死ぬってことは、神様の計画を台無しにしてしまうってこと。 なんて恐ろしい不敬虔な奴だ として断罪 そういう死も神の計画の一部だと信じている宗教団体は、自殺を神に逆らう悪だとして、神に逆らったことになり、やってはいけないとするんです。 やった場合、棄教扱いになるんじゃないかと。 神を敬っていなかったってことになるので。 だからその宗教団体では、信者が自殺した場合、教会の管理する墓地には埋葬させません。 日本は自殺した人が、裁判にかけられ、断罪されるってことは無い。 心中で最初に相手を殺した後自分が死んだ場合、死んでも裁判にかけられたような。 殺人として立件されたと思います。 しかし、誰の手もかりず、自分一人で死んだ場合、「自殺したから裁判にかける」とか無いです。 だって法律で自殺は禁止されていませんもの。 自殺を禁止する法律を作るには、自殺するわけがないほどのことを、国が国民に保障しなければならない。 保障できなければ、自殺も起こりうるわけで、だから法律で自殺を罪だとしていないんじゃないかと。 日本は敵の手に堕ちて殺されるくらいなら、と自殺を美とする価値観があった。 また 切腹を潔いと考えていた。 特攻隊なども自殺ですが、国は国を助けるための自己犠牲を国民に強いたわけです。 ユダヤ教でも自殺は禁止ですが、敵の手に堕ちて殺される=穢れるという考えがあった。 だから、マサダに立てこもった反乱軍は、お互いを槍で刺した。 槍で刺したというより、そこに倒れたとかそういう感じなので、殺人にならないし、自殺にならないととらえた。 白虎隊だったと思いますが、それも似たような集団自殺を起こしていますね。
その他の回答 (1)
- 相談 蟻(@soudan-ari)
- ベストアンサー率19% (40/208)
宗教や倫理学でも基本的に無いと思います。多くの場合、生を肯定する所から出発しているでしょうから。それは、学んだり信じたりする事で自己を肯定されるためと考えられます。テロリストなどの場合、死も肯定するのでしょうが、その場合でも、死後の保障のような信仰があるでしょう。ですから、死の肯定が前提と思います。 エリザベス・キューブラー・ロスというアメリカの女性心理学者(精神科医?)が、末期患者などの死の研究をした事が良く知られます。死の受容などの言葉があり、死に対する幾つかのステップがあるとされます。他に、男性でモリス・シュワルツのALSと言う難病によって死を迎えた記録があります。 しかし、それは自殺の肯定ではありません。宗教的な側面が強いです。例として、人は自分の意思で生まれてきた訳では無い。死に対しても行くべき所を知り得ない。生も死も人間の選択を超えた所にある考え・・・。 但し、良く見聞きする事は、病気で将来の希望が見出せない。又、将来に対する不安などがあると思います。残念な事に、社会全体が競争社会であったり、能力社会であったりした場合に、死を希望する仲間が出来れば死への恐怖は軽くなるのでしょう。それは、ある意味テロリストと似たような感覚になるのかもしれません。社会や個人的の事情が大きな誘引になっていると思います。