私達は口頭会話でも、そして文章でもよく主語などの人称指示を省略します。
私達は口頭会話でも、そして文章でもよく主語などの人称指示を省略します。
これに反し、欧米言語での文章では主語や人称をしっかりと指示していると存じます。
第一人称、第二人称、第三人称、そして単・複の区別やI, my, meとか、主格性とかの表示について。
ですから欧米の文章の直訳などのように人称を一々表示すると、日本の文章でははくどくていやになります。
1. このことは、日本人が欧米人に比して自己を指示する志向が薄弱であるということを示唆するでしょうか?
日本語文章では、第一人称用の言語(“われ”、とか、“己”)を第二人称に宛てている、話しの表現に出会います。
このことに関連して、
【日本語には「代名詞」は存在しないという考え方があります.
つまり, あたかも「代名詞」のように見えるものは文法上ただの名詞であり, それが状況によって代名詞のように使われる, という考え方です.
もちろん「代名詞的に使われる」ときには, その場によって「何を指示するのか」が変わります.
逆に, 同じものを指示する場合であっても周辺状況で使われる名詞が異なることもあります.
この視点で考えると, 「われ」にしろ「おのれ」にしろ「自分自身」をさす「ただの名詞」であり,
これらの語で指し示される「自分自身」が文脈 (状況) によって 1人称になったり 2人称になったりすると解釈できます. これならまったく問題はありません.】
というご回答での示唆を参考として頂きました。(http://okwave.jp/qa/q6244383.html)
2. このことで日本人が欧米人に比して自己や他人を指示することに拘らない心性の傾向を示すものだと理解することは失当なものでしょうか?
〔関連参考〕
http://okwave.jp/qa/q6244383.html
http://okwave.jp/qa/q6249026.html
〔なお〕
歴史学でも古史古伝は歴史の専門家がやっているようにはみかけません。
古史古伝などはその道の専門家からはとても相手にできないのでしょう。
私もプロフィールにある通り、一介の大学事務現場の職にあったものです。
国語学や歴史学、或いは心性のことなどは退職してたった一度の自治体のシニアの講座に出て、
目を向けているに過ぎません。
専門の方からみれば噴飯ものかも知れませんが、何かのコメントをいただけるとあり難いです。