• 締切済み

良い事が全くありません

今年に入って良いことが本当に全くありません。 大きな事で挙げれば、彼女と別れたり、PCが壊れたり、イジメを毎日受けたりなんかです。もちろんこの他にもたくさんあります。 去年までは不運なことがあっても彼女になぐさめて貰ったり、相談に乗ってもらったりして乗り越えてきたのですが、今ではそれも出来ません。 さらにその別れた理由と言うのも少々複雑なんですが、簡潔に話すと、 相手の親が原因でお互い好きなまま強制的に引き離されてしまった感じです。 お互い好きなら隠れてでも関係を維持できるのでは?とお思いになるでしょうが、彼女は彼女の親に頭が上がらないらしく、『もう諦めて』と言われてしまいました。 その程度の人間だったのかと思うと今でも涙が出てきます。 これだけでも相当辛かったのですが今日、さらに追い討ちをかける嫌なことが・・・。 それは、クラスで委員会を決める際に起こりました。 自分は去年までやっていたので今回は入らないつもりだったので話には加わりませんでした。 しかしどうやら一番厄介な放送委員とやらが残ってしまったらしく、気づけば、話し合いが中断するほどの押し付け合いにまで発展していました。 それを見かねた担任が、まだ決まっていない奴全員の中から多数決で選出しようと言い出しました。 結果は予想通りいじめられてる自分が選ばれてしまいました。 もちろん必死に抗議しました。 しかし『この投票は公平だ』と担任に一喝され、取り合って貰えませんでした。 僕は放送委員が嫌なのではありません。 その放送を聴いて笑われるのが嫌なんです。 今年に入ってまだ悪いような事は何もしていません。 人生山あり谷あり、止まない雨は無いなどと良く言いますが、もう信じられません。 このまま卒業までこんな日々が続くと思うと耐えられません。 本当にこの先『良い事』と言うのあるのでしょうか? あったとしても、この辛さに見合う幸せなんでしょうか? 乱文で失礼致しました。 でも、もう誰も信じられません・・・。助けてください。

みんなの回答

  • myasu0105
  • ベストアンサー率20% (5/24)
回答No.3

私も中学生の頃に先輩にいじめられた事があります。 その時は本当に何もかもが嫌でしたが、時が過ぎ大人になりました。 私も今年に入ってからよい事がないとすごく思ってました。 正月早々、祖母が亡くなり、夫ががんではないかと疑いがかかり(大丈夫でしたが)、叔父さんが食事中に倒れ意識不明になり、妹が会社に突然解雇され、同居している姑が認知症になり、骨折し寝たきりになり、すべて私が面倒見ることになりました。その上、子供の学校と地域との役員2つもしなくてはいけなくなり、まだ4月なのに精神的にも身体的にもヘトヘトです。あなたの置かれている状況が決して私に比べ、たいしたことはないと思ってはいませんよ。最近ふと若い頃の事を思い出すことがあったのですが、自分自身若い頃の悩みは大人になってからの悩みに比べればたいしたことないなぁと感じました。大人になってからの悩みは本当に切実です。あなたの今の経験が大人になった時、ぶち当たるかもしれない試練解決の為の階段(練習)であるかもしれませんよ。 私自身、決して立派な大人ではありません。姑の世話をイヤイヤしている自分がいるのも分かっています。よい事もなかなか見つけられずにいます。でもいいたいです。 若いと言う事だけで輝いていますよ。本当に人生の中で輝いている時期ですよ。その事に気づく事は難しいと思いますが、どうか悪い事ばかり思わず、新しい道を見つけて下さい。 一度しかない春ですよ!   おせっかいでしたらごめんなさいね。

  • ma3zu
  • ベストアンサー率27% (285/1036)
回答No.2

放送委員ってどんなことするんでしたっけ? ラジオを聞いてみてください。 リスナーに笑ってもらえるように楽しいトークしかしてません 笑いたい人に笑いをあげればいいんです。 ラジオのようにフリートークができる機会があるのであれば いじめに関するトークをしてはいかがでしょうか? そこまでの自由はないかと思いますが 日頃の自分と違う自分を表現してみてもいいかと思います。 放送で声を出すのに億劫になっても始まりません 楽しくやってみてください。 まずはラジオを聴きましょう。 雨が降り続ければ雨を楽しむことを考えましょう。 良いことないかな?と考えていては楽しくなりません 現状、与えられた場をどう楽しむかにかかってきます。 放送委員が嫌でないのであれば 独りよがりでいいので思いっきり楽しんでください。 誰も信じられないのであれば好都合です 自分でやってみてください。

回答No.1

俺もいじめられたことあるから気持ちは解るな。 実際にいいことと悪いことって紙一重なんだよね。 たとえば、何かを失う不幸せというのは何かを持っていたという幸せが失われたから起こるんだよね。 じゃあはじめから持っていないほうが幸せだったのかっていうと、そうとも言えないよね。 今から思うと自分がいじめられていたときには悪循環だったと思う。 自分の価値を周囲がまったく認めず、何か失敗をしたり面白くなったりすることを期待する気持ちがひしひしと伝わってくる。 そういう時って常にみんなが自分の悪口を言っているんじゃないかって思ってますます心が頑なに閉ざされていく… 卑怯ないじめが始まるのは、ちょっとしたことからで終わるのもいつの間にかです。 よくいじめている側も悪いがいじめられるほうにも責任がある、という無責任な意見を聞きますが、これはいじめられるほうにはそのいじめに対するきっかけや要素があるだけで責任は無いと思う。 自分に対する苛めは1年間続き、(2年目も後遺症でなかなか気持ちが前向きにならなかった。) しかし、苛められているときも自分の大事にしていたものだけは守りました。 それは何かというと、卑怯な人間にはなりたくないという気持ちと自分なりの美学でした。 それを黙って貫いていると、いつの頃か周囲に認められ仲間が増えていったのを覚えています。 あなたが大事にしているものは何でしょうか? あなたが拠って立つ志のようなものです。 自分に対してどうしてもうそをつけないものです。 それは大事にしたほうがいいです。 すみません、アドバイスになっていないかもしれませんね。

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