• ベストアンサー

哲学って

こんにちは。(^.^) 哲学ってある程度いったら行き詰るような気がします。 禅問答みたいな感じ・・・う~ん、キリがないというか。(>_<) 結論みたいのってないんですか?

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • abc2008
  • ベストアンサー率17% (7/41)
回答No.7

 哲学の本来の意味は、森羅万象の大元(おおもと)と言うか根本を学ぶ学問ですから、あらゆる学問のペースに位置づけられる基本中の基本、つまり、真理探究のものかと思われます。  ですから、本来、いかなる人も否定できない確固不動たる結論は存在していてもおかしくはないのですが、やはり、社会、文化、宗教等が異なれば真理は一つであるべきはずが、いくつも存在してしまうのが現状かと思われます。  その中でも私が支持する結論と言うか真理は、この宇宙は一つの大きな生命体であり、それは卓越した知性を持ち、それが物理学や天文学等で発見されている様々な法則の生みの親であり、また、それぞれの惑星もまた我々自身もその生命体の一部分であって、早い話がこの世のすべては、この大生命体から生じたものであり、また、それにすべては律せられているというものです。  こう書くと、どこかの宗教にある天地創造の神や唯一絶対神のことを言っているのかと思われるかも知れませんが、結局、あらゆる宗教は、その表現は違えど、ある大いなる存在を指向している点では同じかと思われます。それを分かり易く言えば大生命体であるということで、神とか創造主よりは、割とつかみ所があるかと思われます。  また、格言にある『天網恢恢、疎にして漏らさず』とか『天知る、地知る、人ぞ知る』などもその話からして、よく分かるような気がします。  ともかく、哲学と言うか、真理と言うか、いずれにしろ本来は極めて単純なものなのです。それを根本に至らない枝葉の部分でいろいろとこねくり回して哲学というものを煩雑、難解にしてしまったのが昨今の哲学の大いなる過ちかと思われます。

noname#80701
質問者

お礼

私が腑に落ちない理由が分かりました。 仮に結論が出ても、それを証明することができないからです。 ありがとうございました。<(_ _)>

その他の回答 (8)

  • ga111
  • ベストアンサー率26% (247/916)
回答No.9

へっへっへ。お嬢さん(?)、いい例がありまっせ。 仏教は高度に哲学的だといわれますが、結論ははっきり書いてあります。以下参照。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8F%E6%95%99#.E6.95.99.E7.BE.A9 悟るのたいへんみたいだけどぉ。でも、禅寺の高僧とか、ある程度分かってるんじゃないですかね~。

noname#80701
質問者

お礼

悟っちゃったら人生つまんない。(>_<) ありがとうございました。<(_ _)>

  • shift-2007
  • ベストアンサー率14% (143/1013)
回答No.8

#2 哲学に対するイメージが抽象的ではないですか。 具体的に何に対する「答え」、「結論」が必要なのでしょうか。 それに対する哲学的回答が出ていないじゃないかという指摘ならわかるのですが。 また、非生産的といっても学問にとって生産とは何をさすのでしょうか。

noname#80701
質問者

お礼

ごめんなさい<(_ _)> 特に「これ」というものはありません。 補足はWikipediaからの抜粋です。 ご回答、ありがとうございました。<(_ _)>

noname#74627
noname#74627
回答No.6

まるで言葉のパズルみたいですね。 結論を出さないのが哲学なのでしょうか。

noname#80701
質問者

お礼

No.5さんは結論がある哲学を教えてくれました。 ありがとうございました。<(_ _)>

  • hisya
  • ベストアンサー率22% (65/285)
回答No.5

プラグマティズムは 哲学上の問題に結論を出す考え方です。 机上の空論を排除 経験不可能な事柄の真理を考えることはできないとする 実用主義的な真理観 実際の経験の結果により判断し、効果のあるものは真理であるとする。

noname#80701
質問者

お礼

>経験不可能な事柄 人によって違っちゃいませんか? ありがとうございました。<(_ _)>

  • magga
  • ベストアンサー率15% (56/359)
回答No.4

参考になると思ッたので書籍を紹介しておきますね。 サンガ出版の「仏法」です。大元の仏教として定評の有るパーリ語の仏典から、哲学面の始点からシステマティックに論理的理性的にまとめたものです。 スマナサーラ長老の書籍もオススメです。 <<哲学ってある程度いったら行き詰るような気がします。禅問答みたいな感じ・・・う~ん、キリがないというか。(>_<)>> ですね。 お題自体意味不明だったり、なりたってなかったりしたら必ず行き詰るかおかしくなるかに陥りますよね。 生命とは、人間とは、生きている死んでいるの差異は、感覚とは…なぜ動くのか、止まるとどうなるのか、私といっているのは何なのか。。。と言うような基礎的なことについて妄想を廃して研究する事無く議論を積み上げてもほとんどは行き詰るか、信仰の世界に入るかになってしまうでしょうね。 そういう意味でもゴ-タマ・シッタールタ師(お釈迦様・阿羅漢・ブッダ)は識者として言葉の限界まで含蓄のある解説をなさっていると思います。 いかに生きるかを厳密に反論が成り立たないように。 そのような視点で学ばれると善い発見があると思いますよw ~生きとし生けるものが幸せでありますように~

noname#80701
質問者

お礼

私は、そのまんま見るタイプなんです。 ありがとうございました。<(_ _)>

  • boke-chan
  • ベストアンサー率22% (137/604)
回答No.3

結論が無いのが、結論。 過程が重要では? 禅問答をして、思索して、自分で決め、行動する。 これが人生。

noname#80701
質問者

お礼

う~ん。疑問があったら正解が知りたくて調べたり考えたりすると思うんです。 で、結論が出ないと分かてたら考えなくないですか? ありがとうございました。

  • shift-2007
  • ベストアンサー率14% (143/1013)
回答No.2

>哲学ってある程度いったら行き詰るような気がします。 例えばどんなことですか?

noname#80701
質問者

補足

抽象的な概念を巡る定義や論争などは、証拠によって決着を着けたり、 万人が合意するような立場に辿りつける可能性が薄く(あるいはそのような可能性が皆無で)、 結論が出ないままに延々と議論だけが続く、非生産的な学問であるとの見方もある。

noname#74446
noname#74446
回答No.1

とくに哲学を専門に勉強したことのない素人の意見ですが・・ >結論みたいのって テーマによって結論の有無は変わるような気がします。 1つの結論が出るもの、複数の結論があって人によってそれぞれ真理が変わるもの 結論があるかどうかを哲学する人なんてのも居そうですね。 多くの人が矛盾を抱えながら生きているので対象が人間であれ、その集団の社会であれ 禅問答のようになってしまうのかもしれませんね。

noname#80701
質問者

お礼

う~ん。やっぱそんな感じですか。(>_<) ありがとうございました。<(_ _)>

関連するQ&A

専門家に質問してみよう