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明治当初の1円の価値はどのくらいだったのでしょうか。
日本は明治3年金貨を発行しています。この時、1円=約1ドルだと言われます(ネット上の情報)。 この時点で、1円または1ドルの価値はどのくらいだったのでしょうか。 米や絹といった日常の物価と比較して、今日どれくらいの価値に相当するのでしょうか。 たとえば、1万円、1000円といった具合で示していただけませんか。 できれば、何らかの根拠もお願いします。 素人です。
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- 川原 文月(@bungetsu)
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こんにちは。 bungetsuです。 次のサイトを参考にしてください。 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4663639.html
- 川原 文月(@bungetsu)
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こんにちは。 NO1.です。 まずは訂正! >>1ドル=約3,000円=現代の価値に換算すると、約60,000円での取引をしたと考えられます。 60,000円(誤)→600,000円(正)。 fudousinさんへ。 お気に入りに登録してくださるとは・・・ありがとうございます。 さて、1円金貨の件ですが、確かに、明治4年(1871)より20円、10円、5円、2円、1円の金貨が発行されていますね。 当初は、紙幣との兌換(だかん=交換)もできたようですが、引き当て金貨の不足から、兌換停止などになっていますね。 その後、明治30年(1897)の「貨幣法」による新金貨は、金重量を半減した20円、10円、5円金貨のみとなり、旧金貨は倍額面での通用とされた。 新金貨は昭和初期の金解禁停止に伴う兌換停止まで製造発行された。以後、本位金貨の発行はない。 これらの新旧の本位金貨は昭和62年(1987)制定、昭和63年(1986)4月施行の通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律によって正式に廃止された。(by Wikipedia)↓ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E8%B2%A8 米価(60kg)の変遷を見ていくと、 慶應2年・1円94銭 慶應3年・1円46銭 明冶元年・1円69銭 明冶2年・3円43銭 明冶3年・1円87銭 明冶4年・1円12銭 ・ ・ 平成10年・15,805円 平成11年・15,528円 平成12年・15,104円 ・ ・ こうして見ていくと、明治初年頃(明治2年は除く)は、1円が現在(平成)の10,000円位になるのでしょうか。 一方、金貨で考えると、 明治4年に鋳造された1円金貨の重量が不明ですが、金100%のようですので、現在の10万円位の価値になるのでしょうか??? それが、1円紙幣と兌換できたようですので、 う~ん。 中々、難しいものですね。 ただし、篤姫の死亡時の3円=6万円は、ほぼ「定説化」しているようです。 もちろん、今後の諸物価の値上がりなどを考えると6万円が変動するとは思いますが・・・。 多分に、前述の「米価」あたりを基本においているのではないでしょうか。
- ?橋 昌也(@fudousin)
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いつも、自称「歴史作家」さんの回答はためになりますね。お気に入りにブックマークしちゃいました^^。 ただ、少し気になるとこがあったので。 米価と貨幣の比較で、時代が下るほど貨幣価値が下がっているのは、貨幣の改鋳による質の低下のためです。その他にもいろいろ事情はありますが。 ということで、1円金貨は良質の金貨だったと記憶していますので、あまり江戸期の1両と比較されないほうがよろしいような気がします。
- 川原 文月(@bungetsu)
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こんにちは。 私は、自称「歴史作家」です。 江戸幕府が倒れて明治政府となりましたが、 天璋院篤姫(13代将軍正室)が明治16年11月20日に死亡していますが、大奥の贅沢振りとは違って、所持金は3円(=6万円)だった、と言う話は有名です。 従って、日本国内では、 1円=2万円が相場だったようですね。 1両小判は、すでに慶長6年(1601)に家康が鋳造させたのが始まりです。 そして、1両=4分=16朱。 貨幣価値は、おおむね当時の「米価」を基本に「相場」が決められています。 米価から計算した金1両の価値は、江戸時代の各時期において差がみられ、おおよそ初期で10万円、中~後期で3~5万円、幕末頃には3~4千円になります。 また、一方では、「消費価値」からの見方もあり、 一応の試算として江戸時代中期の元文年間(1736~)では、1両(元文小判)を、米価、賃金(大工の手間賃)、そば代金をもとに当時と現在の価格を比較してみると、米価では1両=約4万円、賃金で1両=30~40万円、そば代金では1両=12~13万円ということになります。 ともあれ、ドルとの交換レートですが、 幕末でのペリーが初めて日本との取引をした際(嘉永6年・1853頃)は、ペリー艦隊海軍主計官の記録では、 (1両=4,000円=4分ですから、1分=約1,000として)。 1ドル銀貨1枚=天保1分銀1枚=約1,000円 で取引がされたようで、ペリー艦隊海軍主計官は、 「2枚(=約2,000円)の利益を得ている」 と、述べています。 やがて、銀の重量から換算すると「不公平」だと言うことになり、(1両を4,000円として・・・)。 1ドル銀貨1枚=1分銀貨3枚(正確には、2.6~2.8枚)=約3,000円。 だと言うことと決まりました。 安政3年9月(1856)ハリスとの日米貨幣交換交渉(為替レート交渉)で、メキシコ・ドル銀貨1枚と1分銀3枚の交換を定めました。 http://www.hinocatv.ne.jp/~shoda/circuit/ginChange.htm 従って、明治政府としても、 1ドル=約3,000円=現代の価値に換算すると、約60,000円での取引をしたと考えられます。