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助動詞+です‥ これはすべてダメ?

● 痛い・です 「形容詞+です」は、取敢えず現在は許容表現とされていますね ( ^^ ところが・・・ ● 痛かっ・た・です これは「形容詞+助動詞+です」なので、NGという説明をよく目にします。 となると・・・ ● 食べ・たい・です (^¬^ ) 「たい」は一応形容詞型の助動詞ですが、形容詞ではありませんから、やはり公式には認め難い表現と言えるのかなぁ・・・? 大いに悩みますね ( ^^;

みんなの回答

  • kimosabe
  • ベストアンサー率59% (137/230)
回答No.6

私の回答は終了していますので、以下補足要求的確認です。 助動詞+です‥ これはすべてダメ?  ↓ 私が知りたいのは国としての方針はどうなのかという事実関係についてです。  ↓ そう、まさにそれ(“個人的” 解釈)をお聞きしたかったのです! この発言のブレは一体何なんですか。「ブレていない」と言い張りますか。 私が以前「主語」「主格(主格補語)」「主題(提題)」の定義を求めたは、あなたの発言にブレを感じたからなんですよ。

MockTurtle
質問者

お礼

ご回答は既に終了しているそうなので、「ありがとうございます」は省略します。 > 私が以前「主語」「主格(主格補語)」「主題(提題)」の定義を求めたは、あなたの発言にブレを感じたからなんですよ。 これが何を意味するのか、まったくちんぷんかんだったのですが、先ほどようやく思い出しました(どうも頭が悪くて我ながらいやになります)。これは、kimosabe さんご自身の過去質問のお話ですね。となると、ますます本質問とは無関係な話題ですね。 一応お話ししておきますが、私はあのご質問では途中で回答を中止しました。理由はあなたが補足の冒頭で述べられた次の発言が、遠回しに私のことを指していると感じたからです。 「どうも頭が悪くて我ながらいやになります」 あ、これは遊ばれているな‥ ( ^^; そう思いました。一応皮肉を理解する程度の国語力は辛うじて有していますので (笑) 考えてみれば国語の専門家の方があのレベルの質問をこのサイトに投稿すること自体がそもそも不自然なわけで、その点に気付かず投稿した私が迂闊だったと思います。 【以下余談】 kimosabe さんにはゴーヤーのアクセントに関する質問で大変お世話になっている(巴里夫人のように正確な日付までは覚えていませんが‥)ので、このようなことはあまり申し上げたくないのですが、あなたのプロフィールは正直いただけません。と言うか、そもそもあれは、“プロフィール” なのでしょうか? kimosabe さんのプロフィール http://oshiete1.goo.ne.jp/user.php3?u=89414 専門的見地からの義憤?なのだろう‥ と、私は善意に解釈しておりますが、一般的感覚から言えば、「この人、プロフィールの定義を完璧に誤解してるよぉ!」ということにならざるを得ないと思います。下手をすればあなたが専門家であることに関しての信憑性をも揺るがしかねません。 もっとも、そういうことはご承知の上でお書きになっているのでしたら、何も申し上げることはございません。 つい余分なお話をしてしまいました。失礼をお許しください。

MockTurtle
質問者

補足

> 私の回答は終了していますので‥ それでしたらお答えしても意味がないと思いますが‥ ( ^^; ただ、他の方にも改めて質問趣旨を正確にご理解いただくために、以下に補足します。 「形容詞+です」は、昭和27年の国語審議会の建議によって、初めて公式に許容表現とされることになった。 本質問では、一応この点に議論の余地はないことを大前提としています(それが正しいかどうかというような議論は、本質問の対象外です)。 その上で、「おいしいです」は許容対象になったが、「おいしかったです」は間に助動詞を挟むからこれは依然として許容対象外とする意見があることを踏まえて、次の疑問が浮かびました。 1)「たい」、「ない」、「らしい」などの形容詞型についても形容詞でない以上拡大解釈は一切許されないのか? 2)それとも、これらについては形容詞に準じて許容対象となったと見るべきなのか? すなわちここでお尋ねしているのは、「国としての見解は(1)・(2)のどちらだと思う?」ということのみです(もちろん、理由を述べずにただ「(2)です」とのみ言われても困るのですが‥)。その点についての皆さんの個人的解釈をお聞きしたかったわけです。 なお、“個人的”にダブルクォートを付けたのは、「あくまでご自分のお考えのみをお述べください(他人への賛成意見は不要)」という意味です。 > この発言のブレは一体何なんですか。「ブレていない」と言い張りますか。 上記の補足をお読みになれば、特にブレというものはないことがご理解いただけると思います。 以上

  • ysk26
  • ベストアンサー率36% (135/367)
回答No.5

No.4の回答同様、建議自体に「形容詞の」としか書いていない以上、当事者でもなければ答えようがありません。そこから先は「遠足のおやつにバナナは含まれるのか」といった解釈の問題になります。 条文主義に立てば「含まれない」と考えるだろうし、実際には「…たいです」といった表現も少なからず使われており、そうした実情をふまえた建議であると考えれば「含まれる」という考えも成り立つでしょう(私の個人的解釈はこちら)。 しかし、そもそも質問の趣旨としては「公式」な「国としての方針」をお知りになりたいようですが、だとすれば『これからの敬語』の解釈に頭を悩ませているのは、それほど意義のあることとは思えません。 なぜなら、『これからの敬語』はあくまでも国語審議会の建議に過ぎず、現代仮名遣いや常用漢字、外来語の表記のような、政府が採択し内閣告示として示した「公式」な「国としての方針」とは言えないからです。 公的な機関が提言した敬語に関する指針としてはほぼ半世紀にわたって唯一のものだったため、いろいろな場面でよりどころとされてはきましたが、あくまでもよりどころであって「国としての方針」ではありません。 そもそも、国は上記のような表記に関する方針は決めますが、言葉遣いについて何らかの方針を決めることはありません(言葉遣いは国が決めることではありません)。 たとえば「ら抜き言葉」にしても、国語審議会が答申の中で苦言を呈したことはありますが、その答申を受けた国は「認める」とも「認めない」とも言っていません。 「国としての方針」をお知りになりたいのであれば、たとえば検定教科書の表現を調べてみる、というのはいかがでしょうか。 「食べたいです」のような表現に検定意見が付いた事例などがもしも見つかれば、疑問を解決する手がかりになるかもしれません。 ただし、歴史教科書のごたごたを見てもおわかりのように、教科書の個々の検定基準も時の政権や社会の情勢によってころころ変わったりするので、ご注意ください。 直接の回答ではないことで長くなってしまいましたが、蛇足ついでに、「日国」をはじめとするいくつかの国語辞典では「痛いです」はもちろん「痛かったです」「食べたいです」のような表現も認めています。社会的にはいずれの表現も認められていると言ってよさそうですね。 私は使いませんが。

MockTurtle
質問者

お礼

> No.4の回答同様‥ No.4の回答同様なのですか‥。 > 私の個人的解釈はこちら そう、まさにそれ(“個人的” 解釈)をお聞きしたかったのです! ysk26 さんとしては、形容詞型助動詞も含むと拡大的に解釈するのが相当というご見解なんですね。ありがとうございます。 他の皆さんにも、ぜひその点についてのお考えを述べていただきたいと思います ( ^^ - 以下余談 - > あくまでもよりどころであって「国としての方針」ではありません。 確かに主務庁からの発令はありませんが、取敢えずこれを拠り所としなさいと示している以上、少なくとも「あれは審議会が勝手に言っていることに過ぎず、ウチは一切関知しない」というスタンスでないことは確かでしょう。実質的に “国家の公式見解” と言って差支えないと私は思います。 『これからの敬語』を巻末付録として掲載している国語辞典もありますしね ( ^^

  • kimosabe
  • ベストアンサー率59% (137/230)
回答No.4

昭和27年の国語審議会の建議書における下記の方針が、「形容詞型助動詞+です」も含めて許容対象としていると考えてよいのかどうか‥? 『これからの敬語』で直接問題にしていないのですからなんとも言えません。 でも、もし仮りに、 「考えてよい」だったら、どうだって言うんですか。 「考えてはいけない」だったら、どうだって言うんですか。 (1)注射しますが、ちょっと痛いですよ。 (2)あのエラーが痛かったですね。 (3)こんな暑い日はあっさりしたものが食べたいですね。 のような言い方をあなたはやめますか、それとも続けますか(もともとそんな言い方はしないということであれば話は別ですが)。それはあなた自身の言葉に対する見識と自信に従って決定すればよいことです。 それにしても昭和27年、古い話ですなあ。 以上、終了です。

MockTurtle
質問者

お礼

> 『これからの敬語』で直接問題にしていないのですからなんとも言えません。 つまりkimosabe さんは、ご存知ないのですね、分かりました。 > 「考えてよい」だったら、どうだって言うんですか。 > 「考えてはいけない」だったら、どうだって言うんですか。 「やはり公式には認め難い表現と言えるのかなぁ・・・?」 と質問文に書きましたように、私が知りたいのは国としての方針はどうなのかという事実関係についてです。それをどう評価するかは別の問題ですが、そちらについてはお尋ねしていません。 その辺を誤解されているようなので、前回のお礼で「~ですだ」の例をお話ししたのです ( ^^ ありがとうございました。

MockTurtle
質問者

補足

> それにしても昭和27年、古い話ですなあ。 それは本質問とは無関係な話です! ヾ(ーー") とお断りした上で・・・ 言葉の変化の実態を考えた場合、見直しをサボり過ぎてはいないか?との意見は少なからずあるとは思います。一方、“国文法” たるものが服装や食べ物の流行のように容易く変わってよいものだろうか?という意見もまたあるでしょう。 その辺の考え方は、人それぞれだと思います ( ^^

  • kimosabe
  • ベストアンサー率59% (137/230)
回答No.3

(1)注射しますが、ちょっと痛いですよ。 (2)あのエラーが痛かったですね。 (3)こんな暑い日はあっさりしたものが食べたいですね。 日常会話として不自然でしょうか。なるほど、「形容詞(+助動詞)+です」単独では稚拙な表現と言おうか、何かしら違和感がありますが、(1)(2)(3)のように終助詞を添えると何の違和感もありません。「今日は暑いですね」と言われた瞬間、「あなたの日本語は間違っている」とほざくアホはまずいないはずです。 その辺を視野に入れてお考えになってはいかがでしょうか。

MockTurtle
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 質問の趣旨が理解されていないようなので、補足しました ( ^^ 余談 私は自分のブログでは、よく「~ですだ」を使います (笑)

MockTurtle
質問者

補足

昭和27年の国語審議会の建議書、『これからの敬語』における下記の方針が、「形容詞型助動詞+です」も含めて許容対象としていると考えてよいのかどうか‥? 形容詞と「です」 これまで久しく問題となっていた形容詞の結び方――たとえば,「大きいです」「小さいです」などは,平明・簡素な形として認めてよい。 これが質問の趣旨です ( ^^

  • Moreno
  • ベストアンサー率62% (37/59)
回答No.2

「です」の前に立つ用言については、つい先日、下記で回答しましたから、お読みかもしれませんが、ご覧下さい。 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4291997.html 以下は、これに関連する続きです。 現在では、形容詞のほか、「~したい」のような助動詞(これは活用しますから、用言になります)も直接、「です」の前に来て、 「疲れたから、座りたいです」のような表現は許容されていると考えられます。この言い方は、記述文法上は正しくないと言えませんが、 しかし、規範文法では、「・・・座りたいのです」が正しい表現となります。 おたずねの表現は、すべて、規範文法上、正しくありませんが、現代日本語の記述文法では、正しくないとは言えないと考えます。 言葉は、その時代の雰囲気で変遷していきます。「強かわ」は、元来は、「強くてかわいい」と思いますが、 「かわいい」は形容詞のところが、「強かわ」は形容動詞になってしまい、元の品詞を持続してないから、 規範文法上は正しくない、という主張は、ある程度、説得力があり、しかしながら、実際、メディアにも登場している以上、 一方的に正しくないと決めつけは不可能です。ご質問にある、用言の後に「です」が直接、立つ表現が、 かなりの部分、市民権を持つに至っているのは、登場して日がたち、それが正しくないとする人が、 この世からいなくなったためとも考えられます。「食べれる」がダメだと意見も、50年後には、今は昔の主張となるでしょう。 以上は、あくまでも標準語に限った議論です。用言の動詞を直接、「です」の前に置く場合で、 標準語では、正しくないとされる「明日、東京へ行くです」(一般には、「明日、東京へ行きます」で、「です」を使わない)を 行う方言が、探せばあるかもしれません。非丁寧形「明日、東京へ行くだ」の類は、耳にした記憶があります。

MockTurtle
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 本質問では、昭和27年の国語審議会の建議書、『これからの敬語』における下記の方針が、「形容詞型助動詞+です」も含めて許容対象としていると考えてよいのかどうか‥ ということをお尋ねしています ( ^^ 形容詞と「です」 これまで久しく問題となっていた形容詞の結び方――たとえば,「大きいです」「小さいです」などは,平明・簡素な形として認めてよい。

  • 32-bunny
  • ベストアンサー率30% (4/13)
回答No.1

「です」は、文法的な正しい用法としては、 体言、または一部の助詞に接続することになっています。 (2)は、「た」は連体形になるので、体言に接続する「です」との間に 体言を補う必要があることが明確なので、誤りです。 (1)と(3)も許容表現とのことですが、(1)も(3)も連体形で、 間に体言を補うべきなので、(2)と同様に誤りなんでしょうね。 (1)「痛い・です」 → 「痛い・の・です」 (2)「痛かっ・た・です」 → 「痛かっ・た・の・です」 (3)「食べ・たい・です」 → 「食べ・たい・の・です」 なら、学校文法的に正しいのでしょうか。 (1)も(3)も活用と接続が同じなので、(1)が許容なら(3)も許容できるはず、と思うのですが……。 (1)を許容表現としていたページや書籍などの情報はありますか? あったら、見てみたいです。興味があります。(^_^;) 私は、どういう経過で「痛い・です」が許容に至ったのか 知らないので、それを知りたいですね……。 (2)は小学生の作文みたいで、稚拙な印象を受けますが(何か違う、っていう感じがします) (1)と(3)は普通に使っています。間違いなんでしょうが。 いつから、どうしてOKになったんでしょうか。 質問者さんの疑問とはそれますが、そんな点に興味を持ちました。(^_^;)

MockTurtle
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 本質問では、昭和27年の国語審議会の建議書、『これからの敬語』における下記の方針が、「形容詞型助動詞+です」も含めて許容対象としていると考えてよいのかどうか‥ ということをお尋ねしています ( ^^ 形容詞と「です」 これまで久しく問題となっていた形容詞の結び方――たとえば,「大きいです」「小さいです」などは,平明・簡素な形として認めてよい。

MockTurtle
質問者

補足

すっかり固まってしまった感があるので、そろそろ締め切ります。 回答者に質問趣旨を理解させるのは本当に骨が折れます。やっぱ私は、どちらかと言えば回答者向きなのかな~と思ったり‥ ( ^^;

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