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本の読み方が分からない・・・場面を想像できない・・・

pascalsの回答

  • pascals
  • ベストアンサー率39% (29/73)
回答No.8

こんにちは。 小説は毎日読みますが、私もはっきり映像を思い浮かべているわけではありません。 だって、日本生まれの日本育ちで18世紀のヨーロッパの映像とか正確に想像できないですもん。 それより「声」はどうですか? こどものころ、文字が読めなかったころには誰かから読み聞かせてもらったはずです。その人の声を聞きながら次第に黙読に移行していったと思うのですが、黙読のいいところはいろんな声を想像しながら読めるところですね。 言葉の最大の魅力は「見えないところ」だと思います。 いくら精緻な文章でも、すべては書けない。 「このあたりには今でも〈ためらい橋〉と呼ばれている小さな木橋がある。」 ある小説の冒頭です。いきなり「このあたりってどのあたりだ」ってことになりますよね。これが映画であればばーんと映像で表現できるわけだから情報量が全然違います。 じゃ、小説の何がおもしろいのかというと、人は何かを語るときに、すべて語ることはできない、何かが語られないままで終わるし、ときには意図的に隠されたり、無意識的にふせてしまったことが物語の鍵になることもある。 人の話を聞くとき、その声に耳を傾けるような感じで、「何かが見えない」「何かが隠されてる」ということを楽しみながら読むとよいのでは?

lionchan21
質問者

お礼

そういうものですよね。 自分の知っている範囲(見たこと、体験したことなど)じゃないと想像する事って難しいです。 音声化ということですか・・・これがうまくできないんですよね。 例えばテレビのナレーションの声を思い出して文章をしゃべらせてみたりしたことがありますが、どこが不完全というか頭の中で声を出すことに違和感があるというか、今までそんなこと意識してやった事があまりないので(実は無意識?のうちにやっているのかもしれませんが)慣れていないだけなのかもしれません。 確かに映像化をして音声化をしていってまるでドラマのように頭の中で想像していけたらきっと楽しいんだろうなと思います。 でもうまく想像できない、わからないから楽しい、見えてない部分があるからいい、という発想は思いつかなかったです。これはとても参考になりました、さっそく読書して実感してみたいと思います。 貴重なご回答本当にありがとうございました。

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