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夢遊病や催眠術についての心理学的現象とは?
- 夢遊病や催眠術による意識の喪失状態から通常の生活状態への移行現象について、心理学的な用語は存在するのでしょうか?小説や説話に登場する異界からの帰還や変化とも関連しています。
- 心理学的な用語に限定せず、他の意識界への参加や脱出といった現象を表現する言葉や用語は存在するのでしょうか?
- 夢遊病や催眠術による意識の支配や制御に関する心理学用語や一般的な表現方法はあるのでしょうか?
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No.1 です。 しばらく考えてみました。 同一視、同化、トリップ、、、、適切な語彙じゃないなぁ・・・と思っていましたが、ふと解離性同一性障害 という言葉を思い浮かべました。 この言葉自体は、映画を見たり、小説を読んでいて、背中を叩かれて、はっと我に帰る場合には使いません。 ですが、<解離>だけでしたら 仕えます。 例えば白昼夢を見て、クラクションを鳴らされ、はっと我に帰って、あわてて、車を動かすなど、白昼夢を見ているとき、心は現実を離れ、別のところにトリップしているので、解離した状態。 ああ ありました。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A7%A3%E9%9B%A2%E6%80%A7%E5%90%8C%E4%B8%80%E6%80%A7%E9%9A%9C%E5%AE%B3 『白昼夢に耽ってふと我を忘れるのは軽い解離の一例である。』 軽い解離になりますね。 重い場合は、ぶっとんでいて記憶も消えていますので。 例えば酒飲んで人格がトラになって、さんざん暴行を相手に与えて、翌日目が覚め、手が血だらけ。服が血だらけ。 一体なにが起こったのか全く記憶が無い。 この場合 重い解離が酒によって引き起こった。 浦島太郎の話は、、、、あれは、快楽を感じている時の時間の流れが違うってわけで、楽しいとときが過ぎるのを忘却してしまいますよね。 毎晩 綺麗なおめーさんがたと戯れていて、家庭を忘却しており、はっと気づくと「もう息子は成人か。 この前まで小学生だとばっかり思っていたのに。 小学生から今までの息子の記憶が全く無い。」 この場合、存在していながら、無視したので、記憶に残らず、時間の経過の記憶も残らないので、息子の関心を向けた時、時間の経過というものが無いわけです。 記憶があれば、時間も存在しますが、毎日 朝食を一緒に食べていても、無関心だったので、息子との連続した時間のつながりは無いので、息子の成長を意識してやっと意識した時点で認識するわけです。 間の時間が消滅している。 心理学用語の昇華と、宗教の昇華って意味が違うようなんですね。 で、あなたが指差しているのは、宗教の昇華の方だと思えます。 心理学用語の昇華だと http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%87%E8%8F%AF 例えば人を殴りたい 痛めつけたい 殺す寸前まで殴りたい という強い欲望を持つ人が、そのまま実行したら刑務所行きですよね。 ですが、人を叩きのめせすことが公に許可されている職業がある。ボクサー。 多くの観客に囲まれ、公認の元、人をボコボコに殴れるわけです。 それで、職業をボクサーにすることで、その人の欲望は昇華できることになるわけです。 ですが、宗教の昇華は違います。 別の言い方をすると、解脱。 この現世から肉体を持ったまま、離れるわけです。 つまり生き仏になることが解脱。 臨死体験をした人が話す、幽体離脱とは違う。 幽体離脱は夢遊病になったような状態じゃないかと。 で、ダ・ビンチ・コードの映画ご覧になったでしょうか。 主人公は祖父が女性とみだらな行為をしているのを覗き見てしまい、それっきり絶縁になったわけですが、実はこれは乱交パーティーじゃなく、解脱の儀式だったと後に知ることになる。 仏像を見ると、仏が蓮の花の上に座っていますよね。 これが昇華を表している。 クンダリニーは炎の蛇とされ、解脱する時、これによって行われるとされるんですね。 チャクラが開いて回転を始めるわけです。 これが蓮の花。 チャクラが開いただけでは、解脱は始まらないとされています。 クンダリニーの力が無いと、回転したまま上昇しないのだとか。 蛇の力(クンダリニー)のエネルギーによって上昇が始まるのだとされます。 西洋の壁画をみると、イエスが蛇の上に乗っているものがある。 人々は、イエスが蛇を踏みつけにして、サタンに勝利していることを表していると思っている。 違うんですね。 イエスはクンダリニー つまり蛇の力によって上昇をしたということを言わんとしているもの。 だから蛇の上に乗っている。 で、クンダリニーを開く方法として、性交があるとされる。 だから、ダ・ビンチ・コードでソフィーが乱交だと勘違いしたものは、クンダリニーの力をもって解脱をするという儀式なわけです。 ちなみに、蛇は知恵の象徴と古代ではされており、フィロソフィア だから、 ダン・ブラウンはイエスの血筋を持つ受け継ぐ器として、主人公の名前をソフィーとしたんですね。 で、女性は仏になれない とされます。 何故なら、クンダリニーを与える側だから。 もらう側じゃないんです。 で、文章を読んでいて、印象として、あなたは女性じゃないかと思うんですね。 ですので、あなたがチャクラを開く修行をすること自体、無意味なんです。 必要が無いから。 女性は仏になれない とされる理由がわかったと思います。 人によっては女性は男性と違って、いろいろな感情に翻弄される生き物だから、解脱なんて無理だって意味だと思っている人もいるようです。 が、違うんですね。 男を昇華するエネルギーを与える側だから。 女性は昇華する必要が無い。 だから宗教は男の世界にどうしてもなってしまうわけです。 インドで女装した巫女みたいな職業の男性がいますよね。 特別視されていますが、元は宗教の上層部の人が女装し、神の化身となりたくてやっていたんじゃないか と。 つまり クンダリニーを与える側になろうとして、神の化身である女性の姿になろうとしたのではないか と。 後に、クリシュナ崇拝になったため、神が男の属性をもちつつ、生命を生み出す存在だとされるようになったように思えます。 クリシュナはヴィシュヌでもあり、 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%8C で、歯車がぐるぐるまわる世界から脱出するのが解脱とされたわけです。 解脱したら、どうなるのでしょうね。 カースト制度ってありますよね。 仏教は人気が無かったのか、インドではやらなかった。 で、確か釈迦だったと思いますが、解脱する寸前で、自分だけ昇華してはいけない と、戻ってきたというエピソードがあるんですね。 つまり、みんなのために という煩悩があったから、現世に戻ってきたわけで、中道を解いた人だったと思います。 つまり、解脱を拒否した人。 って雑学の知識の寄り集まりですいません。 質問の<他の意識界に入ったり、或はそこから出てきたりする現象>は、俗的には、「向こうの世界に行っている」とか「トリップしている」「トランス状態」「恍惚にひたっている」とか言いますが、もうちょっと真面目な言い方にしたいなら <解離>でいいんじゃないでしょうか。 完全に行ってしまったら、仏です。別の言い方をしたら死人。 生きたまま、別の世界に行っては戻ってくる状態なら、一時的解離 軽い解離が起こった でいいんじゃないかと。 ですが、あなた宗教的なものとして語彙を欲しければ、同一ではなく、別物になり、<解脱>と表現するのではないか と思います。 ユダの福音書では、イエスは肉体を牢獄と考え、解脱を望み、信頼できる唯一のユダにそのための助けを求めたとなっています。 また、トマスの福音書では、鞭打たれ、十字架にかけられている自分を、笑いながら側で見ているイエスのことが書かれています。 物語上は可能ですが、実際、肉体を拷問されながら、別のところに本体があり、肉体を笑って眺めている なんて芸当はできませんし、実際やった人など知りません。 あくまで文学作品、創作文学の中でのみ可能なことですので、くれぐれも、やらないように。 といっても、神の御業という集団は、実践として肉体を痛めつけるようなことを信者に推奨していたようです。 小説 ダ・ビンチ・コードに出てきた犯人が、その集団の信者という設定でしたが、苦情 肉体を拷問する修行をするというのは、事実なのだそうです。 恐ろしいですが、カトリック教会も信者に拷問するよう指導しているそうで、家に一家に1つは鞭があり、時々修行として、鞭を打って肉体を痛めつけているのだそうです。(カトリック信者からそれは聞きました。) それは教会命令だから、信者はやなざるを得ないでしょうが、信者じゃなければ、そういう意味のない命令を聞く必要も無いので、変な宗教に魅了され、自分を拷問して解脱を測ろうなんて考えないように。 苦痛をやって解脱するのなら、キリスト教に殺された人たちは全員解脱しているわけで、キリスト教さまさまになっちゃいます。
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- kigurumi
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これって、夢遊病とか催眠術下における世界ってことですか? 人は多重世界の中で生きています。 例えば芸能人。夢を売る仕事です。 ドラマで演じるものは、あくまで架空の存在です。 ですので、演じる人の実際の人生とは違う別の世界を演じるわけです。 ところが役者は自分とは違う別の人格を演じなければならないため、その本を読んで、これから演じる人がどういう思想を持って、どういう癖を持っているか など特徴を捉え、別の人格に変貌しなければならないわけです。 で、下準備として日常生活においてもなりきる人もいるわけです。 極道の妻をやった岩下志麻さんは、家においても、肩で風切る行動が抜けず、夫から家でくらいやめてくれよ と言われたらしいです。 元の人格じゃなく別人格を演じているうち、思考回路が別人格の思考回路になってしまったわけです。 ですが、基本の人格はいろいろな影響を受けても最後まで維持されるので、催眠術で別人格にされても、時間とともに元の人格に戻ります。 催眠術って時間の経過で消えます。 で、前の質問で映画を観ていて はっと我にかえって自分は映画館にいると自覚するのことにおいて、不思議さを感じるようですが、つまり、映画の世界に脳がトリップしていて、別世界を脳の中で展開しており、自分が主人公になったような視点で、世界を見ていて、音とか刺激で、元の世界に戻って、前の世界と今の世界の境界線に立っっており、あれ?って思って、「ああ 映画観てたんだ」と自覚するわけです。 例えば、妻一筋の真面目な人が、バーの女主人に別世界を見せられ、そっちの世界に行ってしまい、毎晩通いつめるケース。 美しい女主人との世界に没入するわけですが、美しい女主人はそういう世界をサービスとして提供することで、生活費を稼いでいるわけです。 で、金の切れ目が縁の切れ目。 「妻と別れる。妻は貯金と家をくれるのなら別れてもいいと言っている。二人で一からやりなおそう」とか言おうもんなら、「金を使わない男にゃ 用ないんだよ。 幻の世界をサービスとして金を払ってもらって提供していただけ。あんたが望む世界を金を払ってもらうことで、提供していただけ。それくらい 馬鹿じゃないからわかるでしょう。この世界は真実の世界じゃない。わかったら とっとと家に帰りな!」と女主人に諭され、幻の世界が消滅する。 金が切れたことで、幻の世界との縁が絶たれてしまい、我に変えるわけですが、まだ幻の世界を現実としたくて、「俺と一緒に死んでくれ」など、痴情のもつれによる殺人を引き起こしたりする。 幻と現実の区別がつかなくなった悲劇。 で、映画にしろ、テレビにしろ、娯楽で、幻の架空の世界を楽しむことを人間は能力としてできるわけです。 いくつもの多重世界を脳の中でつくりあげ、それでも自分の基点はそのままなので、幻の世界が消えると、ちゃんと自分の巣に戻る。 ところがこの幻の世界、現実の世界 と区別する器官が壊れてしまうと、どれも現実の世界だとしか認識しなくなる。 すると混乱が起こるわけです。 多数の世界に同時に住むことになるが、本来の世界じゃないので、どうしていいかわからなくなる。 自分が何者か どういう過去だったのか(過去がその人を作り上げている)わからなくなるわけです。 つまり 自我の喪失。 脳の働きを活発にする薬を与えることで、シナプス回路がうまく機能すれば、元の世界の復元は容易になるかもしれない。 ですが、今私達が現実だと思っている世界も、真実の世界じゃあない。 例えば、物には色が無いので、架空の色の世界を私達は見せられているわけです。 なにが見せているかというと脳です。 でも、脳がそういう認識になっているので、それが現実の世界とするしかない。 でも脳が壊れてしまった人も、壊れた状態で脳が見せる世界が、真実の世界でしかなりえない。 催眠術を使えば、宇宙人に誘拐され人体実験を受けたという架空の物語を、本人に実体験したと刷り込むことができます。 そして、本人が説明するより先に、「そのあと こうなって こうなったわけですよね」と説明すると、「どうしてそれを知っているのですか?」と驚く。 「だって 催眠術であなたに架空の体験を刷り込んだのは私ですから。 私がその世界の創造主です。 なんなら 催眠術であなたに語っていたときのビデオを観ますか?」と聞くと、「私は催眠術などにかかったことは一度もありません。」と答える。 催眠術をかけられた人は、自分が催眠術にかかったという記憶を持つことはできない。 そういうわけで、宗教とか商売で、集団催眠をかけて、人をたぶらかすことが頻繁に行われるんですね。 だって、人の中にはいつもたやすく催眠にかかり、催眠にかかったという自覚を持つことはできないから。 だからそれが催眠によって買わされた、信者にさせられた と証明することができない。 映画やドラマが催眠の一種かどうか? ある意味そうだと思います。 何故ならヤクザ映画を観た人は、映画館から出てくると 肩で風切ってますから。 時間の経過とともに戻るし、現実を強く認識しても催眠は消える。 ということで、的確な現象を表す用語は知りませんが、催眠の影響下では、人は別行動もします。 ですが、催眠は消えるので、それを持続させたければ、消える前に何度も催眠をかけ続ける。 ですが、隣の人のポテトチップスをガサガサやる音で現実に帰ってしまうんですね。 恋愛も一種の幻で、時間の経過とともに架空の世界は消滅しますが、現実結婚して一緒に住んむことになり、「10年前はつきあってたときは、俺の前でおならするなんてことは無かったのに」「10年前は情熱的でなんでも買ってくれたのに今じゃ家でゴロゴロ・・・」と、あの当時の架空の世界が一体なんだったのか? と不思議に思ったりするわけです。 元の人格に二人とも戻っているわけで・・・ それが現実だと認識できないと、かつての栄光 実は幻を求め、他の異性と再幻構築をしようとしたりする人もいるわけですね。 >そんな他の意識界に入ったり、或はそこから出てきたりする現象を心理学ではなんという用語があるのでしょうか? これで思い出すのが麻薬。 麻薬を摂取すると、脳が通常とは違い活発に活動するので、別の世界を構築する。 宗教の話を聞くと、トリップしたような世界を体験した人たちが作ったと思えるのですが、古代においては、宗教儀式のときに、麻薬を使っていたと思えるんですね。 蓮の花の回転 とか ユリ とか 別世界のトリップ話が出てますが、麻薬によりトリップしたときに見た世界だと思います。 食べ物も一種の麻薬ですが、そこそこ毒性は少ない。 でも、法律で禁止されているものは毒性が強いので、CPUが暴走して別世界を見られるが、その代償として肉体にダメージを与えるし、幻の世界と現実の世界の区別がつかない状態になり、精神の秩序が一時的に崩壊し、かつ脳が可塑化しちゃうので、麻薬が抜けた後も、麻薬でトリップ中に見えた幻覚を、現実見たとしか認識できなくなり、麻薬が抜けた後も混乱は続き、麻薬は耐性があるので、どんどん量を増やしていかないとトリップしなくなるので、結果毒が体の骨をもろくし、禁断症状の時に麻薬摂取できないと心臓発作で死ぬわけです。 で、人間の脳には脳内麻薬ってものがあり、これに映像などを見るとこれが刺激され、高揚感などを誘発し、英雄の映画を観て高揚感を得られ、映画が終わってもしばらく高揚感に浸れるってわけです。 ですが、現実の世界に住んでますので、それはそれとして別世界とちゃんと認識するわけです。 中には俳優のドラマを見て、ドラマの役とそれを演じた人物が同じ個性だと思ってしまい、かっこいい とか思って架空の人物を現実の人物と重ねてしまう人もいるわけです。 人間が作り出す架空の世界と、現実の区別がつかないと、ドラマを見てストーカーになったりして、「君はそういうことはやっちゃいけないんだよ ドラマでは・・・」とか手紙を送ったりして、なかなか架空の世界だと認識できず、困ったさん行動をしてしまう人もいる。 娯楽は文化を持つ人間社会には必須でしょうけど、ほどほどになんですね。 神話の世界も娯楽としては楽しめますが、実際そういう神がいるとか本気で信じて、「神様をここに呼びましょう」とグループを作って、両手を挙げて空に 「神様 下りてくてください お待ち申しております」など、わかっていてやるのならいいですが、、、本気でやると病気だとしか思えます。 集団催眠を悪用して現実で生きることを放棄させ、現実社会不適合者を増産しているわけですので、、、、、 というわけで、薬も飲みすぎるとその人を死に至らしめる毒になるんです。 映画をみていて、はっと我に帰れるなら、娯楽として脳内世界を楽しんでいるので、おっけーです。
お礼
有難う御座いました。 たいへん微に入り細に亘って、≪夢遊病とか催眠術下における世界のこと≫をご説明いただき、勉強になりました。 ≪夢遊病とか催眠術下における世界のこと≫について勉強する事が、ここでの私の目的ではなく、何を以って現実とするかは、別にして≪一つの意識世界から他の意識世界へ≫移行すること、トラヴァースというのでしょうか、そういう現象について何かいい用語がないか、心理学では何かその現象を扱って、命名している用語というものはないだろうか。というお教えのお願いであったのです。 無論、現実といわれる世界から、異界的な世界に、意識的或は非意識的に移行やまぎれれ込んで、現実といわれる世界に戻ってくるという現象のことでもいいわけですが。 この場合ドラマや映画を見たり、その役を作るための、自分が原因を作っている、移行であってもいいことはいいのですが、兎も角、意識が別にいっていて、そこから別の、あるいは元の意識に戻る現象についての、ご研究と命名用語が知りたいのです。 多分心理学ではこのようなことのご研究がなされているのではないこと存じまして。 冒頭に掲げてご紹介しているURLは私の質問ではありませんが、私も質問したかったことです。 動機と目的は、このいわゆる現実の生活における通常意識が、実はこの世全体の催眠術、詐欺師の術策にかかっている意識であり、むしろそれからでられる精進をしなさい。というヒンドゥの教えを実践的実戦的に把握したいからのことなのです。 どうかよろしくお願い申しあげます。 多重人格、多重生活も確かに貴重なお話ですが、思えば思うほど、人の心理と意識の不思議さに驚くばかりであります。 有難う御座います。
補足
長い文章をお読みくださり、深く感謝申しあげます。 ANo.1のkigurumi様のご回答のように、催眠術から醒める経験や現象について、心理学などで、今は特に命名の用語がなければ、どうか愚問の趣旨をご理解くださり、心理をご研究の立場から、仮でもいいので、英語か日本語で命名していただけないでしょうか。無論仮称とかを付加することになるでしょうが。 候補や案でもいいので、どうかよろしくお願い申しあげます。
お礼
No.1 No.2 kigurumi 様ありがとうございます。 該博な知識からの薀蓄にただただ恐縮しております。 お教えの“解離”を辞書で検索すると、確かに、今まで私が語感的に抱いていた意味より広い意味であり、仰せのように、今次の質問での“用語”として合致するであろうと存じます。私はこの“解離”をそのまま使うのではなく、“解離性真実在復帰”とでもしたいと考えております。この復帰が創造界の日常である、夢世界から解き離れて、本来的意識に復帰である、解脱と捉えております。 浦島太郎や家庭生活のお話はご見識からのご理解ですね。私自身は非常識というか非科学的でして、太郎が赴いた海底の黄泉やわだつみの世界をそのまま存在するという読み方をしておりまして、やはり異界に太郎はいった。肉体はどこかに見えなく隠されていたかもしれないが、意識はそういう異界を訪問していた、と理解しております。インドでも数百年に亘り、地下に、低いサマディで埋まっていて、掘り出された例もあり、日本でも即身仏が甦生させられた話も伝わっております。肉体は一種の仮死状態の、低いサマディで存続していたのでしょう。 有難う御座いました。なお文章は補足につ内でおります。
補足
有難う御座いました。お礼の箱からのつながりです。“つ内で”という誤植をお詫びします “昇華”は向こう三軒より大分通りご近所さんのようです。ダ・ビンチ・コードはみておりません。お祖父さんが、そういう行為を、行(ぎょう)をなさっていたのですか。性の力を以って解脱の力を引き出していく宗教や行法(ぎょうぼう)は日本にも立川流とかありますが、インドにもタントラとかシャクティとか、いろんな所にたくさん例がありますね。 クンダリニ・ヨガというのもあるそうですが、クンダリニを覚醒し、上昇させる行を、私達はプラナヤマで行うことを教えられ、実践しております。 ヴィッシュヌと千匹きの蛇、クリシュナ、ヴィッシュヌ、そしてシヴァのオウムの話は私達なりに教えられております。 火焔のチャクラは、私達の教えではマニュピューラ(これはパンダヴァ五兄弟の三番目のアルジュナで象徴されています。土・水・火・風・空の中の一です。)として教えられております。 私は女性ではないのですが、下丹田とか一定のチャクラを女性には備わっていないという話は、他の教えにはあるようですが、私達にはそのような教えはありません。勿論男女ではいろいろ違うことはありましょうが、解脱が無理だという話は伝わってはおりません。 釈迦もそうですが、一定の要請原理、当為からあえて地上に戻る、再誕する、地上の姿をとり続ける聖者のお話は伺っております。つまりあえて向こうに渡岸しないという聖者についてを。 お教えを拝読し、“解離性真実在復帰”を使おうかと存じます。他人に見せたり、話したりすることではないので、多少くどくて、抹香くさくはありますが。 ありがとうございました。