- ベストアンサー
日本を神州と考える思想はいつごろからですか?
幕末ごろの古文書を読んでいると、神州日本という言葉をよく目にします。 日本を神州と考える思想はいつごろからあったのでしょうか? また「神州」とは選民思想を含んだものですか? よろしくお願いします。
- yoshinobu_09
- お礼率10% (1414/13346)
- 歴史
- 回答数4
- ありがとう数3
- みんなの回答 (4)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
神州日本という思想は建国の時代から存在したといえましょう。 しかしそれは神話や伝承の範囲であって、思想として普遍性をもったのは幕末からと考えてよいでしょう。 それまでは一部の学者が個人的に主張する学説のようなものでした。 幕末の尊皇論は単純な思想論で天皇中心論の根拠として唱えられる程度のもので学説として体系的に組織され始めたのもこの頃からです。 元寇の国難を天佑神助により克服した事がよく引用されるのもこの頃からです。 その頃は特別な国という位の認識はあったと思いますが、選民思想というような排外的思想はありませんでした。 日本が選民思想を持つようになったのは日清戦争で勝利してからです。 日本が中心になってアジアの盟主を目指しだした契機でした。
その他の回答 (3)
- PENPENMAKKY
- ベストアンサー率17% (344/1984)
幕末でしたら『会澤正志斎』の影響と思われます。 会澤正志斎は水戸学の中心人物で、彼の論文『新論』が幕末の志士に大きな影響を与え、尊皇攘夷運動に繋がりました。
- pri_tama
- ベストアンサー率47% (674/1409)
古事記(712年)には、神である「イザナキ・イザナミ」が日本を構成する島々を作ったと記述されています。(天皇家もその神々の子孫) よって少なくともこの頃には「日本は神の国である」という思想があったと思います。 選民思想に関しては、主観が入る所なので難しいのですが、ただ、「イザナキ・イザナミ」が誕生する前にも、別の神々がいた事。天照大御神が葦原中津国の統治権を、別の系統の神々から譲り受ける「国譲りの神話」がある事などから、必ずしも、天照大御神につながる日本のみが素晴らしくて、他が劣っているという狭義での選民思想には、当たらないと思うのですが…。
- 6dou_rinne
- ベストアンサー率25% (1361/5264)
蒙古襲来前くらいからでしょう。 蒙古軍と神々が戦ったという記録もあります。 ただ、その後しばらくすると神州思想も下火になりましたが。
関連するQ&A
- 幕末の攘夷思想はどこからきたのでしょうか?
16世紀の南蛮貿易が盛んに行われていた時代には過激な攘夷思想はなかったと思われます。 しかし、幕末に黒船がやってくると日本中が攘夷に湧きかえります。 当時江戸にいた青年坂本竜馬も父へ「黒船に斬りかかって、追い払えないのは残念だ」というような趣旨の手紙を出しています。 思想的にまだ無垢であった青年竜馬はどうしてそのように思ったのでしょうか? 日本は神州で、異国人は野蛮だという一種の神道思想が一般に信じられていたのでしょうか? あるいは仏教でしょうか。 それとも、黒船が武装していたから脅しととらえ、反発しただけなのでしょうか? 黒船が武装せず、友好的にやってきただけなら、攘夷思想は起こらなかったのでしょうか。 よろしくお願いします。
- ベストアンサー
- 歴史
- 『選民思想』とは善なのですか?それとも悪なのですか?
只今、選民思想について調べていたのですが、 調べているうちに選民思想が善なのか悪なのか分からなくなってきたので、質問します。 まず『善』の方ですと、ユダヤ人関連がそれにあたります。 『ユダヤ教においては、選民であるという考え方は、ユダヤ人が神と契約を結ぶために選ばれた人々である』という、迫害され続けてきたユダヤ人に対する『救い』の言葉として、選民思想という単語が存在しているようです。 そして『悪』の方ですと、テイルズオブデスティニーのミクトランがそれに該当します。 『極端な選民思想の持ち主。 天上王を名乗って徹底した恐怖政治で天上全体を支配していた。 地上の民に全く価値を認めておらず、選ばれた民である自分たち天上人が穢れている地上とその民を完全に支配(或いは抹殺)するべきであると考えている』 このように、天上人の為なら地上の民など皆殺しにしてもいいと公言しております。 どちらも『選民思想』という単語を使っているにも関わらず、こうも意味が違います。 因みに私は『選民思想』という単語は後者のミクトランのような人物の事を指す単語―――要約すると、神とかに選ばれた民以外は死のうが苦しもうが構わないという思想―――とばかり思っていたので、前者のユダヤ人に対しての使われ方には驚きました。 果たして、選民思想は善なのでしょうか?悪なのでしょうか?
- ベストアンサー
- その他(社会問題・時事)
- 日本開国後の攘夷思想
幕末に興味があり、現在少しずつ勉強中の者です。 『幕末の日本では大抵の人は外国を撃ち払おうという攘夷の考えを持っていた』と様々な本やサイトで見るのですが、明治新政府の人物というのは攘夷思想は持っていなかったのでしょうか?持っていたのだとすれば、その後の日本の外交に少し疑問を持ってしまうのです。 幕末に出てきた人々は、例えば桂小五郎等の尊皇派にしろ新選組等の佐幕派にしろ、「攘夷」という点では目指すところは同じだったのですよね? 明治新政府のメンバーの中には勝海舟のように外国に良い感情(?)を持っていた人も居たのかもしれませんが、大半はそれまでは攘夷思想の持ち主だったはずです。なのに明治になってからは「攘夷」という言葉はほとんど出てこないのです。それは一体何故なのでしょうか? 私の考えられるところは… とりあえず、国を外国から守るためには逆に外国の技術を自らの物にし、国内の戦力を高めなければならない。(坂本龍馬の思想が確かこんなだったはず…) →そのために政府上部により「攘夷」の考えを削がれた。 →その結果、攘夷思想は薄れていった。 といったところなのですが、勉強不足で本当のところはどうなのか良く解りません。 長文になってしまい申し訳ありませんが、明治新政府の思想について詳しい方、少しでも情報をお持ちの方は是非回答お願いします。
- ベストアンサー
- 歴史
- 輪廻転生の思想はいつごろから
一遍上人の出家したきっかけは、「独楽をみて、人の輪廻転生の運命に思いをはせたため」と聞きました。 すると少なくとも鎌倉時代には輪廻転生の思想が日本に根づいていたを思われます。 この輪廻転生の思想はいつごろから日本にあったのでしょうか? 仏教の教えの中にあったものでしょうか? また世界的にみると、輪廻転生の思想はいつ、どこで発祥したものでしょうか?
- ベストアンサー
- 哲学・倫理・宗教学
- 福沢諭吉の思想形成について
福沢諭吉の思想形成は幕末史とどのように対応しているのでしょうか。 日本史を勉強していて、福沢諭吉の思想が変わっていくことをしり、ふと疑問に思いました。 答えて頂けるとありがたいです。
- ベストアンサー
- 歴史
- 言霊思想といって、日本人は今でも、悪いことを言ったり、思ったりするだけ
言霊思想といって、日本人は今でも、悪いことを言ったり、思ったりするだけで、そういうことが本当に起こりやすくなると信じているので、なるべく悪い言葉を使わないようにして、悪いことも信じないようにしている、と主張する方がいますか、皆さんは言霊思想を信じますか。
- ベストアンサー
- その他(カルチャー)
- 言論の自由、と云う思想?はいつ頃からですか。
最近の“言論の自由”に関する質問を見て、いろいろと考える事になりました。 私が初めてこの言葉を聞いたのは随分と前の若いころの事で、漫画の社会に与える害悪を取り締まるべきだとの意見に言論界の人たちが“言論の自由”を阻害するものだと、反発した時のことです。 その時は社会に害悪を与えるんなら取り締まってもいいんじゃないの?と思いながらその線引きをどこにするかが難しい、とも思いました。 もちろん表現者たちは、線引きなんてとんでもない、線引きこそが“言論の自由・表現の自由”を侵すものだとの意見でしょうけど。 今日のニュースではフランスのパリで起きた事件について、ローマ法王がフィリピンへ向かう途中の機内でのコメントを取り上げていました。 それによると法王は「神の名においていかなる殺人もばかげている・他人の信仰を侮辱したり笑うべきでない・信仰の自由も表現の自由もいずれも基本的人権である・これらの権利は他人を傷つけることなく行使されるべきだ」と云っています。 私なんぞは全くその通りと浅い受け止め方しかできませんが、それでも武力と言力?の両者を批判し、自制を求めたのだと思います。 “言論の自由”と云う言葉には、私はいつも“言論の自粛”と云う言葉が浮かんできます。 「ペンは剣よりも強し」と云う言葉は言論界の人たちが云った言葉だと思いますが、それはペンの怖さを知っていると云うことですよね。 たぶん、フランスの風刺漫画家はその事を軽く受け止め、だから“自粛”ができなかったのかもしれません。 言論の自由、また表現の自由という思想?はいつ頃からですか。 マスコミが発達してからでしょうか。昔の西洋の哲学者たちの時代からのことでしょうか。 教えてください。
- ベストアンサー
- 哲学・倫理・宗教学
- 日本のキリスト教
朝鮮宗教化してますか? 本来キリスト教は自分が自由を叫び、その自由を人に与える為に極めて重い責任を負いながら世間での使命と信用を得ていくものなのでしょうが、日本の場合ただ差別化し選民思想を持った朝鮮宗教化しているような気がしますがどうでしょうか?
- ベストアンサー
- その他(生活・暮らし)
- 日本では、ガラスはいつ頃から使用?
江戸後期、つまり幕末頃には、日本家屋においても、板ガラスを窓ガラスとかガラス戸に使用し始めていましたか? 大きな町、例えば、江戸から大阪、京都においてのことだとは思いますが。なにかご存知の方は教えていただければ幸いです。
- ベストアンサー
- 歴史