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加藤典洋「オフサイドの感覚」

高校生です。 加藤さんの「批評へ」にあるものです。 大修館の精選「現代文」に「オフサイドの感覚」という話が ありました。 自分で読んでいるのですが、小林秀雄さんの文章のように いったい何を言いたいのかさっぱり分かりません。 個人的にこの文章が好きでないのが一番の原因なのですが、 何とか理解したいです。 分からないのは、 「日本というのは面白い国で、あるジャンルの仕事の根底的な部分が、しばしばその異端者、失格者によって担われてきたという強力な伝統を持つ。小林の含意は「批評家が」今の自分の目の前にあるような存在であるなら、自分は批評家失格だ、ということなのだが、そこにはいうまでもなく、このような日本の現実を踏まえた、自分は批評家を「失格」して「批評」を書く、という気持ちも込められていたの違いない」 この後まだまだ続きますが、 自分の貰ったはがきの内容は、これから話す「オフサイドの狡さ」 にどうつながっていくのかが全然分からないのです。 よく知っている方、ご教授願います。

みんなの回答

  • zekusut
  • ベストアンサー率9% (5/54)
回答No.1

オフサイドとは結構誤解があるんですよ 味方がパスを開始した時に、その時に味方が前線に出てるか もしくはパスをトラップしたときに、味方が前線してるか ましてや、審判によって結構代わってきますからね 98年にイラクと戦った時に、オフサイドゴールして日本のサポーターは喜んでいますからね それで同点など悲劇などいわれてもなんとも来ませんよ その根本的な概念を元に出版した本じゃないですか? 「日本という国」については、上司とは逆の下の人間などが 才能を開花されそれを上司に利用されることを持つのではないですか? 「批評家が」というのは、自分は失格だろう それを他人が見て自分が失格なのかも疑問に思っているのでしょう

shin-mind
質問者

補足

ご回答ありがとうございます。 難しいですね。 確かに下克上みたいな感じはあるようです。

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