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わたしのキリスト教史の理解は正しい?

cse_ri2の回答

  • cse_ri2
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回答No.4

私個人の見解です。ちなみに宗教学などは専攻してなく、 いろいろな書籍から独学で学びました。 >(1)紀元前は「神」の教えを旧約聖書で定め、これを >人々は守ることに努力した。 >(2)その中でも、より厳格な規律に身をおく者たちがいた >(十戒の厳守)。 >(3)そこで、その者たちはユダヤ教という教徒を名乗り >キリスト教から独立した。 (1)はそうですね。モーセが出エジプトをした時に、神から 十戒と律法を授けられ、モーセとともにエジプトから移動 したイスラエル民族に伝えられました。ここがユダヤ教の 始まりと私は考えています。 (2)については誤解です。 ユダヤ教徒は全員十戒を厳守するのが原則です。 ただ新約聖書によると、イエス・キリストの時代には様々 なユダヤ教の派閥があったようで、十戒だけを守ればいい と考える人たち(サドカイ派)、先祖から伝えられた律法 の解釈を忠実に守る人たち(パリサイ派)、厳格な信仰を しながらメシアの到来を切実に待っていた人たち(エッセ ネ派)などがあったようです。 (3)も誤解で、ユダヤ教から分派したのがキリスト教です。 イエス・キリストの説いた教えは革新的すぎて、残念なが ら守旧的な当時のユダヤ教からは受け入れられませんでした。 >(4)その後、キリストの誕生により新約聖書が作られた。 新約聖書が編纂されたのは、イエス・キリストの死後です。 マタイ・マルコ・ヤコブなどイエスの直弟子と、ルカのよ うなそれ以後の弟子たちによって編纂されました。 >(5)ところが、キリストとその弟子たちによって作られた >新約聖書の解釈について、のちの人々の間でズレが生じ >始めた。 ローマ帝国での激しい迫害の後、コンスタンチヌス帝の時代 にキリスト教は公認されましたが、この時点で既に派閥が あったようです。 それでどの派の教義を正統とするかを決めるため、何回か の公会議が開かれます。 そして異端とされた派はローマで布教できなくなったため、 東方に活路を見出します。何派か忘れましたが、はるか中国 まで伝播した派が景教という名で伝えられています。 >(6)そこで、本来の教えを信じ、それに従うべく独立する >者たちがさまざまな宗派を作った。 >(7)それが、カトリック、プロテスタント、セブンスデ >イ、などである。 >(8)そしてそれらに追随して独立しないで留まったのが >バプテストである。 これはずっと時代を下って、宗教改革の頃ですね。 それまでのキリスト教はカトリックとギリシャ正教だけだっ たのですが、カトリックがあまりに腐敗したためルターが 宗教改革を起こします。 カトリックから独立したルターやカルビンなどに従った人 たちをまとめて、プロテスタントと呼びます。 プロテスタントはローマ教皇のような中心的存在がいない ため、その後どんどん分かれていきます。 セブンスデイ・アドベンティストもその一つだったかと。 >(9)その後、エホバの証人、ものみの塔などが本来の教え >を貫徹すべく独立し派生していった 何が本来の教えかは私には判断できませんが、彼らが信じた 教えを守るべく独立していったものと思われます。

binbou-yusuri
質問者

お礼

 お答え戴いてありがとうございます。    いや~、詳しいご回答を戴いて感謝です。かなりの誤解があったことを自覚しました。cse_ri2さんのご回答や他の方々のご回答や参考URLからかなり疑問が解消しました。と同時に新たな疑問や宿題も増えましたが(笑)。  わたし自身は信仰はありませんが、キリスト教も含めて個人的に賛同できる信仰や教えはたくさんあると思っています。仏教やイスラムの教えからも学ぶものは多いはずです。だから、わたしは今は1つの宗派に固執することなく、客観的に「神」と人間の歴史を知りたいと思っています。  ただ、やはり一朝一夕で理解しようとするとなかなか難しいですね。イスラエル・パレスチナ問題や宗教改革などキリスト教の歴史を理解する上で切っても切れない歴史がたくさんあることに気付きました。一からやり直しって感じです。でも、俄か仕込みの知識で間違った理解を改める良いきっかけになりました。  どうぞこれを機に今後ともいろいろ教えて下さいね。    ありがとうございました。

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