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直観の分析について

hipotamaの回答

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  • hipotama
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回答No.3

No.2です。お礼ありがとうございます。 私も4つの関係についてわかりません。その解説を読んでも更にわからなくなります。    直感の私見を経験律から述べてみたいとおもいます。  直感というと何もないところから突然沸いてくるようなイメージがあります。しかし、そう思いません。ある時期ピアノを習いました。ピアノの初歩といえばバイエルです。それを練習してから、あるイメージに対してメロディーをつけられるようになりました。それを分析してみると、バイエルのメロディーの組み合わせでした。  直感やひらめきは、その下地になる物があると思います。それは、フロイト流に言えば無意識であり、本人にとって認知できないと思います。また、脳生理学的に言えば、バラバラの状態になってシプナスで結合されていない状態だと思います。  脇道にそれますが、人間の脳の記憶容量はスーパーコンピュウターよりあると言われています。しかし、コンピュウターはきちんと整理されて記憶されていますが、人間の場合はバラバラの状態です。また、忘却してしまいます。  人間にとって忘却は悪いように思われますが、新しい物を覚えるには忘却しないといけません。忘却できないという障害のある人は、いつまでも忘れませんが、新しい物を覚えられません。  さて、話を元に戻すと脳の中でバラバラになっている状態で、ある条件下でよく結合するのだと思います。その条件というのは、よく天才と言われる人が朝起きたときに閃いてすごい発見をしたというエピソードがあります。  それは睡眠で脳がリラックスして、回路が結合しやすい状態になっていると思います。脳の思考には集中思考と拡散思考とがあります。集中思考はそのことだけを考えている状態で、拡散思考はいろいろな面から考えている状態です。集中思考では、そのような閃きや良い考えは出てこないと思います。  よく「天才は99%の努力と1%の閃き」と言われていますが、99パーセントの努力というのは、フロイト流の無意識下のもの、脳生理学的に言えばバラバラの記憶だと思います。だから、普段から自分の課題を追求していると思います。  無意識下の物ですから、本人に説明しろと言っても本人はそれは分からないと思います。ですから、他人から見ると何もないところからポッと出てくるような印象を受けますが、その人の脳の中でそのような動きが起こっていると思います。  長嶋監督が「閃き、天才、直感」と言われてますが、彼は彼なりの理論があって動いていると思います。それを本人が言語化できないだけだと思います。直感の元となる物は、日頃の練習からもあるし、DNAに書き込まれているかもしれません。  天才と凡才の違いは日頃の蓄積とバラバラのものをいかに結合させるかという違いになると思います。  

sheep67
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 すてきな文章ですねー。こういうとげのない文を書きたいなと思ってるんですが、なかなか。 本題ですが、 ユングさんは、性格の傾向を考えたように思います。 僕は性格の(直観という要素を軸にした)構造を考えたいなーと思ってます。思うだけなら自由ですよね。できるかどうかはともかく。  直観の性質についていろいろ教えていただきありがとうございます。書いていただいたとおり、確かにそうだなーと思います。今の現状では、科学が直観の仕組みを解き明かすのがいつになるか予想もできませんね。というかできるのだろうか?との疑問は抑えつつ。

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