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魂と心と肉体

arayata333の回答

回答No.2

その瞑想というのは どなたかのその瞑想の師と通しての瞑想なのですか? 師が本物かどうかは 明らかに偽者の瞑想の師もいるでしょうから なんとも言えませんが、 そちらが本物の師だと思える方ならば、 このような哲学カテで質問するよりも、 その師についていって答えを教えていただくしかない世界だと思います。 神秘主義者の方とかが 魂や心や肉体をそのように別々に存在するとして私たちに語っていますが、 それがもし人生を語るための方便の一つとして語られているのでないのだとするならば、 私はその考えの中途半端さを認めていいのかどうか 哲学するものの一人として迷います。 あの、 この私の哲学に対して いやそれは違うという懐疑をたてて一向に構わないことです。 ほんとうはそうしなければ、たとえばあなたの中でのその理解はそれ以上どうせ変わることはないですからね。 しかし、 たとえ、まっこうからそれによってその考えがくつがえされたとしてもお互いひけめを感じる必要はどこにもないのです。 それが宗教の「自由の世界」だと思います。 自分に小ささを知ること、あたりまえさを知ること、これが人間を知ることにもつながる世界です。 本物の師は、みんなこの辺の基本を理解してると思います。 その上でさらにそれぞれの教えの専門性を持っていらっしゃるのだと思っています。 * 魂: ただの五感の主体。その記憶の主。 その記憶外は自分では自分と感じない世界だけれど、それは記憶の限界によるもの。  その主体自体は、ほんとうは、 未来永劫 過去幾百億年、宇宙のはてまで探しても、ほかに存在しない主体であり、それは同じ両親から別な主体が生まれた可能性もあるところの、存在しなかったかもしれない主体。 だけれども人間にはそれほどの宇宙よりも重いような命の尊さ、その主体の存在のそれだけの重みはとても理解できない存在。  唯一その重みあるリスペクトを人間存在や自分という主体に感じることが出来る可能性は、感性の世界が無限に豊かな可能性を 生物なのに持っているという謎にいたるまで感性を磨いた時だけ。  でもその時から それはごくあたりまえの生物としての人間性の歩みが 実際の行動として始まるだけのこと。  それもまた、私たちの生物というながい命の連鎖の鎖のなかにはりつくようにして存在してるのみ。  だから、そこには希望とかがないという意味ではなく、 そのはかなさまでも理解しても もし魂の自覚が少しでも正しく芽生えるならば 他の魂へのかぎりなく熱い「幸せ」への祈りも めざめるもの。 魂とは 人間にとってそういった存在、にすぎない。 心: シナプスの五感反応を細胞のうちの内在する何かの精神作用でコントロールしてるというところまでは現代科学で解るはずの世界。 感覚自体はクオリアという概念とかでかなり昔から  その反応の描写はできてもそれを赤なら赤と判断する脳の仕組みが何故かまでもまだ誰も解き明かしていない世界。 でも、感覚が 総合的なより豊かになるための道筋はどうやら科学の世界でもすこしづつ解明されようとしている。 「謎」は「謎」、それはまだ解けるかどうかを考えるよすがさへ人間の知能は解っていない。 大事なことは 歩ける道を 歩き続けようというのが哲学であるはずなのですが。…。 ああ、感性教育の進化をここに!! 肉体:心や魂を宿しているというよりも、ぴたっと張り付いているようなものであるため、 肉体を通してそれを探求してゆけるようになっているもの。 死んだらおしまいだ。 生きてまず健康を大事にすること。 その中にしか 悲しいかな感性の進歩もない。 やがて感性も心もかれていつか土に帰る。  魂も同じ。  が、これは神がいないと言う意味ではない。あるいは存在の意味とは それだけなのかということを意味しはしない。  なぜならば、意味や価値の無限性の謎を私たちは、この人生において垣間見ることができるからだ。   弱いけど 生抜く、 そして前進する この希望は 人間が意識を持っている間は 人間が人間である限りは 永久に消えはしない。  この希望の哲学抜きに、キリスト教の三位一体論を考えても無意味かと思います。   ちがいましょうか? その瞑想で あかちゃんのような安らかな呼吸をすこし取り戻しましたか? その瞑想で子供のような毎日が新鮮な心をすこ師取り戻しましたか? その瞑想で それらがもうゆるぎないこんどは人の幸せを祈る心のゆるぎなさと何かしっかりむすびつくようになりましたか? ごめんなさい。 「理解にいたりました。」と言う言葉尻をとらえて、きびしいかき方を徹してしまいました。 でも、これは 実はこれをとおして、哲学するみなさんに問いたくなってしまったものでもあるのです。 なんで、ものごとを正しく深く理解したというのならば、 北朝鮮の子供達の未来を同じように真剣に考えないのですか? なぜあの想像をぜっするようなきびしい国に体制の変換を押し付けるのみで鬼と決め付けるような昔の人たちみたいな貧しい心でしか理解してあげられないのですか? なんでその子たちの未来が おいしいものをすこしでもたべららるように、すばらしい音楽をすこしでも感動できるように 考えてあげられないのですか、 これは例ですが、何でマスコミに哲学者達までが惑わされて、太陽が衣服を脱がすというあたりまえの 私たちの姿に気がつかないのでしょう。  なぜ、こんなことを私のようなワーキングプアーがいわなくちゃならないのでしょう。 ほんとはわかってるんでしょ。 与えること与えぬくこと抜きにたとえばその拉致問題だってベターな回答さへえられないだろうあの状況をです。それとも あなたは、こんな哲学さへ解らないのに、 神と人間を比較してるのでしょうか。  人間なんて木の葉みたいじゃないですか。 もう みんな助け合いましょうよ。 それが言いたくなるんです。 その仕組みが欲しい!!!!! ごめんなさい。    瞑想の造詣どころか   ただのキチガイの回答だったかも、 ??

stsmart
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 師はおりません。宗教的なアプローチはしていないのです。 強いていえば2年ぐらいに一度四天王寺の受戒をうけにいきます。 また、HemiSyncという音響をつかって瞑想をしています。 その誘導によって自分の意識を自分自身の内部にもっていくということを行なっています。 理解にいたったとは生意気な表現でした。もっと正確に言うとそういう風に感じた(内側から直観として感じた)というレベルで、そこにいたる筋道や根拠を全く持ち合わせていません。三位一体ということばはそのあとふとこの言葉に接することがり、この時に「肉体、心、魂」と自然と結びついたのです。 arayata333さんの「肉体、心、魂」の魂についての「他の魂へのかぎりなく熱い「幸せ」への祈りも めざめるもの。」は私にとっても非常に共感です。 > その瞑想で あかちゃんのような安らかな呼吸をすこし取り戻しましたか? その瞑想で子供のような毎日が新鮮な心をすこ師取り戻しましたか? 自他ともに対する感謝、愛情を感じます。   > その瞑想で それらがもうゆるぎないこんどは人の幸せを祈る心のゆるぎなさと何かしっかりむすびつくようになりましたか? まさにそうだと思います。自分と他人は根本レベルで同じということを感じます。行き着く先は同じ魂なのではないかと。だから、他人の痛みは自分の痛み。他人の喜びは自分のよろこびであるはずです。究極はにいたれば自分と他人を隔てるものはなく、これに向けて邁進しているのではないでしょうか。神と人間を比較しているのではなく、むしろ万人が神の一部という思いです。 > もう みんな助け合いましょうよ。 それが言いたくなるんです。 自分が変われば周りも変わると思います。 このムーブメントは起こりつつあるというのを感じるのは自分だけじゃないと思います。

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