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これは哲学では無い
時折、気になるのですが この哲学カテでの質問・回答を読んでいて『これは哲学では無い』と思う事がしばしばあります。 というのも、私は技術屋なので仕事上、固有定義の説明を交えながら数学的表現や特性の説明をする事が良くあるからです。 どちらかというと文学・思想に近い場合が多いですし、回答者の多くは『意図的に』文学的解説・説明を好んでされている様に感じます。 哲学カテゴリーという名称の割りには、ここの質問・回答はあまり『科学的・学術的』な気がしません。 結論を述べますと、 <注意> 哲学という分野の知識に関する質問をご投稿いただけますようお願いいたします。 ・・・・・ ・・・とある以上は、ここのカテゴリーの名称は『思想・哲学』とした方が良いのでは無いかと思うのですが、私の方に勘違いがあるのでしょうか(これが質問です)。
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こちらにも投稿しましたが、 http://okwave.jp/kotaeru.php3?q=2380337 私も「述べて作らず」が理想的だとは想います。 実証性、再現性、客観性を持ち合わせた論理的で科学的ともいえるのが、「結論」であり、「真理」だと想います。 ですから私も「結論」ではない「戯論」が多いと想います。 (まあ、自分も人のこと言えませんが・・・) でも、結論に至るまでのプロセスが哲学であるともいえるのかも知れません。 「成長とは、そのプロセスのことである」という言葉があるんですが、オギャーと生まれて、いきなり結論に到達できるというわけもなく、紆余曲折、間違いを繰り返すのが、人間の宿命みたいなものだとも想います。
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- ojizou-sam
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再度の5です。 そうです、そうだと想います。 私は仏教を勉強(浅学)してますが、仏教では勝義諦と世俗諦という分け方をしています。 勝義諦を得るには世俗諦によるしか方法がないということも言います。 それは、こちらの4、5をご覧ください。
お礼
私は勘違いをしていた所があって、この質問を立てていたということがわかってきました。 私は不信心者なので良く間違えますね。 言い訳をさせていただければ、こちらの4さんがとりあげ指摘された内容になるかな。 アドバイスありがとうございました。 しばらく開けときます。
まず哲学そのものは学問ではないです!。 「学問としての哲学」と、 「哲学」のカテゴリーを別するべきでしょうか? 以下受け売りの解説ですが、紹介します。 物理学や経済学は頑固とした理論の体系と定義され、後輩は先輩の為し終えた証明を自分で試みることなく利用して、自らの研究を進めていけば良い。 これに対して哲学では、この世で最も厳正とされる理論法則ですら疑ってかかり、反証を試み、そして反証が失敗に終わっても尚、半信半疑で使用する。つまり哲学には確立された理論など何一つない。 哲学が学問で無いなら何かというと、方法であり、手段であり、態度である。如何なる態度かというと、どんなことでも鵜呑みにしないという態度なのである。 そして一番重要なことは自分自身を疑うということである。何故これが一番重要なのかというと、誰もが他人には厳しく、自分には甘いもので、ましてや長年苦労して獲得した発見や真理や知識は惜しくてなかなか捨てられないもので、そういった執着心は探求心を鈍らせるのに充分であり、世の政治家や学者が間違ったことばかり並べるのはそのせいであり、それを捨ててしまっては何でも無い唯の人になってしまうからである。 ところがこれをしないといけないのが哲学であり、哲学者は自らの理論、知識、見解に微塵も未練を残さない。そして哲学者はどんなに正しいと思われる見解でも、間違いの可能性を含む仮説として述べるのであり、それ故、自分の言葉に責任を持たない。 例えば凶悪な犯罪が起きると、初めに悪には憎悪を持って報いるべしという先入観ありきで、マスコミは罵倒するだけの感情論に終始するが、これでは悪の連鎖を望む報復であり、何の解決にもならないし、次の犯罪の防止にもならない。 哲学は突飛な理論を考察するのではなく「固定観念」というゴミに覆われて隠されていた地表を自白に晒すだけのことであり、比較検討して不用品を削除作業で、事態に対処出来ない推論は捨て、別の推論で代用出来るなら後者は捨てて採用していく、生活用品を処分するのと同じ思考。 詩や小説と同じく、誰もが感じてはいたが、誰も採用することを気付かなかったことを唯伝えるだけで、それ故、日常の一瞬一瞬の内に新しい発見こそが、哲学の収穫物で、それはは誰にでも理解出来、飽きることのない態度たるもの。 ということで、納得出来ますか? 大学で学ぶ哲学は哲学者が試みた批判方法が汲み取れるよう「学としての哲学」を出発点にしたもので、哲学そのものは生き方を実践するに至るもの、独自性だということですね。 といいながらパクリ回答でした。
お礼
アハハハ! miko-desiさんは『私の哲学レベルが、どの程度か』分かっておられますね(^^; ありがとうございました。
- hakobulu
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私も哲学の「固有定義」は知りません。 ですから、「>回答者の多くは『意図的に』文学的解説・説明を好んでされている様に感じます。」 に該当する一人なのかもしれません。 ただ、これは見解の相違なのかもしれませんが、ここの基本姿勢はあくまでコミュニティーの場の提供ではないか、というのが私の認識です。 『>科学的・学術的な気がしない』投稿があっても止むを得ないのではないでしょうか。 というより、詳しい方は、そのような質問に対しても【科学的・学術的】に、あるいは「哲学的」にお答えになれなければ、真に哲学を理解しているとは言えないのではないでしょうか。 なぜなら、個人的には哲学とは「事象の根本原理を探ろうとする学問」ではないか、と思っていますが、 物事の根本に迫るためにはそれなりのステップというものがあるように思われます。 小さな子が「なぜこの花はこんなにきれいなの? 」と思ったことから始まる場合もあるのではないでしょうか。 つまり、私の言いたいことは、 技術的なことは別にしても、人が疑問に感じることで哲学が含まれていない事柄はないのではないか、ということです。 「道端の石ころにも哲学が宿っている」 という言葉が有ったか無かったか知りませんが、そのような気がします。 (あれは、「神が宿っている」でしたかね) 仮にソレに対して哲学的な回答がなされていない、と感じられたら、それを非難するのではなく正式な? 哲学的な切り口でご回答することによって、それを見た全ての方に哲学的意義を知らしめることもできるわけで、それこそがコミュニティーとしての価値ではないでしょうか。 質疑に参加している人よりも閲覧者の方が(恐らく)圧倒的に多いことを思えばなおさらという気がします。 ただ、他のカテでもいらっしゃるのですが、基礎的な知識もないのに哲学ぶった回答をされるのは目障りだから入ってくるな、とでもいうような狭量な精神しかお持ちになっていない方もいらっしゃいます。 そのような狭量さを抱えたままで一体何を学問するのか、また、学問してそれをどうするつもりなのか、と根本的な疑問を感じることもあったわけですが、そういう方たち自体が哲学や心理学の興味の対象となることはあっても、そのようなご本人の姿勢が何か有意義なものを生み出せるとはとても思えません。 以前toraumaさんのご投稿を拝見したことがあるような気がします。 はっきりした記憶はないのですが、とても論理的で哲学的で色々考えさせられたような気がします。 至らない点がありましたら、ぜひその点に言及して色々教えていただければ非常にありがたい、と素人の私としては思うわけです。
お礼
御批判を戴きましてありがとうございます。 どうも『 現代哲学 - 古典的哲学 = ? 』 といった感じで、私は数学的でなければ哲学でないと感じる癖があるのです。 元々、難しい哲学は解りませんでしたので。 それにしても、最近は『goo教えての右傾化』がひどくて良回答がゴミに埋もれてしまっているし、『参照URLが証拠』の様に提示されていて、論拠にもなっていない回答、等々で<全般的に希薄で荒くなっている>様に思います。 質的低下の原因は、国内の経済的社会的問題であるはずなんですが、政治政策が不満を外へ向けているためか、あまり自分を省みない風潮が広がってしまった気がするんですよね。 自虐的だの洗脳だのとレッテル貼りもあって、回答参加し難いですね。
- pyon1956
- ベストアンサー率35% (484/1350)
偏見ですけど、例えばサルトルの「哲学」あたりは私には殆ど哲学というより「文学」のように感じます。一時はやったジジェクとかもそうですし・・・体系性を拒否する哲学はどうしてもそういうことになりがちです。 そういう意味で明確な線が引けないから、ということもあるのではないでしょうか。もっともここのカテゴリーというのはあくまでも目安ですし、現に「現代音楽」(辞書的な意味では現代のクラシック、ないしクラシックから派生した前衛音楽)のカテゴリーなんか現代の流行歌の質問が殆どです。 そういう点からもよくも悪くもそういうもの、と割り切って利用するしかないでしょう。「哲学という分野の知織」とは書いてありますが哲学とは何かという定義がないので、結局投稿者が哲学だと思うものについて書く、というスタンスのサイトだと思います。無論私個人が運営する掲示板ならそういう議論はよそでやってね、と排除するのもできますが、ここはよくも悪くも主観的にこうだと思っている事を書く場所なのでしょう。 無記名の掲示板に期待できるのはそれくらいでは?
お礼
回答ありがとうございます やっぱりサルトルが来ましたね。 古典的な哲学は学んだけれど『ハイデガーやサルトルはさっぱり分からず終い』だったので、やはりそうなのかな?とは感じますが納得している訳じゃないんですよね。 例えば音楽・芸術・美術の哲学解説があると<解る人には解るんですよ>と言われてしまいそうで、近付き難くなりますよね。 自分の方が排除されそうで遠巻きに見てます。 >ここはよくも悪くも主観的にこうだと >思っている事を書く場所なのでしょう ですから、哲学というより<思想・哲学>名称に変えたほうが良いんじゃないか・・・と思ったのですが。
- バグース(@bagus3)
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大学の哲学科を卒業したりして、 真に学問としての哲学からの回答ができる人は ほとんどいないでしょう。 人や人生についての質問は専門家でなくても できる場合が多くあります。 要は質問者に役立つ回答が得られることが 肝要で、それがどのカテゴリーに属するかは ささいな問題だと思います。 哲学カテゴリーを哲学的問題、思想的質問と 拡大解釈してもかまわないでしょう。
お礼
御回答ありがとうございます 技術屋の世界に限らず、『~とは何であるか』を徹底的に図・グラフ・数学を使用しながら説明する必要が生じる時があって、『哲学的で却って難しい』といわれてしまう場合もあるんですが同一概念を形成して頂く事は有意義なんですよね。 ここの質問の中には『数学的に適切な回答が有るんじゃない?』と感じた場合でも、回答者さん達の解説は、噛み砕いた文学的な表現を好んでされますよね。 すると皆さん<啓蒙主義>の考えがあって解説するのだろうけれど、おとぎ話の様な回答になっていて一般者が読むと逆に分かり難いと思う事があります。 つまり哲学上の解を示している様だが、明確には示さず暗示的的な説明をしている。 となると回答の多くは思想的な物ではないかと思うんですよね。
お礼
アドバイスありがとうございます 提示されましたURLについては 技術屋としては、『思想=装置』:『結果=機械』に置き換えて読むと分かり易い面がありますね(特にNo4さん)。 < 結論に重きをおいて考えるならば、その哲学(科学・技術)書は思想(装置説明)書ともいえるものだからです。 > 『哲学(科学・技術)は、その「理論化」の中に潜んでいるものだと感じます。』 これはそうでしょうね。 ただ1点、補足の部分についてお願い致します
補足
『哲学書は思想を含んでいます。』について 思想は『あくまでも人間的な、人間についての考え』であり人間の創造物であるが、哲学は『人間以外の者による超越的創造物を対象として、人間がそれを規定・定義する』という意味になるんですよね(表現ヘンかな)。