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明日にでも死にたいです。
- 苦しい病気の再発や治療の副作用により、心が折れてしまいました。
- 彼氏や家族からの理解も得られず、孤独感が募っています。
- 心療内科に行くことに抵抗があるため、自殺を考えてしまう日々が続いています。
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お辛いですね・・・。 病状は安定しているのですか? ステロイドは、とても良く効く薬ですが、副作用が必ず起こる怖い薬でもありますよね・・・。 私も半年ほどステロイドを飲んでいて、やはりムーンフェイスになって、体重も10kg程太ってしまいました。 ステロイド緑内症にも一時期なっていました。 質問者様の苦痛には到底およばないとは思いますが、女性ですから病気なんか放っておけば良かった・・・って、毎日悲しかったですから、少しはお気持ちをお察しすることはできます。 今はステロイドは、使用されていないんですよね? でしたら、時間はかかりますが、お顔はすっかり元に戻りますから、どうか死ぬなんて言わないで下さいね。 そんなことで会いたくないと言うような、心無い彼氏のことなんか、忘れてしまった方がいいです。 私は結婚していますが、ムーンフェイスの時、主人は始めこそ「全然、変わってないよ。」と、嘘をついてくれましたが、どう考えてもおかしいくらいに膨れ上がった時には、一緒に笑いました。 悲しかったけれど、笑ってもらえて良かったです。 彼は、酷い人だと思います。 そんな人のために、傷つかないで下さい。 病気はしかたがありません。 病気の分だけ、ご自分を大切にしてあげて下さい。 ムーンフェイスは、必ず元に戻ります。 だから、絶対に死なないで。 心療内科にも通って下さい。 薬のアレルギーで、病気が再発したこともお医者様に話しておけば、 薬は慎重に選んで下さるでしょう。 また、お話を聞いてもらうだけでも、少しは気持ちが楽になるかも知れません。 諦めないで下さいね。 生きる事を決して諦めないで下さい。
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- totoroba
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心療内科へすぐに行って下さい。 以前薬でアレルギーを起こしたのであれば かかりつけのお医者様から心療内科医師へ連絡してもらう必要があります。 アレルギーの起きない薬があるはずです。 セラピーやカウンセリングで楽になるかもしれません。 死にたいと言わせているのはあなたではなくて 「うつ」です。 ぐっすり眠って、ちゃんとお薬を飲んで「うつ」を治して こころが元気になってから、 これからのことをゆっくり考えましょうね。
書きかけてはやめて、書きかけては消して…。 既にkiriku3333さんに言葉を残している方々と同じですね。 治らない病気と闘う人生を、望む人間なんて一人もいませんよね。 あたしもkiriku3333さんと同じです。病気は違いますが、治りません。 投薬の副作用の辛さも、それによって死にたいと思ったコトも、自分の経験としてあることを始めに書かせて頂くことを許して下さい。 副作用は必ず時間が癒してくれます。 アレルギーの出ない薬を探し、処方してくれるお医者さんも必ずいます。今はそれだけでいいですから、信じて下さい。 それから、死なないで下さい。 理解者は必ず『今』、kiriku3333さんの周囲にいるんです。 彼氏さんだけがたった一人の理解者ではありません。こうやってネット上でも、kiriku3333さんに『死なないで欲しい』と願う人間がいます。 周りを、もっと見てみて下さい。 絶対にいませんか?あなたの苦しみを見て、代われるものなら代わってあげたいと心の中で思っている人や、治らない病気だという事を知りながらも諦めることなく接してくれる人。本当に絶対にいませんか? 絶対にいるはずなんです。 傷ついて苦しんでる『今』だから、よく見えないだけ。 頼る人、甘えたい人を一人に絞らないで、沢山つくりましょうよ。 異性でも同性でも、年齢にもこだわらないでいい。 勿論『人間』にこだわらなくてもいいんです。 kiriku3333さんのことを、『無条件に信頼している何か』が必ずそばに在ります。 その『何か』のことを、kiriku3333さんが無条件に信頼出来る時が必ず来ます。 うそ臭いキレイゴトに思えるよね? あたしは、そう言われた時はうそ臭いキレイゴトに思えました。 でも、罹患してから8年経った今、あの時死ななくて良かったと思える程、家族、友人、愛する動物達に囲まれて笑顔で過ごすことが出来てます。発作を起こしても、諦めないで8年間も治療に関わってくれる主治医の先生、医療スタッフがいます。 私にも出来ることを探しては、『仕事』をくれる優しい人達もいます。 嘘じゃなかったよ。本当に在りました。 この8年で知り合った、同じように治らない病気で苦しむ人達、全員に在りました。驚くことに、あたしが『生きている』事に救われたと言ってくれる、見ず知らずの人も沢山いました。 だからkiriku3333さんにも、絶対に傍に『在る』。 kiriku3333さんが『生きる』ことで救われる人間がいるんです。 なんでもいいんです。 半信半疑でもいいから、探してみましょうよ。 ココに書き込むことで、もうkiriku3333さんは一歩前に進んでるんです。
- photoisit
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あなたに似た友達の話を聞いてください。 私の友達も国で指定している難病でした。それでも頑張っているときに、彼氏に別れをつげられてしまいました。 そしてその女友達は精神病になりました。なんども精神科に入院し、家族にも冷たくされ、とても悩んでいました。 私はうつ病でなんども死んでしまいたいと思ったことがあるので、友達が死にたいというのがどんなに辛いことかと思っていた矢先に 友達が無理心中をしようとして、母親の運転する車を対向車線のトラックに突っ込むようにわざとハンドルを切りました。母親だけが死んでしまい、私の友達は殺人で逮捕され、全国ニュースで名前が載ってしまいました。 私が言いたいのは、自殺しようとして逆に人生をもっと辛く苦しいものにしてしまう事もあると言うことです。 死にたいと言う気持ちをもう一度、精神科医に伝えてください。 それからでも遅くないから
- a_bear_cub
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大丈夫です。 あなたは死なないですよ。 私の姉の事ですが、病気ではないので、参考になるかわかりませんが…。 一人暮らしをしていた姉が、当時付き合っていた彼氏との別れ話がこじれて、暴力と監禁とストーカーにあっていました。 私と両親がにもそれを知ったのが、不覚にも姉が自殺を図り病院からの連絡でした。 運良く、職場の同僚が出勤しない姉を心配して家を訪ね、様子がおかしいからと大家さんに鍵を開けて貰い、救急車で運ばれ助かりました。 人間って、本当に死にたかったら、誰にも言わずに突然死ぬんです。 このサイトで、死にたい、死に方を尋ねると言う事は本当は生きたいからなんじゃないのですか? 誰かに助けを求めている間は大丈夫です。 死にたくない、生きる気力が少しでもあると思います。 それなら、後は、ムーンフェースが戻ったら、素敵な女性になって元彼を見返すだけです。 あなた全部ではなく「顔」だけ好きだった彼の事はわすれて、「あなた全部」を好きになってくれる人と出会える事を祈ります。 病気は辛いでしょうが、月並みな事しか言えませんが、まず無理をしないで、気持ちが少し落ち着いたら心療内科に話だけでも聞いて貰ったらどうでしょうか? あなたが死んだら残された家族、友人が苦しみます。 そんな苦しみを与えたくはないでしょう?
- motomoto12
- ベストアンサー率37% (1046/2826)
とある方がおっしゃいました。 自殺などして死ねば、自分が知らないところで大勢の方に迷惑をかける。また自分の知らないところで、絶対にその死に悲しむ人がいる。 ならば、「死んだ気」になって、次なる人生を踏み出す方が、よっぽどいい。 死んだ気になって って良く聞きませんか? それなんですって。 今の若い人は「死んだ気になるより、死ぬ」らしいですが、それは1+1=2の考え方であり、人生は、そんな数学的簡単な方程式ではないとのこと。1-1=0ではない。 よって、彼が貴方を見放したのならば、ここはいい時期です。 貴方の人生を今から次なる人生に切り替えればいい。 死んだ気になって 一旦、今までの貴方を殺してしまって、新たな人生を進めばいい。 貴方は、幸い、お子さんがいらっしゃらないようですね。 子供がいると人生リセットしたくても、子供が幼ければ幼いほど、難しいんですよ。死んだ気になっての意味も、自分があってないようになってという意味が違ったとらえ方しかできない。 貴方は、帰る実家もあるのならば、まだいいのだと思う。 貴方は「死んだ気」になって人生を再出発できます。が、親はそんなこと出来ないんですよ。貴方の体をそうしてしまったのは、自分達だとずっと罪を背負って生きて行くようなもの。そこで子供が死を選んでみてください。もう親は生きていけないほどの苦しみをさらに背負うんですよ。 貴方は1人じゃないのだから、勝手に「死なないでください」 「一度死んだ気になって」 再出発を願います。親としての気持ちでした。
- anderusen
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何の役にも立たない回答だが 参考URLはあなたと同じ病気と闘う日々を綴ったブログ 同じ病を治療している人たちが どんな思いで 療養生活をしているのか 難病と どう向き合っているのか ネット上でもいいから 話をしてみたらどうだろうか 病気と前向きに闘えとか あきらめずに治療しろとか 奇麗事は言えない 病気と向き合うことに 疲れ果ててしまったのだろう ただ 自分の魂にまではどんな強大なものであろうと 進入できない 自分の内なるものを もう一度信じられないか
- doi3desu
- ベストアンサー率61% (230/376)
何度も書き込もうと思っては、ログアウトしましたが、どうしても気になってこの時間になってしまいました。 さぞ、おつらいことと思います。普通に生きている人間であっても、ふと死んでしまいたいなと思うことがあります。私も何度かありました。ですから、kiriku3333さんが死んでしまいたいと思われるのは当然でしょう。でも、死を選んではいけません。人は何のために生まれてきたのでしょうか。そして、なんのために生きているのでしょうか。誰にも分かりません。正解はないでしょう。私なりの考えを述べてみます。なぜ生まれてきたのか。それは、自分のためであり、同時に人のためでもあると思います。自分のためというのは、何かを誓ってこの世に自ら生きることを選択したと私は考えています。それを探すのが生きるということではないかと思うことがあります。また、人のためというのは、人間は生きているだけで誰かの幸せになっているからです。kiriku3333さんには、ご両親や友人、その他大勢の人達に囲まれていると思います。kiriku3333さんがいなければ、寂しい、悲しいと思う人が必ずいるはずです。私は母を数年前に亡くしました。本当に辛く、今でも「ああしておけばよかった、あのとき、つらく当たって申し訳なかった」という気持ちで一杯です。愛情たっぷりの母でした。母がいないことを今でも寂しく思います。人の命というのは、それほど他の人に優しさと愛を与えてくれているのです。kiriku3333も、同じです。どのような境遇にいようとも、あなたを心配し、あなたがいなくなったら涙する人がいます。命は尊いものです。あなたが、生まれたとき、ご両親や回りの人達が、どれほど幸せだったことでしょう。赤ちゃんのあなたをご両親は無償の愛で育てられたはずです。回りの人達の愛や優しさに気づいてください。人生はあなただけのものではありません。 生きる理由を探す人がいます。色々な答えがあるでしょう。でも、私は、「生きること自体」が生きる理由だと思っています。この世に生を受けた以上、人生を全うする義務があるような気がします。人に与えられた指命です。色々な人がこの世界にはいます。私は、学生時代、旅行をしているとき、駅の構内でホームレスの人に、「この段ボールで寝るといいよ」と話しかけられたことがあります。そのうち、どこからかお酒が出てきて、お酒を飲みながら、その方の人生を聞かせてくれました。立派な人でした。世間ではホームレスというだけで白い目で見る人がいますが、決してそんなことはありません。誰にも迷惑をかけず、ひっそりと生きておられるのです。その生きる力は甘ったるい生活をしていた大学生程度のガキにはとても大きな驚きでした。飽食や豊かな生活をしているにも関わらず、自殺する人もいる。一方で、日々食べるものに事欠く人間が力強くいきている。これは世界の貧しい国の人々にも当てはまります。 お気持ちは察することができます(もちろん、あなたの苦しみを私が完全に理解しているわけではありませんが。。)。しかし、命を自らの手で絶ってはいけません。 私にもある恐怖症があります。結構苦しみました。そんなとき、ある本ににこんなことが書かれていました。「神は、その人間が耐えられないような試練を与えることはない」と。試練を乗り越えることができる器だからこそ、試練を与えられたということでしょう。その試練に耐えきれず自殺したり、逃避する人もいます。しかし、それを乗り越え、大きな働きをする人もいます。 あまり上手く言えませんが、私の思いのひとかけらを述べてみました。 kiriku3333さんは一人じゃありません。 朝の来ない夜はありません。必ず夜明けは来ます。書いているうちに、本当に夜明けが来ました。外では、鳥が綺麗な声でさえずっています。一生懸命ですね。
- r-utsugi
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何度も何度も読み返しました。 目をつぶり、顎を撫で、ため息をつきながら何かを書きたいと思いましたが、 己の無力を知り、諦め、パソコンを閉じました。 それでもまた開きました。でも答えなど出るはずもありません。 同じような経験をした人がきっといいアドバイスをしてくれるだろう。 それに期待して退散することにしました。 そこでふと、母親の事を思い出して、書いてみようと思いました。 母親はもう他界しましたが、原因不明の病で歩くことが覚束なくなりました。 多分、母が三十代半ばの頃(私を出産した頃)です。小さい頃は足が早かった。 母にそう聞いた覚えがありますが、私が記憶しているのは、家の中を這っている母の姿です。 大学病院にも長く入院して、寂しい思いをしたものです。 柱につかまり何とか立ち上がっても、壁を伝わらなければ歩けませんでした。 外では杖です。その頃は四十代に入っていたでしょうか。 私の肘につかまりながらも、小さい石ころにもつまずきました。 歩みが遅いため、間に合わずに路上でお漏らしをしたこともありました。 幼い私が、日傘で隠しました。 足を伝う尿を両の手のひらで必死でぬぐう母の頭部と夏の日差しを、今も覚えています。 「○○(私の名前です)もうどこへも行かなくていいからね」 母が言った日のことを、今もよく覚えています。黙っていましたが、うれしかったです。 私はきっと幼いながら我慢することを覚えたのでしょう。 だがそれは、完治ではなく、治療不能、の意味だったのだと後々気づきました。 でも母は明るかったです。 トイレで尻餅をつき、二度と起き上がれなくなり、結局ガンで死にましたが、 ふくよかな笑顔だけが記憶に残っています。 何の力にもなれない話でした。