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19cのバルカン諸国は民族運動で独立したのに、なぜ他国から王を呼んできたのか

19cにバルカン諸国で民族運動が起こり、次々と各国が独立していきますが、 この時なんで他国から王様を呼んでくるのでしょうか? (ギリシャ:ドイツのバイエルンの君主、ブルガリア:ロシア皇妃の甥など) 自民族から王を出さないと独立した意味がないのでは? ここらへんの事情を詳しく教えてください。

みんなの回答

  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.2

背景には三つの理由があります 1:王家は王家の資格のある血筋 現在のイギリス王家が、もともとはドイツのハノーヴァー家だったり、スペインの王家がブルボン王家(あの、フランスのブルボン家の流れ)で、その前は、ハプスブルク家。スウェーデンが元はフランスの将軍。オランダ王家もルクセンブルク王家も、元はライン地方出身。 という感じで、ヨーロッパ共通の認識として、王家になるべき血筋という意識があります。 2:独立戦争の意識者は現地人ではない、そして貴族的 ギリシャ独立の最初の組織はオデッサ(黒海北部の現在のロシア)で創られた。当時のオスマン帝国領内に住んでいないものばかりです。ブルガリアは完璧に、ロシアのコントロール下での独立。すこし時代は違いますが、ポーランド独立を計ったコシーシュコの乱(1794年)でのコシーシュコは貴族だったりします。貴族や裕福な人々の連合が独立を主導しました。たとえ話で、ちょっと強引になるかもしれませんが、幕末に於いて、武家の親分である将軍を、有力大名連合が倒して次に誰がトップに立てるか?とした場合、島津の殿様とか毛利の殿様とかを立てるよりも、武家じゃない天皇を持ってきた方が、中立的で都合が良いという力学が働きます。ドングリの背比べなので、ドングリの中の一人を王様にするより、全然違うキノコを王様にした方がいいという論理です。 3:ヨーロッパの力学 ギリシャの場合、英仏露の三カ国が綱引きして、三国に関係ないドイツから王様を持ってくることに決着。 ブルガリアの場合、露土戦争に、ロシアが勝ったので、保護国としてブルガリアが成立したので、ロシアの息がかかっている人物を持ってきたということになります。

bougainvillea
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 中世ブルガリア王国の末裔とかどうしちゃったんでしょうか?そこら辺が気になります。

  • tono-todo
  • ベストアンサー率16% (169/1028)
回答No.1

独立するとは、どこかの国のクビキから逃れること。 そのクビキに再度縛られないように、自力で無理なら、対抗能力を持つ国と友好関係を持つことは今でも当たり前。 その一つの現れが、他国と君主を通じた縁戚関係を持つこと。 例示の2国はオスマントルコの後のことを指してのことと思いますが、 ギリシャはバイエルンを頼り、ブルガリアはロシアを頼ったにすぎない。 ギリシアはドイツ人を重用する国王への反旗が即翻りますが、ブルガリアはそのまま共産主義革命まで続きます。

bougainvillea
質問者

お礼

回答ありがとうございます。

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