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日本史上最も影響のあった自然災害
日本の自然災害のうち、その2次3次災害も含めて、もっとも歴史的な影響力が大きかったものは何でしょうか? 私は江戸の浅間大噴火だと思っています。これによって大飢饉が発生し、幕府の権威は衰えを加速し、もしかすると世界史にも影響(フランス革命)したかもしれません。
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No4です。追記させて下さい。 (3)関東大震災と昭和6年の東北冷害を上げたいと思います。 関東大震災は当時100億円程度のGNPしかなかった日本において、60億円という被害総額をもたらした。この震災がもたらしたものはそれだけでなく、震災により決済ができなくなった手形に対して日本銀行が特別融資を行い、手形を割り引いた震災手形と呼ばれるものが、4億3000万円余りあったことです。(国家予算は8億円規模) 第1次大戦の終了後の欧米諸国の復興を受けて、日本商品の国際競争力が低下し、輸入超過になり、1920年から戦後恐慌と呼ぶべき状況に陥っています。本来、恐慌・不況は好ましいものではありませんが、競争力の劣る、生産性の劣る企業、産業が淘汰・整理され、より強い企業・産業の台頭を促し、次の経済回復・好況の母胎となる性質を持っています。 しかし、震災による震災手形のなかには、本来の震災には関係なく、戦後恐慌による不良債権も多く含まれ、淘汰・整理されるべき企業・産業、そして大量の不良債権が温存される状況が続くことになってしまいました。昭和初年には未決済額2億円余りの震災手形の処理(決済)が問題になり、また、この決済を巡って倒産する銀行も出ていた状況です。このことが背景となり、昭和二年には震災手形の処理を審議する議会中に、大蔵大臣が「本日渡辺銀行は倒産しました」という失言から取り付け騒ぎ、銀行休業の金融恐慌が発生し、当時の大商社の鈴木商店の倒産、台湾の紙幣発行券を持つ特殊銀行の台湾銀行の休業などの大恐慌に発展し、若槻内閣が倒れ、田中内閣によるモラトリアムによって一応の収束を見ます。しかし、実態は日銀特融により一時的に危機を先送りしたのに過ぎず、この状況を改善するためでもあった金解禁と世界恐慌による昭和恐慌へと続きます。 このように国内が恐慌の中、新天地を求めて昭和6年に満州事変が起こり、同年の東北大冷害により農業恐慌へと突入し、経済・金融・農業などに有効な対策を立てられなかった政党内閣は、次の年の昭和7年の515事件により崩壊し、軍国主義の時代、太平洋戦争へと突入していきます。特に農業恐慌により女子の身売り、農村の困窮などは、出身を同じくする兵士、下士官の動揺をもたらすと共に、軍部内での国家主義的思想の拡大をもたらし、軍国主義への傾斜を深くしていきます。 昭和恐慌に至る恐慌の遠因を、第1次世界大戦後の戦後恐慌に求める説は強いのですが、もし、震災手形による日銀救済がなかったとするならば、産業の淘汰・整理が進んでいた可能性は強く、その意味でも、関東大震災という首都を直撃した自然災害の日本史史上の影響は大きかったと思います。 個人的な感想ですが、明治大正と富国強兵の道を走ってき、上昇気運の中を進んできた日本が、下り坂に転じたタ-ニングポイントが関東大震災にあるように思えます。これ以降敗戦までの暗い坂道を下るのですから。
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- fumkum
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>日本史上最も影響のあった自然災害 自然災害に入れるべきかどうかは意見の分かれるところですが、 (1)天然痘による天平9年(737)の藤原四子の死亡。藤原政権から橘諸兄政権への移行。(バイオハザ-ドも自然災害に入れるようですが) (2)西国を中心とする旱魃による養和の飢饉。平氏政権の基盤を弱体化させ、木曾義仲の活躍や本格的武家政権を成立させた原因となる。 以上、参考まで。
お礼
バイオハザードももちろん自然災害と並ぶものと思います。政治的に大きいですね。平安期の自然災害についてあまり知らなかったので、とても滋養になりました。
- cyototu
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自然災害の歴史的影響に付いて、一見、見当違いの方向から考察してみましょう。 非線形現象を扱う物理学に分岐の理論と言うのがあります。この理論によると、状態が不安定なときは、どんなに小さな揺動でも、その物理系が例えば、右に行くか左に行くかに対して、決定的に影響を及ぼしすが、安定なときはよほど大きな揺動でも、系の状態に影響を与えることが出来ないことが判っています。例えばロッキー山脈の分水嶺の山の稜線に雨の一滴が降ったとき、ちょっとしたそよ風でも、その一滴の水滴が太平洋に流れ出るか、大西洋に流れ出るかに決定的に影響してしまいますが、分水嶺から十分離れたところに降った雨粒では、大風でもその流れ出る方向に影響を与えることができない、というのがその好例です。 歴史における自然現象も同じで、自然災害の大きさだけを論じて、その歴史的影響を論じることには意味がない考えられます。 例えば、桶狭間の戦いのときは、信長は折からの豪雨で視界がきかなかったことが幸いして、後の日本の歴史が決定的に書き換えられました。また、桜田門外の変でも、あのとき雪が降っていたかいなかったかで、井伊直弼の運命が違っていた可能性があります。これらの例は、ともに日本の政治の不安定期には、天候の僅かな違いでも、歴史が全く変わったものになってしまう例です。 一方で、大正時代の安定期に起こった関東大震災では、あれだけ未曾有宇な自然災害が起こったのに、日本の基本的な政治形態が変わったわけではありません。 こう考えると、元寇のときの神風や安政期の大地震や浅間大噴火が、はたして、桶狭間の豪雨や桜田門外の雪とくらべて、歴史的影響がより大きいの大きくないのと言うような比較に意味があるのでしょうか。私の貧弱な日本史の知識に限った場合、日本の歴史の分析をこのように自然災害の視点から論じることに余り重要な意味を見いだせないのですが、如何なものでしょうか。 ご参考までに。
お礼
そうですね。井伊が死んでもどうということはないという感じだったら、織田信長が死んでも大勢に影響ないという時代だったら、それもまたずいぶん意味合いが違います。 おっしゃることもっともだと思いました。ただ、この質問では、「事前現象が歴史上どういう影響を及ぼしたのか」という観点で絞って考えたいと思ったので、桶狭間の豪雨、桜田門の雪というかなり通常的な天候での歴史的影響と比較するという考えはあまりなかったのです。しかし、新たに歴史を考える材料になりました。
- mable2006
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安政期の「東海・南海連動型大地震」と「安政江戸地震」は幕末の始まりとなった自然災害でした。 http://www.ffortune.net/social/history/nihon-edo/ansei-zisin.htm http://www2.kct.ne.jp/~monohito/anseinooojisin.html http://sans-culotte.seesaa.net/article/36964620.html http://www.tanken.com/anseijisin.html
お礼
あの自然災害が幕末に重なっていますね。政治的にも影響ありだったのでしょうね。
- kyoromatu
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もっともがどうかは判断できるほど教養がないので、素人考えになりますが、 蒙古襲来のときの暴風雨 http://www2u.biglobe.ne.jp/~itou/mouko.htm などもその類に入りそうな気がします。今の台風程度のことだったのでしょうが、その歴史的なこと事実はしかも複数回にわたってということから奇跡ともいえそうな気がします。 もしこの自然災害がなくて、当時の日本軍が完全に敗北して占領されてしまっていたら・・と考えるとあぶら汗が出てきそうです。回答にはなりませんのでご参考程度にしておいてください。
お礼
蒙古襲来時の嵐は、たしかにすごい偶然だったかもしれません。しかし、季節をはばからず来たほうもまたどうかと思います。でも7月ですか。しかし、兵力は拮抗していたから、負けることはなかったのではないかと。
お礼
ありがとうございます。関東大震災から昭和恐慌東北冷害という一連の流れも日本史上に極めて重用だったですね。太陽活動の周期的影響も大きいでしょう。 関東大震災!ご説明を読むと大きかったかもしれませんね!これはやはり、通常の経済活動から大きく逸脱した流れを呼びますから、当然混乱が生じます。ちょうど、日本が弱体化する混乱度を深める素質があった時代に重なってしまったそういう不幸があったのでしょうね。