• ベストアンサー

明治18年の貨幣価値と百円札の効用は?

http://homepage1.nifty.com/zpe60314/kahei3.htm  これによると明治18年に百円紙幣が発行されています(図柄は大黒天)。随分高額でどういう意図があったのか理解できません。小切手が未発達で商取引用だったなどという事情でもありましたか。 因みに当時の壱円は今日の幾らに相当しますか。基準は米なり初任給なり何を採用しても、ご自由とします。 よろしくお願いします。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • at9_am
  • ベストアンサー率40% (1540/3760)
回答No.1

> 小切手が未発達で商取引用だったなどという事情でもありましたか。 その通りです。 主に商取引、特に銀行間の取引において使われていたようです。因みにアメリカでは同じ目的で 10000 ドル札が発行されていました。 > 因みに当時の壱円は今日の幾らに相当しますか。 大体、ですが、物価にすると 5000~10000 倍程度なので間を取って 7500 円位に相当する、というところです。米で測っても、大体 10 kg = 0.3-0.5 円というところで、現在は 10 kg = 4000 円位ですからね。

sono-higurashi
質問者

お礼

よく納得できました。貨幣価値が分からないにしても高額過ぎて流通の仕様がない気がしていました。 有り難うございます。またの機会にもよろしくお願いします。

その他の回答 (1)

noname#58790
noname#58790
回答No.2

明治は米10kgと大工の手間賃(日払い)が同等なので一概には言えない所があります。 また、米価は当時は80銭~46銭まで変動があります。 (当時はダムなどが少なく、品種は冷害、日照りに弱く変動が激しい) 現在では大工の手間賃(プロ)なら2万円近く、見習いなら8千円程度だと思いますので、 かなり大雑把な値と見て良いと思います。 これを米10kg50銭とします。 現在の米10kgを5千円とします。 米20kgで1円です。米20kgで1万円です。 当時の100円札は100万円と言う事になってしまいます。 が、 日当5千円で大工は働きません。 これでは生きて行けませんし工具は自前です。 手間を安く見積もり、米の価値を高く見ていた。 手間は標準で、米価の価値は高かった。 の2通りが考えられますが、 当時は病気以外では卵は食べられないと言う状況です。 物の価値は現在では計り知れない部分がある事は了承して読んで頂きたいです。

sono-higurashi
質問者

お礼

当時は米の他に雑穀やイモ類で、ずいぶん補っていたのでしょうから米が高かったのかもしれないというのが素人の直感です。 高目に見積もると、100円札は100万円見当でしょうか。 今更といわれればそれまでですが、こういう問題も結局は当時の技術、産業、社会構造など総合的に捉える力がないと実像が掴めないことを再認識させられました。 有り難うございます。またの機会にもよろしくお願いします。

関連するQ&A

専門家に質問してみよう