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第二次大戦は避けられたのか?

真珠湾攻撃で始まった大戦は後の悲劇を予想しながらあえて罠にかかって戦争を始めたという見方があります。 罠だとわかっていながら避ける方法が当時では思いつかなかったのでしょうか? 個人ではどうしようもない場の空気のようなものが道を進ませたのか・・・詳しい識者の方いらっしゃいましたらご意見お願いします。

みんなの回答

  • debukuro
  • ベストアンサー率19% (3634/18947)
回答No.14

アメリカと同じで戦争成金が国を支配する限り避けることが出来ません アメリカが今も世界各地で戦争をしているのも同じ目的です 戦争ほど儲かる商売はない 軍需物資で儲け戦後復興で儲け 笑いが止まりません 解体されたはずの財閥が今も日本の経済を支配していることでも分かるでしょう

noname#186176
noname#186176
回答No.13

結論から言わせていただけば、避けられなかったのではないでしょうか。 明治以降日本は10年ごとに戦争を繰り返してきました。日清戦争・日露戦争に勝利し、多額の賠償金を得たことによって日本は「戦争=怖いもの」ではなく「戦争=儲かるもの」という認識が根付いてしまいました。アメリカとの確執は南北戦争で中国進出が出来なくなっている隙に日本が先に中国に進出したことから始まっていました。 その後も中国をめぐって何度も一触即発の危機がありました。1921年(だったと思います)のワシントン会議で日本はイギリスとアメリカと中国進出は平等にと、取り決めていましたが日中戦争で南京を制圧したことにより激怒したアメリカが中国を支援したことで日本に対米感情が生まれ、国内の不況から戦争に期待する空気が強くなっていったのではないでしょうか。真珠湾攻撃翌日の新聞からは日本人は誰も悲劇を予測していたとは思えません。官僚の中には無謀だと考えていた人もいたようですが、世論には勝てなかったと思います。

  • b26354
  • ベストアンサー率25% (16/63)
回答No.12

対米戦に関しては「ハルノート」を受け入れれば昭和16年の開戦は避けられたはずです。「ハルノート」は確かに当時の日本には受け入れ難い内容ですが驚くべきことに期限の期ってないもので、とりあえず石油の禁輸をやめてもらって条件面(撤兵は満州も含むのか)で交渉をだらだら継続すればよかった。(現在の北朝鮮のように) 当時の日本政府は中国に対して領土の割譲も賠償も求めないと明言していたにもかかわらずに多大な国費と犠牲を払って対中戦を行っていたので「ハルノート」は戦争をやめるチャンスでした。 だだ、悲しいかな政府は陸軍を説得できないし海軍は口を閉ざし、国会も反軍・反戦を言わなかった(民意があった)のが史実です。 参考「大東亜戦争こうすれば勝てた」小室直樹・日下公人 著

  • yoyopon24
  • ベストアンサー率11% (2/18)
回答No.11

先に敵に攻撃させて 戦争の口実を確定させる この方法はアメリカが独立以来取ってきた伝統的手法であって、ニューメキシコ併合のときや南北戦争の時 フィリピン侵略のときにも同様の手段が取られています  (このあいだのイラク侵攻はもっとひどい言いがかりで戦争を始めましたが・・・) これを罠と考えるか アメリカの性格と考えるか・・・ 当時の日本国民としては列強の干渉を浴びまくっていたし、真っ当なことを国際連盟で主張しても、アメリカイギリスが拒否権を発動するなどして、人種的イジメ状態にあっていたと感じていたと思います。 しかも自分たちが苦労して勝ち取った北支の権益をもぎとろうとするアメリカの動向には我慢ならないものを感じていたでしょう。 これをアメ公の簡単な罠にひっかかったバカな先人たちだと思うのは酷な話です。当時の日本国民は今の我々よりもプライドが高かったし、自分たちの勝ち取った権益を守ろうと必死でした。 第二次世界大戦は不可避であったでしょうし、原爆投下もアメリカが日本よりも先に開発した時点で不可避なものとなりました

  • cyototu
  • ベストアンサー率28% (393/1368)
回答No.10

ノーベル賞を授賞したヨーロッパ人でユダヤ系の私の友人が、 「日本はあのとき何故、ロシアを裏から攻撃せず、真珠湾を攻撃してアメリカを戦争に引き入れてしまったのか。もし、ロシアを攻撃していれば、ロシアはドイツに負け、その結果イギリスも負けて、ヨーロッパとアジアとアメリカ大陸がそれぞれドイツと日本とアメリカをそれぞれ宗主国として戴いた三極安定構造が出来上がっていただろうに。アメリカもそれで満足していたろうに。」 と言っていました。誤解をなさらないように、この友人はドイツの敵国の方で、もちろんヒットラーが大嫌いです。 私が、ロシアと日本の間にあった不可侵条約のことを指摘したら、その友人から過去の歴史を見てみろと鼻で笑われてしまいました。多分、当時の日本政府はドイツを過剰評価して、ヨーロッパはドイツに任せておけば良いとの間違った判断をしてしまったのだと思います。 第二次大戦は避けられたかどうか判りませんが、日本の出方で全く違った構図もあり得たねと、この友人は指摘したのです。

  • TRJ
  • ベストアンサー率27% (8/29)
回答No.9

日本は対米戦を避けるために交渉を続け妥協案も提案していました。交渉しだいではさらに譲歩することもあったかもしれません。しかし、アメリカがハルノートを出してくると、その厳しい内容に日本は強い失望感に襲われました。それで自棄になって戦争を決意しました。ハルノートが要求する満州を含む中国からの無条件全面撤退や蒋介石の国民党政権を中国唯一の政権と認める、三国同盟を破棄するなどは到底受け入れられるものではありませんでした。何の利益も得られない中国からの無条件全面撤退は軍部の威信に関わります。すでに、膨大な犠牲を払っている状況下では国民を納得させられないからです。また蒋介石政権を認めたら、日本が擁立した南京政府はどうなってしまうのか、三国同盟を一方的に破棄するなど、国際的な信頼を損なうことなどできるものではありません。もし、ハルノートを受け入れたら日本はそれまで築き上げてきたアジア唯一の列強という地位を失っていたでしょう。

  • zerocatom
  • ベストアンサー率20% (50/249)
回答No.8

避けられませんね。 現実に起こってしまったことをこうすれば避けられた、こうすれば結果がちがったというのはそれがいくら正しくても単なる後知恵でしかありません。 また、後から見れば正しい考えも当時としては正しくない、受け入れられないということもあります。 悲劇を予想できたにしろ、出来なかったにしろ当時それなりの地位にいた人間がさまざまなファクターを考慮に入れ決断した結果です。 いくら個人で正しくないと思っても時代の流れや人間のしがらみ、自分の立場、タイミングの悪さ。いろいろあるものです。 罠とはルーズベルトの対独宣戦布告の口実に使われたことを言っているのでしょうか。 これも結果としてそうなったというだけで最初から罠にかけるつもりなら例え半年位とはいえあんなやられ方はしなかったでしょう。 アメリカは戦争準備をしていなかったんです。 ハル・ノートも最後通牒ではなかった可能性もあります。 お互い言い分をいい、そこからすり合わせていくのが交渉というものでしょう。 それを断ち切り戦争を望んだのはむしろ日本のほうかもしれません。

  • jamiru
  • ベストアンサー率5% (170/3044)
回答No.7

No5さんと同感です。 明治政府その物が戦争をする為の体制ですからね。 江戸時代は戦国という戦争を止めるために作られた体制です。

  • torajii
  • ベストアンサー率15% (5/32)
回答No.6

中国への侵略を止めればよかったのです。それが出来たのは昭和天皇だけでしょう。政治家がやれば、軍人に殺されたでしょうから。ハルノートを全面的に受け入れて日本国が良くなりこそすれ、悪くなることは考えられません。伊藤博文がなぜ、朝鮮併合に反対したと思いますか?朝鮮であれ、満州であれ、北支であれ、日本国からの持ち出しの方が多く、国家の利益にはならないからです。 対米戦争は軍国日本の自爆でしかありませんでした。

noname#89274
noname#89274
回答No.5

戦争は避けられたか。 これをどうであったら避けられたかと置き換えてみます。 明治維新の工業立国、富国強兵政策は戦争への一本道でした。 もし天皇に戦争責任があるとすれば明治維新のときにその政治方針の権威と権力の頂点の座についたことにあり、取り巻きによって国民と乖離して天皇としての本来の意味を失っても自らの意志によって修正がきかない危険性を常に持つことになってしまった。 天皇に戦争責任があるとすればその点においてであると考えられるが、幼少だったため自らの意志によってその座についたというより東洋思想に通じていない大久保利通と岩倉具視等が権力を得るために利用したうえ絶対君主制を早産させてしまったと考える方が妥当だと思われます。 日本の歴史をみると武力が強くなり権力が専横するようになると天皇は支配の頂点から退いて、あたかも将棋で玉と王が自由に入れ替わるように、人に征夷大将軍といった位を与えて世を支配させ天皇自身は支配の一線から一歩退いて政治と国民が乖離しない視点で世を観、世にかかわることを常に志向していたのではないか。 もし世界大戦を回避できる可能性が有ったとすれば国の政治状態がこの対峙状態にあったときと考えられ、専横がそれをおして戦争に突入したのであれば戦争責任のありかも明白になったと考えられます。権力は持ちながら自らの重責は回避し、責任を全て天皇に押し付ける構造を構築した大久保等は大逆罪に値すると言ってもよいだろう。 そして今 蛇足ですが 敗戦による経済的戦争責任を終えながら、惰性によって外貨を得る為の政治は続き、国民の意識も明治以来から続いている工業立国でしか生きられないとする政治方針によって教育は人を都市部に集中させるように働いてきた。人口の集中と核家族化による家族形態の崩壊が今の日本社会の病根であると考えられます。 かつて絶対君主としてあり、敗戦から経済的戦争責任を果たした今、その責任の連続性において明治維新以来の政治の誤りの修正の示唆を国民が生きる歌会初めとしていただきたい。

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