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昔の人の天皇に対する思い

今より迷信心神深かったと思われる昔の人が天皇を本当に神の子孫だと思っていたと思いますか? 昔の人は天皇上皇皇族を正史に記載されている物だけでも数え切れないほど直接または間接的に殺していますよね、それに誰を天皇にするかも時の権力者の思いのまま、そんな人達が本当に天皇を崇め神の子孫だと思っていたと思いますか?皇族に対する仕打ちなどを見ているとそうには思えないような気がしてなりません。 科学の発展した現代でも神棚に小便を掛けたり神社の御神体を足で踏んづけたり大仏の首をへし折ったりなどはそう出来る事じゃないですよね。 みなさんはどう思いますか?意見を聞かせてください。

  • 歴史
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回答No.2

こんにちわ。 諸説あるようですが、簡単に言えば、信長、秀吉、家康の天下取りと基本的には同じようなものみたいです。 村同士なんかで抗争をして勝ち残っていく。その後有力豪族の連合体になり、そこの筆頭となった後、他を蹴落として大王そして天皇へという流れになります。 民衆が皇室を拝み始めたのは、政治的都合だそうです。 もともと、古代社会では政治(まつりごと)と祭礼(まつりごと)は一体なものだったので、シャーマニズム的な権威はもともと持ってもいましたが、本来的にシャーマンであったのは、ごく古い時代のことになります。 今の時代にも残っている「皇室崇拝」につながるものとしては、幕末維新期に、薩長が幕府に代わる権威として担いだ神輿が天皇で、その後も政府の権威の裏づけになるように神格化していって、現人神に祭り上げていったということになります。 私個人としては、天皇崇拝全くありません。 むしろアンチです。 税金無駄遣い・・・としか思ってません。

vunele53
質問者

お礼

神格化したのは明治以降の話だったんですね。 昔の人は日本書紀の記述より解る天皇が神の子孫だと言う事を現代の人のようにあまり意識してなかったということなんでしょうかね。現代人はそれが伝説だと理解できますが過去の人がそれを本気でそう思っていたと思い込んでいました。 ありがとうございました。

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  • harepanda
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回答No.6

学校教育における日本史教育の問題点のひとつに、南北朝時代についての正等な議論が、未だに進んでいないことを指摘できるかと思います。 南北朝から室町にかけての時代は、武士の勢力が伸び、公家の勢力を飲み込んでいく時期にあたります。戦前においては、この時期をまともに議論することは出来ませんでした。天皇家自体が分裂しているという状況を、まともに議論すると、万世一系をいうウソが、一発で分かってしまうからです。 戦前の教科書では、後醍醐天皇に最後まで仕えた楠正成が英雄で、天皇にはむかった足利尊氏が悪者という説明がされていました。現代でも、右翼系の地域史研究家などに、この「楠正成バンザイ」の人が多数残っているのは、大きな問題だと思います。 楠正成を神格化する議論は明治以降の傾向であり、江戸時代の庶民文化では、楠正成は天皇への忠誠を貫いた人物というより、奇抜な手法で敵を苦しめた人物として、おもしろおかしく描かれていました。ちょうど、現代において、源義経が急斜面の崖を馬で駆け下りて平家に奇襲をかけたり、織田信長が鉄砲部隊で武田軍を破ったりしたのと、同じような感覚でとらえられていたのです。 他方、戦後になると、まともな歴史学者の間では、足利尊氏という人物の再評価が始まるのですが、これが世間では、あまり受けていないのです。私は、日本史上で一番、面白いのは南北朝から室町にかけてだと思っているのですが、世間では戦国時代や幕末のほうが人気のようです。 足利尊氏という人物については、私が小学校の時に読んでいた歴史解説漫画の冒頭に、保護者向けの説明が載っていました。もう20年以上前の話ですが、だいたい、こんなことが書いてあったのです。「楠正成と足利尊氏のどちらが偉いのかという議論には意味がない。かつては逆賊だと考えられていた足利尊氏は、実は、源氏の嫡流として生まれてきたことにより、建武の新政が失敗に終わる中で、否が応でも武士や庶民のリーダーとして戦うしかなかった人物ととらえるほうが適切ではないか」、と。このような人物のことを、哲学者ヘーゲルは、「歴史的英雄」と呼びます。歴史の進んでいく必然的傾向の中で、時代精神という重要な任務を果たした人物というわけです。 足利尊氏本人は、躁うつの激しい人物なのか、悩みだしたら止まらない人物なのか、それとも単なる演技かは知りませんが、天皇には逆らいたくないと言って引きこもってしまった人物です。尊氏が鎌倉にいて、早く京都に戻って来いという命令を天皇から受け取り、京都に戻ると新田義貞に殺される危険性があると懸念していたところ、新田軍が攻めて来たという知らせが入り、完全に引きこもってしまいます。尊氏が決意を固め、自分に従ってくれる多くの武士たちの前に姿を現すと、武士たちは緊張して尊氏の発言を聞こうと待ち構えます。尊氏が、これから新田と戦う、その後、京都へ攻め上ると宣言すると、武士たちの士気が一気に跳ね上がり、怒涛の反撃が始まるわけです。 足利尊氏の周りにいた人たちは曲者だらけで、弟は自分の判断だけで後醍醐天皇の皇太子を殺害してしまうし、ばさら大名と言って「天皇など不要だ。島流しにしてしまえ。必要なら銅像でも置いておけば良いだろう」と発言した人物などがいるのです。このハチャメチャさ加減が南北朝・室町時代の特徴なのですが、この時代をディープに語りだすと、万世一系というウソがあっという間にバレてしまいます。 このハチャメチャさ加減は、足利将軍家が幕府を作るとさらに加速していきます。この時代は酒の普及期にあたっており、京都に幕府があることもあって、必然的に公家社会との交流が深まり、酒の消費量が跳ね上がるのです。足利将軍家には、アル中による早死にの傾向があり、守護大名が将軍家よりも力を持っていたことなどもあり、政権が非常に不安定になります。日野富子の場合、金儲けばかりしていた悪女というイメージがつきまとっていますが、実は、酒と芸術にしか興味がなく政治的には無能な足利義政に代わって、幕府の財政を支えていたという功績があるのです。彼女の関所に税をかけるという政策は商人からは反発を受けましたが、公家社会における彼女の評判は上々だったのです。ちなみに、彼女の息子も、足利将軍家にありがちなパターンで、酒による早死にをしています。 結論:私の祖母は、正月のしめ縄を、平然とゴミ置き場に出します。宗教は人間が作り出したものに過ぎず、人間が宗教に左右されるという事態は、本末転倒なものです。このような現象を、西洋哲学では物象化と呼びます。文化財の破壊行為は厳に慎むべきですが、人間が宗教に左右されることがあってはなりません。

  • usokoku
  • ベストアンサー率29% (744/2561)
回答No.5

>平気で天皇皇族を殺す事ができたんですね 平家の討伐で、天皇の関係者である、なんて言おうものならば簡単に殺されて、首を都に送って金をもらっています。だから、当時、天皇の関係者であることは隠しに隠しました。この時期に地方に来て、「捨て子」としてぞだてられた、という昔話が残っていたりします。 隠しとおせなかった悲劇が、栃木県栗山村のこいのぼりの伝説です。こいのぼりを飾っていた一家を天皇につながる平家一族として惨殺されたという内容です。 日本書紀にしても、ようりょう律令にしても、理解できる人間はごくごくわずかで、戦国や江戸は大部分の人間は「天皇、なにそれ」なんで地代です。

  • kenkey
  • ベストアンサー率19% (8/42)
回答No.4

お初です まず、「近畿天皇家」ですが、私は豪族同士の群雄割拠の時代を経て、1歩抜きん出た天皇家が7世紀に至り日本国を統一したと考えている1人です。 質問者様が >正史に記載されている物だけでも・・・ とありますので日本書記はお読みになられているという前提でお話しますが、日本書紀の成立の経緯はご存知でしょうか? 天皇は神聖にして冒すべからず、と明文化されたのは明治憲法ですが、そのような感覚を天皇家も持っていたのかもしれません。 天皇暗殺は書紀だと安康帝と崇峻帝の二人でしょうか。その後は天皇への直接の暗殺はありません。 さて、質問に対する回答ですが、天皇神聖不可侵の観念は天武帝の頃に出来上がったのではないかと思います。中国では皇帝を秦の始皇帝以来「天子」ともいいます。『天命によって天下を統治する人』の意味になります。様々の影響を受けた日本もそれに倣ったものと思います。 天皇以外の皇族に対する謀議・讒言などは数多くありましたが、神聖不可侵とされたのは天皇であるので、皇子などは扱いが少し違ったものと思います

  • usokoku
  • ベストアンサー率29% (744/2561)
回答No.3

「昔の人」をどの世代かということで、回答が分かれます。 明治初期に生まれた人ですと、天皇神聖化の影響を受けていないので、自分たちの先祖の本家くらいです。江戸時代ですと、「系図や」という職業の人がいて、適当に家計図を作ってくれるのです。その先頭に天皇の名前があるのです。これが、借金の形で取られて、どこかの古物商に売られて、議員のような、なりあがりものが「うちの蔵を掃除していたらこんな物が出てきました」と誰かに見せるときに使われます。 ところが、明治中後期から私の世代になると、結構変な教育を受けていて、ご指摘のような状態になります。 明治の時の変な教育の生です。 >そう出来る事じゃないですよね。 明治の初めの廃仏令で当時ご指摘のようなことが横行しました。政府の指示で行っています。

vunele53
質問者

お礼

天皇が神格化されたのは極最近の事だったんですね。 私はてっきり日本書紀などの記述からその当時広く真剣にそう思われていたんだと思い込んでいました。その当時、奈良平安以降明治以前は現代と同じで日本書紀の系譜はあくまで伝説であり天皇は普通の人間だと理解していたという事なんでしょうかね。 だから平気で天皇皇族を殺す事ができたんですね、少し納得しました。 ありがとうございました。

  • 6dou_rinne
  • ベストアンサー率25% (1361/5264)
回答No.1

天皇を神格化したのは明治になってからのことで、江戸時代(明治のはじめを含めて)以前には現人神なんて誰も思ってはいません。 だいたい、庶民には天皇など関係ないし、領主や国守、将軍(武家時代)がいるのは知っていても天皇なんて知らなかったでしょうし、その時代に天皇に接している人たちも誰も神なんて思っていませんよ。

vunele53
質問者

お礼

神格化したのは明治になってからだったんですね。 てっきり日本書紀などの記述から神の子孫だという意識があったものだと思っていました。神の子孫ではあるが神とは区別してたって事かな?・・それとも日本書紀自体でっち上げと思っていたのか・・・現代と一緒で日本書紀が伝説とはっきり理解していたってことなんでしょうかね。 ありがとうございました。

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