• ベストアンサー

幕末の薩摩藩について

莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)の回答

回答No.5

 一つの動乱の時期で、個人も情勢も一貫性を見ていくことは困難なことなのでしょうから、一定のご回答の中の諸事情とご指摘の中で歴史と個人は行動したと存じます。  ご回答の中の天皇の地位をめぐる陰謀については、拝読してもにわかに否定も論駁も、そして肯定や受け入れも控えております。  そのどの立場でもないからです。  西郷さんの行動には不可解なことが多々ありますが、歴史の中での行為も、そういう個人のご人格、お人為りやご性格の面からのアプローチも必要ではないかと存じております。    時流にのったというのは、乗ることを意図したのではなく、後世や外部の見方としての結果論的あり方かもしれません。  剣術などもそうでしょうが、ことの判断や処理のことでは有能な器、道具ではなかったという認識を持たざるを得ないものです。  そういう方というのは有能な輔弼、補佐の方がおられないと、どうも支離滅裂な行動選択をするという、評論を読んだことがあります。  私のことでは何か長く事務やを生きて、身につまされる思いでおります。  無能なのに、正に許されて生きてきたわけですので。  でも朝鮮出兵の主張は、侵略というより、欧米のアジア侵略に備えるという意味では、自分は理解できるのですが。間違いかも知れませんが。

siniti009
質問者

お礼

遅れてすみません ありがとうございます

関連するQ&A

  • 薩摩が倒幕を決めたのはいつごろですか?

    薩摩は、生麦事件のあとの薩英戦争で攘夷の難しさを知り、方向転換をしたそうです。 その後藩の方針が倒幕に動いたのはいつごろでしょうか? よろしくお願いします。

  • 幕末・薩摩藩の小説や資料など教えてください

    こんばんは。 わたしはずっと新選組や会津藩が好きで、薩長が嫌いでしたが、最近西南戦争のことを知って、過去、薩摩を嫌っていた自分が信じられない位に薩摩藩のことが好きになりました。 そこで、戊辰戦争の頃の薩摩藩側の小説を読んでみたいと思うのですが、薩摩藩全体のことが書かれている作品ってあるのでしょうか。 特定の人物が主役になっている作品(西郷隆盛や大久保利通など)の物でも、いろんな薩摩藩士が登場して活躍する物ならぜひ読んでみたいです。 戊辰の薩摩のことが書かれていれば資料集の類といったものでもかまいません。知っておられる方、ぜひお教えください。

  • 歴史小説 ※西郷隆盛又は薩摩藩を中心に描かれたもの

    歴史小説 ※西郷隆盛又は薩摩藩を中心に描かれたもの 幕末の良い歴史小説を探しています。 西郷を中心に書かれているものか又は薩摩藩を中心に描かれているものでお薦めなものはないでしょうか? 薩摩藩が大好きな方。是非、紹介してください。

  • 幕末の志士達自身の思想とは?

    長州藩は連合艦隊の攻撃によって攘夷思想から開国思想へ変わりましたが、桂小五郎や高杉晋作自身はそれより以前黒船来航時から開国思想の人物だったのですか? 一方久坂玄瑞はコテコテの攘夷思想だったのですか? また薩摩側の西郷隆盛や大久保利通はいつから開国思想をもったのですか? やはり、黒船来航時からですか? それとも薩英戦争後からですか? 色々とぜひ教えてください。

  • 幕末の各勢力の立ち位置について

    黒船が来航したことで、幕府は開国をしましたよね。 それに反対する形で、薩摩・長州などが 尊皇攘夷を唱えて対立したのが、幕末の始まりだと思います。 でも、薩摩や長州が外国との戦争で負けたことをきっかけとして、 開国に主張が変わったのに、その後も倒幕運動が行われたのは どうしてなんでしょうか? スローガンが尊皇だけだと、倒幕の根拠が薄いような気がします。 なぜなら、幕府は朝廷と対立したのは幕府が開国したためで 尊皇を唱える薩摩・長州も開国に主張を変えたなら どちらも、朝廷と対立する立場になると思うからです。 個人的には、関が原の戦い以降の毛利・島津の恨みが根底に あって、尊皇や攘夷は口実に過ぎないと思ったりもしたのですが。 どうなんでしょうか。よろしくお願いします。

  • 尊王攘夷について

    幕末は長州藩の開国論と薩摩藩の尊皇攘夷派の 対立があったわけですが薩長同盟が成立したのは 開国論者も尊皇攘夷派も幕府を倒さなければならないと 言った共通項があったからですか? また、なぜ攘夷派の人間は明治以降、開国論に 考え方を変えたのでしょうか?

  • 幕末の歴史について

    幕末の歴史についての質問です。 一橋派 南紀派 尊皇攘夷派 公武合体派 開国派 幕政改革派 幕政保守派 対立構造、関係がよくわかりません。教えてください。よろしくお願いします。

  • 幕末

    幾つかお聞きしたいです。 (1)容堂公は公武合体派と聞きましたが本当ですか? (2)土佐藩は尊皇攘夷派だったんですか? (3)仮に上記が本当なら、土佐藩の主君になる容堂公の考え方は土佐藩の思想としては良いものだったのか、反していたのか (4)一藩勤王(藩自体が攘夷をあげる事)を目指していた武市半平太は、天子さまを頂点に将軍、大名、大名の家臣という順に下に置き、主君(土佐だったら山内氏)に尽くす事が天子さまへと忠誠となるという考え方だったらしいので、容堂公に尽くしていたのでは?弾圧される という意味がよくわかりません。 どなたかご教授願います。

  • 長州藩の力

    日本史について質問です。最近ペリー後に日本が開国を始めた時代から、長州征伐までを本で読んだのですが、わからないところがあります。長州藩のことですが、本では長州藩が尊皇攘夷をたて、京都で幕府を支配し、井伊直弼が結んだ開国を防ごうということが書かれていたのですが、なぜ長州藩は幕府を牛耳るだけの支配権をもっていたのでしょうか?それ以前に、幕府が行った開国に対しての不満が生じ(攘夷論)、その不満を防ぐために、公武合体運動として家定と和宮が政略結婚させられましたよね?? そこで長州藩が、今まで徳川家(幕府)の武家政権が中心社会でしたが、力をずっと持っていなかった朝廷(公家)をいきなり立てて、なおかつそれを使って、攘夷論を打ち出すことによって、長州藩は力をつけたのでしょうか? 本では、家定を京都に呼んだ??と書かれてあったのですが、政略結婚のことをいっているのでしょうか? 教えてください。

  • 福島県と薩摩と長州

    だいぶ以前ですが、とあるラジオ放送で「福島県民は上野の西郷さんの銅像に石を投げつけている」と言っておりましたが、私は福島県民ですが西郷隆盛の悪口は一度も聞いたことがありません。福島県民が薩摩藩と長州藩を嫌いだと思われている由来はいったいなぜでしょうか。