- ベストアンサー
ヘーゲル流の対置とは?
- テュービンゲン派の人々は、宣教の中心地と内容、対象、担い手を対置して「ユダヤ人キリスト教」と「異邦人キリスト教」と捉えた。
- 質問者は「ヘーゲル流の対置」とは、観点の選定の妥当性ではなく、対置する際の観点の選び出し方を指しているのではないかと考えている。
- 著者の意図は明確ではないが、この対置はヘーゲル哲学の特徴を表現している可能性があると思われる。
- みんなの回答 (1)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
ヘーゲル読みですが、分かりません。 一般論として指摘できるのは、なんでも中間値を取ればヘーゲル式だという短絡的な思考の人がいること、マルクス主義の縮小再生産の先に正・反・合によるスキームのみが残る傾向があることだと思います。 > 1 観点の選定の妥当性は問わずに、「ユダヤ人キリスト教」と「異邦人キリスト教」の違いを4つの観点で対置したこと自体がヘーゲル流だというのか いいえ、これはヘーゲル的ではありません。違うものを2つ並べ立てただけであり、その2つの要素が真の和解に達していないからです。和解どころか、議論も発生していない状況では、弁証法が稼動していません。2つの立場の間に議論が稼動してこそ、弁証法が動き出すのです。 > 2 対置する際の4つの観点の選び出し方がヘーゲル流だというのか いいえ、これはヘーゲル的ではありません。単に物事の要素を並び立てるだけの思考様式は、ヘーゲルが嫌うところのものです。要素が4つだろうと、5つだろうと、6つだろうと同じです。3つの場合についても、ある種の哲学者が若干の三分法を使うからと言ってカントに似ているなどとするのは、笑うべき浅薄な考え方だとヘーゲルは言っています。 ところで、この半田氏の本を読んだことがないので分からないのですが、かなりの疑問がいくつかあります。 *ヘーゲル本人の一番弟子ガンスがユダヤ人であることをどう思っているのか? *ヘーゲル本人はプロテスタントだが、プロテスタントとカトリックを分けずに議論していいのか? *半田氏はどこから「ヘーゲル的」という言葉を仕入れてきたのか?ヘーゲルの影響を受けた人物に、「宗教は麻薬だ」と述べたマルクスや、物象化論で著名なフォイエルバッハがいることを、どう評価しているのか? *チュービンゲン派という語を、純粋にヘーゲルの後の世代のキリスト教概念として使っていると考えて良いのか?まさか、ヘーゲルやシェリングと友人だったヘルダーリンを念頭においていることはないと断言してよいのか? というわけで、半田氏の文章を読んでみないと、回答いたしかねる部分や謎が多数あります。
お礼
引用した文章にはヘーゲルらしさが少しも表れていないことが分かりました。 著者としてはヘーゲルと結びついた何かしらを認識していたものの、文章の上に具体的には表れなかったのかも知れません。 きちんと腰を据えて勉強しようとせず、他の用件から安直に行けがけの駄賃のようにしてヘーゲルの雰囲気を分かっちまおうという横着は通じないことが分かりました。 有り難うございました。またの機会にもよろしくお願いします。 本日中に何方様からも新たな寄稿がないときは当方の都合次第で締め切ります。