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科学と非科学

First_Noelの回答

  • First_Noel
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回答No.8

広義の意味で「科学」とは, 「事象と理解との間に一対一の対応付けを行うこと」 です. これにより,「人文科学」と言う意味が成立するようになります. これを普遍的な一対一対応にするには,検証などの手段が必要で, そうすることにより科学は「自己修正機能」を獲得します. 即ち,「科学」(正しくは「科学的手法」)とは,思考法のひとつです. それを自然界の現象に当てはめたものが「自然科学」であり, それを記述する体系として「物理学」が,そしてたまたまそれを記述する手段として「数学」が使われています. 土着民族の例ですと, 「何かの加工などの結果,得られる成果」について一対一の対応付けを行ったのではなく, 「これはこうするものだと教えられる」からであると思われます. しかしもしかしたら,その記事は,「科学」に基いて得られた「技術」を利用していないから, 「非科学」だと称しているだけかも知れません.

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