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死後救われる浄土教の教えと自殺防止
- 浄土教とは、死後に極楽に行けるという教えのある宗派です。
- この教えにより、苦しい生活を送っている人々は自殺を考えることがあるかもしれませんが、宗派ごとに自殺防止の教えが存在します。
- 浄土宗や浄土真宗などの宗派では、生前の行いや信仰心が極楽に到達するための条件とされ、自殺を禁止する教えがあります。
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親鸞による浄土真宗(一向宗)に限定し、さらに私の個人的な解釈を多分に入れた回答になりますので、その点をご了解いただき、斟酌してくださると幸いです。 親鸞の教えは「誰でも既に阿弥陀仏に救われているよ、だから何も心配ない。ときどき、阿弥陀仏に感謝して『南無阿弥陀仏』と唱えていれば充分だよ」というものです。ブッダの自分で真理を悟る自己救済から一転して、全てを阿弥陀仏に任せ、念仏は修行ですらなく、しかも死後は極楽浄土しかないのですから、大転換といえます。 なぜそこまでしたのかということになりますが、当時の民衆の困窮によるものです。貧しい人々は、食うにも着るにも住むにも事欠き、文字はほとんど読めず、生活のためには仏教が禁じることもせねばなりません。生きていても辛い上、死んだ後も地獄行きだと思えば、絶望します。絶望はただでさえ短い寿命をさらに縮めますし、そもそも生きていても何も嬉しくない。 それなら仏道を修行して、なんてことは無理なわけです。ひたすら念仏を唱えるというシンプルなものでも無理です。起きている間は生きていく糧を得るために働き詰めで、何とか晩ご飯を食べられたとしても疲れ切っています。睡眠時間を削って長々と念仏を唱えるなんて無理ですし、やれば翌日は充分に働けなくなります。 そういう状況の人は絶望しています。そこで、「もう救われているんだよ。だって阿弥陀仏が全ての人を救う誓いを立てて、そうしているんだから」と教えたわけです。それが信じられれば、死後の地獄という無駄な重荷を下ろすことができ、少しは心に余裕が持てます。親鸞がやりたかったのは、そのことだけです。 もちろん、それを捻じ曲げて解釈する者は現れます。実際に、極楽浄土へ早く送ってやる慈悲、と称した殺人がありました。親鸞はそのことを含め、「もう救われているのが確定なら、悪事はやり放題やっていいのか?」という問いに対し、「毒消しがあるからといって、毒を飲んでいいことにはならない」と答えています。 他力救済、他力本願を教えたのは、それしかないからです。暮らしは苦しいのは何ともならぬが、死後のことまで心配しないで欲しい、そんなことで絶望しなくていい。そういう願いが込められているわけです。 教えは千言万句を費やしても教え切れるものではありませんし、誰にでも分かるように平易に、簡単に教える必要があれば、要点だけしか伝えられません。揚げ足を取ろうとすれば、いくらでも取れます。 ですので、「心配している死後についてはこうだよ、後は常識通りでやりましょう」という受け取り方をしなければなりません。悪いことはしないほうがいい、天寿を全うせずに死にたくはない、といった当たり前のことは守るというのが前提としてあるわけです。
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- hikaricom
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仏教は、基本 輪廻転生を真理としていますから、死んだら極楽ではなく、死んだら、またその以前のカルマを引き受けるわけですから、自分を殺して極楽などは有り得ませんし、成仏できないのではないかと考えますが。
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カルマという考えもありましたね…。 ご回答、どうもありがとうございました!
- toshipee
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ならば「さまよっておられます」という僧侶の言葉は口から出ないということになるけどね。
お礼
ご回答、どうもありがとうございました!
- 雪中庵(@psytex)
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死後の行き先は、極楽だけでなく地獄もあります。 善行を積んだ者、労苦に堪えた者が極楽に行ける のであり、「死んで極楽に行った方が楽(人のために 役に立たずに)」という考えが、善行であろうはずが ありません。
お礼
たしかに。 そういう考えですよね。 ご回答、どうもありがとうございました!
私も浄土教には詳しくないです。 法然は善導が自殺したと考えていたようです。 史実だと違うらしいのですが、詳しいことは知りません。 なにはともあれ自殺の問題はあります。
お礼
ご回答、どうもありがとうございました!
- ryo_ Deathscythe(@Deathscythe)
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ちゃんと信仰して、生前やることやって死んだらの話ですよ? 「信じる者は救われる」=「信じなきゃ救わない」 で信仰を測るのは何か?それは「お布施」 地獄の沙汰も金次第。です。
お礼
「やることやって死んだらだよ」という 「条件」は、教えには 明記されていたのですかね・・・。 その辺のことを、知ることができたら、助かります。 ご回答、どうもありがとうございました!
お礼
まあ、たしかに…。 今回の質問も、揚げ足取り的疑問」を解消しようと思って 投稿したものでした。 一つには、親鸞の切り返しですね…。 まあ 「常識を持って判断せよ」というのが、一番の答えでしょうか…。 ご回答、どうもありがとうございました!