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ダンサーインザダークってあり?

  • 暇なときにでも
  • 質問No.42214
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お礼率 27% (5/18)

あんな穴だらけの裁判で死刑になる事ってあるのでしょうか?
見終わった後なんか納得いかなくて、しかも子供を残して死んでしまう。
加えてあのうちの母親が撮ったようなカメラワークの意図は何?
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質問者が選んだベストアンサー

  • 回答No.4
レベル6

ベストアンサー率 62% (5/8)

私はこの映画の監督の前の作品も見ていないので”ど素人”の意見ですがご了承下さい。私は”こんな話でいいの?”という気分で見終わった後しばらくひきずりました。私の場合は監督がどうとかカメラワークがどうとか詳しいことは正直知りません。でも見て何日かたって思った事は、やっぱり子の人生を思う母親の思いが大きくて自分の死は問題ではなかったのでは?あの裁判は本当にひどすぎるし最後の死刑の場面もあまりに衝撃的(ていう言葉がいいかわからないけど)でいらないんじゃない?て気もするけど。。。だから乱暴な言い方をすれば母親の思いを表現する方法の一つとして不利な立場の事件と弁護士がいないに等しい裁判があったのだと思います。母親がいて目が見えなくなるのと母親がいないけど正常に見える目を手に入れた人生のどちらが子供にとっていいのかは結論はでないですが。。。それと酔いそうな撮影の方法は見る人が工場なり法廷なりその場にいるような感覚になるよう人の目線のように撮影している気がします。
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その他の回答 (全3件)

  • 回答No.1
レベル10

ベストアンサー率 37% (43/115)

確かに裁判は穴だらけな印象はありますが、
彼女が自白しているという事実から、有罪になったと考えていいのでは
ないでしょうか。監督が見せたかったのは息子を思う彼女の気持ちですから、
裁判事体を深く考えると、監督がかわいそうです。
で、あの何とも悲惨な展開やカメラワーク、そして音楽を聞かせる演出
(この映画の冒頭でもオープニングまで3分ぐらいの音楽を聴かされましたよね。)
は脚本・監督(ラース・フォン・トリアー)の(最近の)お家芸なんです。
興味があるのだったら前作「奇跡の海」をみてもらうと納得するでしょう。
(話は同じく悲惨です)

あのカメラワークは、人の視線を意識した「リアリティ」の追求です。
  • 回答No.2
レベル10

ベストアンサー率 57% (48/84)

 あの映画私も観ました。もともと、ラース・フォン・トリアー監督の作品に興味があったのです。

 まず、裁判のことは、詳しくはわからないのですが、あれはフィクションですから、現実離れしていてもいいと思います。それに、あの映画は、いわゆる(ハリウッドの)法廷ものの映画ではなく、ミュージカル映画であることもお忘れなく。(ミュージカルは突然歌おうと踊ろうと、それがつじつまが合わなかろうといいんです。と思います。)

 そして、何より、あのストーリーとカメラワークによってこそ、監督が意図するところのものは、「現実感」(上に述べたことと矛盾しますが)なんだと思います。
ハリウッド映画なら、ラストはハッピーエンドになるのでしょうが、でも私たちの暮らす現実はどうでしょう?物事ってなかなかうまくいかないですよね。そうした救われない人々の現実を描こうとしたのではないでしょうか?
そのため、カメラワークも現実に近づけるためにわざと素人っぽくしたり...
この監督の別の作品である「奇跡の海」を観ると、きっと監督の意図する「現実感」がわかると思います。

個人的意見で納得いかないかもしれませんが、映画って、見終わった後に何かを心に残してくれる(それが、難解さだったり、爽快感だったり、さまざまですが)ものが、やっぱりいい作品なんだと思います。いつかまたその映画をみたら、きっとまた新しい気持ちや感動を味わえると思いますよ。
  • 回答No.3

 映画の見方は人それぞれだと思いますので、あくまで参考として読んでください。

 映画って、一般的に「見せる」娯楽性と「感銘させる」人間ドラマ性の和(足し算)によって評価されますよね。でも、そういう評価基準に疑問を投げかけるような映画作家がごく少数います。ハリウッドならスティーブン・スピルバーグ、日本なら黒沢清、そしてヨーロッパならラース・フォン・トリアーが最右翼でしょう。

 ラース・フォン・トリアーはフォルム重視の作家です。はっきりいって物語には思い入れがありません。「キングダム」以降の彼の書く物語はソープ・オペラのフォルムを借りているだけです。自己チューな女性の愚かな振るまいを、ハンディキャップを抱えた女性の自己犠牲のエピソードとしてソープ・オペラ形式で物語れば面白いだろう、そんな程度だと思います。だから、裁判のシーンの因果律を追及しても、きっと大した意味はない、そう思います。

 あのカメラ・ワークはトリアーが発起人であるドグマ95の手法ですが、ダンサー・イン・ザ・ダークに込められた意図は、物語とミュージカルのルックの切り替えによる、モダーンなミュージカル映画の在り方の提示ではないでしょうか。 
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