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壬午軍乱の時の大院君と日清戦争後の大院君

tanuki4uの回答

  • tanuki4u
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回答No.1

尊皇攘夷!とか言っていた連中が開国を進めた幕府を倒してから「明治維新」では開国を進めましたね。欧米と下関戦争や薩英戦争を行った薩長が、イギリスとくっついて、フランスとつながった幕府と戦った。 それくらいの、変化が当時の朝鮮でもあった。と、まず覚悟しましょう。 朝鮮国宮廷を中心に考えると、閔妃の産んだ子を次の王にしたい閔一族と、他の所産の王子を次の王にしようという大院君の後継者争い。 そして、その時海外のどこの勢力と結ぶのが優位になるかという選択の問題です。 1882年段階では 親日は 閔一族 壬午事変で、閔一族は、清の袁世凱を頼った(日本勢力が壬午事変で排除されていたので、頼れる外部勢力、清を頼ったと言うことになります) で、大院君は、清に連行された。 これによって、閔一族は、袁世凱の保護下に入ったとも言えます。 1884年 甲申事変 日本は失地回復のため「現政権」である、閔一族を排除します。その代替として大院君を据える。それが 1885年の大院君帰国。 で、1895年の日清戦争までは、大院君が首班で、閔一族が野党的に立つというのが基本形。 日清の綱引きの上で、大院君がキャスティングボートを握ったという感じです。 日清戦争で、朝鮮半島の政治から清が撤退すると、代わって進出するのがロシア。 ロシアのスタンスで考えると、現政権(大院君)が日本とくっついているのであれば、その対抗勢力である閔一族にくっつのは当たり前の話。 それで、大院君=日本 VS 閔一族=ロシア という構造になります。

shin-mind
質問者

お礼

はあ、素晴らしくよく分かりました。 ありがとうございます。 ところで文章を見る限り、やはり歴史特に中国朝鮮系になると語るのもかなり抵抗がありようですね。私もそうです。 私は高校生ですが、今使っている日本史の教科書も読んでいてむかむかすることがよくありますから。 嫌な感じですが、とりあえず受験のためということで、流れだけ理解しておきましょう、ということです。ありがとうございました。

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