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プロ野球の応援(変わってゆくものと変わらないものの違い)
日本のプロ野球を見ていると、スタンドの応援風景を中心に激しい変化を感じます。かつてなかったものは、例えば大音量の曲を流す、トランペットを吹き鳴らし歌を歌う、勝利インタビュー、ライトスタンドへ挨拶に行く、ぬいぐるみマスコットの数が増える…等々いくらでも挙げられます。 一方でアメリカのプロ野球MLBは半世紀前と比べてもほとんど変わっていません。ヨーロッパのサッカーもそうですね。日本でいえば大相撲や甲子園の高校野球は変わっていません。 日本は十年もすれば町並みが一変してしまいますが、神社仏閣のたたずまいだけは何百年も変わりません。これは建築様式などが教義と密接に関係しているからだと考え、プロ野球の応援風景がどんどん変わってゆくのは「日本には野球の神様がいないから」と(野球カテゴリーで)抽象的に回答したのですが、私自身よく解っていないところがあります。 甲子園大会のように厳しく規制すれば応援方法を変えることができません。しかしMLBやヨーロッパのサッカーは規制のあるなしではなく、変える意思がないように見えます。 スポーツの応援というものは上から強制されるものではなく、下からの一人一人の熱狂ですから民族性がストレートに出ると思います。日本のスポーツを代表するプロ野球と欧米のプロスポーツとの応援風景の違いを説明することはできるでしょうか。
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欧米人の狩猟民族的風土習慣、そこから来る人間性が、日本の農耕(稲作)民族的風習価値観人間性と相違しているからです。 つまり、欧米でトランペットで応援しまくる施設応援団がわいわい騒ぎ出したら、とたんに追い払われるでしょう。球状側にも何より他の観客に。日本では、内心うるさいと思っている人間が黙っているからです。球状側もです。つまり、無駄な波風を立てない、あるいは臆病であるという根性が培われている。 欧米は、どうしたら危険な狩を成功できるかという、サバイバルの真剣勝負が生活の中心だったのです。そこでの意識レヴェルはつねに警戒心に冴え渡っています。その伝統はおそらく死にません。だから、周りで起こる不埒なこと無作法なことに対して、ほうっておくことは決してしません。それは自分の「死」を意味します。そういうDNAの問題だと感じています。 あと、とっくに騒音に我慢できない人間は球状に足を運ばなくなっているでしょうが、まだ、どうでもいいか何とか我慢できる人間で採算が取れているから続いているというのもありますかね。球場が十倍の能力を収容できる広さだったら、果たして違っているかどうか、微妙なところです。
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- eroero1919
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あまり詳しくは知らないのですが、MLBはいわゆる野茂以前と野茂以後でファンに対する接し方はかなり変わったそうです。野茂がそこまでセンセーショナルだったというわけではありません。その直前にいわゆるメジャーのストライキがありました。日本ではほとんど知られていませんが、あのストライキはMLB存続の危機ともいうほどのダメージをMLBに与えたそうです。ストライキによって野球のブランドイメージはがた落ち、NBAやNFLが大きく人気を伸ばしました。NBAやNFLとはシーズンがかぶらないのが幸いだったかもしれません。そのイメージの悪化は選手会も真剣に捉え、ストライキ後は選手会もファンサービスに積極的になったそうです。その状況はNPBにも影響を与え、NPBがストライキを起こしたときは選手会は積極的にイベントを行ってファン離れを食い止めました。 一方、サッカーに関していえばJリーグが発足した当時あるイギリス人が「日本のスタジアムは親子連れが多い。素晴らしいことだ。残念だが、イギリスのスタジアムは物騒でとても子供連れで行ける場所ではない」とコメントしていました。ほんの10年程度前のことです。80年代にイギリスを中心にサッカースタジアムでの暴動騒ぎが相次ぎ、90年代から各国協会はスタジアムの健全化に血道をあげました。今はマンチェスターUもアーセナルも健全なイメージですが、ちょっと前まではサッカースタジアムといえば麻薬の注射器が落ちているような場所だったようです。サッカー応援団といえばフーリガンが悪名高いですが、全盛期のフーリガンは売春や麻薬売買で資金を調達していたのですから、それはスポーツチームの応援団の名を語った暴力団だったというわけです(奇しくも、NPBの私設応援団の多くにも暴力団が関わっていました)。 NPBの応援スタイルは、特にここ10年は大きな変化を見せたとは思います。ただ、それはJリーグ発足の影響が非常に大きいと思います。マリーンズの応援は完全にサッカースタイルですし、Jリーグ以前はファウルボールがスタンドに入ると係員がすっ飛んできてひったくるようにボールを持って帰りました。当時、ある選手がファンサービスのつもりでボールをスタンドに投げ入れたらスタッフに「ボール1個いくらすると思っているんだ」と怒られたそうです。 ただ、トランペットを吹いて応援歌を流すのは確かコージコールからだったと思うので80年代前半頃、高校野球の吹奏楽部応援はそれの真似だったと思います(うろ覚え)し、私設応援団が笛で「ピー、ピー、ピーピーピー」とやったのはもう70年代にはやってますしね。どっちも30年かそれ以上の歴史があるわけです。 なお、MLBの応援スタイルが変わっていないのは、アメリカ人のメンタリティに「集団で統制された応援をする」っていうのがないからだと思います。NBAでもNFLでも観客がチャントをするような独特の応援をするってないですよね。 蛇足ながら、大相撲の応援スタイルもずいぶん変わりました。昔は、横綱が負けたからってあんなに座布団は飛びませんでしたよ。そもそも、座布団飛ばすのは本来負けてはいけない横綱が負けたことに対するブーイングの意味合いでした。今は横綱が負けるとフィーバーの意味合いで座布団が乱舞しますよね。あれはどうかと思いますが。
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回答ありがとうございます。 J・リーグ発足後ですが、セルジオ越後さん(だったと思う)がイギリスのサッカー場を訪ねるテレビ番組があって、一つだけ妙に印象に残った場面があります。それは木造のような古ぼけた球場の立ち見席で、眼光の鋭いいかにも風体のよくない男たちがサッカーを観戦しているのですが、その様子は「真剣」を通り越して「生活がかかっている」ような厳しさがありました。さすがに本場は入れ込み方が全然違う、とそのときは思ったのですが、いま思えばあれは金を賭けていたのではないかと思うのです。私は三十年以上前の競輪場とか競艇場を知っていますが、あれと同じような荒んだ雰囲気がありました。 さらに、ジーコが日本の代表監督に就任してからだったと思いますが、ブラジルのテレビ番組で「ブラジルと違って日本のサッカー場には女性や子供がたくさんいるんだ」と、いかにも珍しいことであるかのように紹介して平和な日本のサッカー場を絶賛していました。 一方で今日、ヤフードームのホークス戦を見ていると、就学前の幼い子を抱いた若い父親らしい男性がニコニコ顔で応援、その周りではカラフルなボードをもった若い女性がこれまたニコニコ顔で声援を送っていました。イギリスのサッカー場を賭博場とすると、こちらは遊園地のライブショーかなにかのようで、この違いは何なんでしょう(笑) いま書いていてふと思ったのですが、日本のスタンドには若い女性が多いことが応援方法のめまぐるしい変化と関係しているということはないでしょうか。風俗を変えていくのは女性ですからね。 相撲の座布団投げについては、たしかに回数は増えましたがかなり古い時期からあったような気がします。他にはほとんどありませんよね、例えば花道で芸者さんが踊りを踊るとか(笑) なので相撲の応援方法は基本的にほとんど変わっていないと思っています。 以下はウィキペディアに載っている鳴り物応援の歴史の一部です。 ・高校野球のブラスバンド応援は1960年頃から ・1975年に広島球場でコンバットマーチの応援
- nidonen
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> アメリカのプロ野球MLBは半世紀前と比べてもほとんど変わっていません いえいえ、かなり変わりましたよ。身近じゃないから 気が付かないだけです。 MLBの古い記録映像を見ると、観客の多くが着飾った 大人です。NFLでもそうなのですが、お金を出して見る 娯楽なので、おめかしして行くという感覚がありました。 さらに言えば、観客席にいるのはすべて白人だけでした。 また昔は音響設備も貧弱だったので、生バンドを入れて 応援していました。その後、専属のオルガン奏者などによる 演奏がスピーカーから流れるようになり、現在はシンセ サイザーなどによる電子制御に変わってきています。 個人的な印象ですが、米プロスポーツの応援が今っぽく なってきたのは、70年代からでしょうか。ベトナム戦争と ヒッピー世代が米国文化を大きく変え、観戦時の服装がラ フになり、人種が入り混じるようになりました。 あとは商業化が進んだので、チームアパレルを着る人が 爆発的に増えました。日本でもタイガースやマリーンズは 応援グッズを身に付ける人が少なくありませんが、米国の ように街中でも当たり前のように着るところまでははまだ なかなか変わってきませんね。 ヨーロッパサッカーで言えば、いまは選手と子どもたちが 手を繋いで入場しますが、昔はあんな光景はありませんでした。 さらに昔のサポーターはもっと暴力的で、女性や子どもはスタ ジアムに行ってはいけないという時期もあったんですよ。 というわけで、日本の応援だけが変わりゆくという印象 自体に、私は大きく疑問を感じずにはいられません。もち ろん、日本と欧米では応援スタイルが違う( 日本はより集 団性が求められる )という点については賛成します。
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回答ありがとうございます。 うーん、そうですかぁ… 困りましたねぇ。最初からこういう回答をされると、あとの回答がつかない恐れがあるので二つくらい回答がついてからにしてほしかったです(笑) 「生バンドを入れて応援…」というのは、いまシンセサイザーが受け持っている部分を生バンドで、といふうに解釈しました。まさか日本のトランペットがやっているようなことを生バンドで声を合わせて、ということではないですよね。 日本でも古い時代の映像は、観客というのはそれなりの身なりをした中年男性が主で、子供は皆無、ちらほらと女性の姿があって、あれは選手が行きつけのクラブのママさんかな、というふうな想像をしながら私は見ています。スポーツ観戦などは限られた層の人だけが可能だったのでしょうね。 しかしそれらとは別に、私はライオンズが所沢に移転してきた30年前から見ているので定点観測のようなものですが、今や別世界といった変わり様です。 さらに1991年の川崎時代のロッテと今のロッテのスタンドを比べたら別世界だというのはかなり分かりやすい例だと思われます。これは移転後の92年と比べても大変な違いで、その点では全球団似たようなものでしょう。 一方で1995年の野茂のドジャース入りで目にするようになったMLBのスタンドと08年のスタンドの応援風景の違いが私には分かりません。まったく同じに見えます。もしMLBでも応援風景に大きな変化があったという方はどなたでもご教示いただければと思います。例えばコンバットマーチだとかジェット風船のような目に見える応援風景の変化がこの数十年の間にあったかどうか…。
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回答ありがとうございました。 狩猟民族と農耕民族の違い、という説は最初に思い浮かべそうですが迂闊でした。なぜ鳴り物のようなものが放置されるのかという疑問は、この説でかなり説明がつきそうな気がします。ただし「変わってゆくものと変わらないものの違い」についてはどうでしょうか。私は女性ファンが多いということも原因の一つかな、と思い始めたのですが。 >欧米でトランペットで応援……とたんに追い払われるでしょう。 >日本では……臆病であるという根性が培われている。 >周りで起こる不埒なこと無作法なことに対して、ほうっておくことは決してしません。 >DNAの問題だと感じています。 これで思い出した何年か前のテレビニュースがあります。アメリカの屋外で行われたボクシングの試合会場へ上空からパラシュートを着けた男が降下したのです。目立ちたがり屋のいたずらですが、日本ではあり得ないことです。さらに驚いたのが、客席に「着地」した男を、待ちかまえていたかのように客が袋だたきにしていたことです。 冒険好き遺伝子というのがあって、それを調べると「アメリカ人(白人?)は日本人より冒険心がある」という科学的根拠のある数字が出るのだそうです。それは私もいろいろなことで実感します。