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壬午軍乱の時の大院君と日清戦争後の大院君
日本史の教科書(山川出版)の日清戦争あたりの話でよく分からない ところがあります。壬午軍乱とは1882年に日本への接近を進める国王高宗の外戚閔氏一族に反対する大院君を支持する軍隊が漢城で反乱を起こした事件ですよね。 この文章は引用したものですが、これは閔氏一族が日本よりで、このときの大院君は反対だったということですよね。 義和団事件も終わって、そのあとの大韓帝国誕生の前のところのせつめいでは、親露政権が誕生して、その理由は、「大院君の親日政権は三国干渉後まもなく閔妃らの親露派に倒された。日本の駐韓公使三浦梧楼が大院君を再び擁立しようと公使館守備兵に王宮を占拠させ、閔妃殺害事件を起こした。」 でした。 この説明だと大院君が日本よりと言うことになっています。 いったいいつ変わったのでしょうか。いろいろ大院君について調べてみてもそういうことが書いていなかったので困っています。 ところで閔妃とは閔氏と同じなのですか。 よくご存知の方、よろしく御願いいたいます。
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