• ベストアンサー

三千院の仏像は何時代ですか

 京都大原三千院の秘仏薬師如来立像の御開帳を拝観してきました。  1200年ぶりの御開帳とのことですので、平安時代の前期かな、と思うのですが、実際の仏像を見ると、鎌倉時代の仏像の様式にとても良く似ているなあと思いました。 この仏像は一体、何時代のものでしょうか。彩色もとてもよく残っていました。これも、当初からの彩色でしょうか。  いろいろ本やインターネットで調べてみましたが、わかりません。  何とか知りたいのですが、詳しい方、教えていただけないでしょうか。ご自身でご覧になったなった推理でも結構です。  よろしくお願いします。

  • 美術
  • 回答数2
  • ありがとう数5

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • m-tahara
  • ベストアンサー率38% (383/983)
回答No.2

 私も3日程前にお参りしてきました。  確かに何とも判断の難しいところですね。  彫刻自体の様式(特に衣紋のリアルさetc.)は鎌倉時代の作を想像させます。お顔にしても、平安としても初期ならかえって有り得るかな、とも思えなくはないものの、いわゆる平安仏とはかなり異なっているように思われ、これまた鎌倉期、あるいは院政期の方が納得いくように見えます。  ただ、眼に玉眼(水晶による瞳)が入れられていないことからみると、鎌倉よりは古いものであるとは言えそうです。これは鎌倉以降の技法ですので。もちろん、これも敢えて復古調の作風で作ったと言えなくはないかもしれませんけれど。  色彩については絶対秘仏であればかなり残存状態良く残るものです。とは言え、1200年経ってここまではっきりと残るものかどうか、他の比較対象がないので判りません。二月堂の御本尊でもご開帳になれば別でしょうが。  しかも、あの色彩は平安初期、というよりも江戸時代の嗜好に合ったもの、という気が個人的にはします。  総合的にみると、記録はないものの、何らかの理由により後世(平安末期頃)に制作され、それが記録されなかったこともあり且つ最澄自作の仏に関する伝承が残っていて、それが混淆されて今に至っているのでは、と思います。さらに記録は無くても何回か開帳され、一部修復も受けたのではないか、と。  何分、専門家では全く無い人間の意見ですので、鵜呑みにはなさらないよう、あくまでも私見、の一つと言うことで‥‥。

kichi794
質問者

お礼

ありがとうございました。大変参考になりました。玉眼でない点、確かにそうでした。

その他の回答 (1)

  • nyozegamon
  • ベストアンサー率45% (895/1969)
回答No.1

秘仏の本尊薬師如来像は、最澄(七六七-八二二)の作と伝えられ、開創以来一度も公開された記録が残っていないそうです。

参考URL:
http://www.kyoto-np.co.jp/kp/topics/2002sep/08/K20020908MKD2K1D0000060.html
kichi794
質問者

お礼

さっそくご教示ありがとうございます。 ホームページも参考にさせていただきます。

関連するQ&A

  • 大原で見かけた仏像を探してます

    今となっては夢か現かと思うほど記憶が曖昧になっており、なんとか もう一度あの仏像を見たくて、皆様のお力をお借りしたく質問させて 頂きます。 4~5年前に訪れた大原(だと思うのですが…)で、ふと立ち寄った 寺院で、菩薩を従えた阿弥陀如来像を拝見しました。 お堂の中ではなく、屋外に(屋根がかけられてたと思います)その3体の 像はありました。 かなり大きな仏像で3~4メートルほどの大きさ、彩色は施されてなかっ たように記憶してます。 特徴としては今しがた天空より迎えに舞い降りたかのような、菩薩像の 中腰姿。 今まさに腰を下ろさんとする動作、天女のようなふわりとした優美な 動きに仏教美術に全く興味が無かった私にも、強い衝撃と圧倒される 美しさにしばしその場に立ち尽くしました。 昨年再びその姿を見ようと大原を訪れましたが、すぐに見つかると 思ってたその寺院は行けども行けども見つからず…。 往生寺に似た名前だったと記憶してたのですが、片っ端に拝観しても 屋外にあった筈のその3体の仏像は見つかりませんでした。 来月大原に行く予定です。何とかその時の仏像を拝見したく、皆様の 情報をお寄せ頂けたら嬉しいです。

  • この仏像がどこにあるか教えてください

    ttp://tabetan.2log.net/ ↑ここのページの、上から15枚目(ハヤシライスの写真の2つ上)の写真に写っている仏像についてどなたかご存知ではないでしょうか。 場所は京都だと思われますが、周りの写真から推測することができませんでした。 定印や光背、脇侍から見て、薬師如来(薬壷は消失)ではないかと思うのですが、なにぶん素人知識なので間違っていたらご指摘ください。 とても綺麗なので近いうちに一度実物を拝観したいと思っています。どこのお寺でまつられている仏像かご存知の方いらっしゃいましたら回答お願いいたします。 ※ページの管理者の連絡先がわからなかったので、ここで質問させていただきました。

  • 三尊仏の三尊って?

    今日行った美術展で「三尊仏像」というものを見ました。前々から思っていたのですが、三尊仏とは何と何と何の仏様なのでしょうか?薬師寺の三尊像は「月光菩薩立像」と「薬師如来坐像」と「日光菩薩立像」の3仏だとありましたが、全部が全部この3仏なのでしょうか?教えて下さい。

  • 阿弥陀如来像と釈迦如来像の違い

    インターネットの中で仏像の説明で(清朝時代に制作されたものとの説明あり、戦争当時の略奪品とありました)釈迦如来像とありますが、坐像で光背はありません。印は上品下生印の来迎印です。仏像の解説の中に(阿弥陀如来像は,禅定印と来迎印の像がほとんどです。坐像の場合は,禅定印・来迎印の両方の像があるのですが,立像の場合は,来迎印のみなのです。ですから九種類の印があっても禅定印と来迎印さえ覚えておけば,阿弥陀如来を簡単に見分けることができるのです)とあり阿弥陀如来かと思うのですが、釈迦如来像にも上品下生印の来迎印はあるものでしょうか。

  • 奈良に行こうと計画中です

    奈良に行こうと計画中です 東大寺=奈良の大仏様 薬師寺=東塔(建立されてからそのままなんですよね) 興福寺=イケメン阿修羅像 法隆寺=西円堂の薬師如来様 法輪寺=ずらりと並んだ仏像 新薬師寺=十二神将立像 あと、平城旧跡 以上のお寺に行って見たいなと思ってるんですが お寺をどの順番で回るのが良いか 電車やバスの移動をどうしたら良いか 自分ではもうお手上げです 大阪からお得な電車・バスのチケットも出てますが どのチケットが私たちにはお得なのかもイマイチ分かりません ちなみに、3名で岡山から日帰りの予定です 丸投げ質問で大変申し訳ありませんが、宜しくお願いします お昼ごはんのお勧め場所も教えていただけたら嬉しいです

  • なぜ刀の姿は変化してきたか その時代背景は

    日本刀の時代別姿の背景について教えて下さい。 例えば平安時代までは太刀が主流。これは騎馬上で使われるため片手で振れ、自馬も傷つけないように工夫された形状と想像。 鎌倉末期は元寇で従来の刀では元兵の革製甲冑を切れず刺せず、その後身幅、切っ先の幅の差を小さくした等々があると考えます。 武士団はその時代の戦闘様式のニーズに合った刀を注文発注したと思われます。 この時代別戦闘方法がどうであったので、刀はこう合理的に形状(長さ、身幅、重量、反り、重ね。切っ先等)が変化したという解説書を今まで系統的に読んだことがありませんので、お教え下さい。

  • 日本大学通信学部の史学部の科目取得試験において

    10~12世紀(平安時代後期~鎌倉時代前期)における、海上交通・河川交通の活性化と人、物資の流通状況と言う問題が出された場合。下のように回答してればよいですか? 海上輸送においては、国内の輸送として奈良に都が作られ、全国から「租・庸・調」を集める為の海運が発達。内陸地からは川や海の船着き場に荷を背負った人が集められ、舟に乗せて奈良の近くに陸あげされたその荷は人や荷車に乗せ朝廷や貴族のところに運ばれました。 平安時代になり京都に遷都すると、海運が一層盛んとなり、特に日本海側の国々から集められた税は、現在の福井県敦賀(つるが)や小浜(おばま)から陸の道を通って琵琶湖迄運ばれ、舟に乗せかえ、大津迄運ばれて陸上げされた荷物が再び荷車に積まれ、京都へと運ばれました。また、その頃になると京都の特産品が諸国に運ばれる事も多くなり、大いに琵琶湖や日本海を利用した水上交通が利用されました。 更に、鎌倉時代になると産業も発達し、日本のあちこちで作られたものが、京都だけでなく鎌倉を初めとする地方の都市や町にも運ばれるようになっていきました。

  • 子供用歴史漫画

    子供用歴史漫画を購入しょうとおもいますが、何が良いか教えてください。  小学校6年生です          ・まんが 人物・日本の歴史〈3〉鎌倉~室町時代 (単行本    ・名探偵コナン推理ファイル 日本史の謎1,2,3,(単行本)  ・ こちら葛飾区亀有公園前派出所両さんの日本史人(2〉鎌倉時代~江戸時代前期 (単行本)  ・ドラえもんのびっくり日本の歴史〈3〉遺跡・大建築編・安土城から国会議事堂―戦国時代から近代 上記の中で考えています。子供は、「少年少女 日本の歴史」 の本は興味がないみたいです. 上記の中でお勧めがあれば教えてほしいと思います.   上記以外でも良い本もあれば、教えてください。  

  • 日本の歴史建造物は創建当時と異なるが多いの?

    最近、日本の歴史建造物について調べたりしたのですが、今、残っている歴史建造物は昔から残ってるやつは少なく、再建したものが多いそうですがなぜなのでしょう。 気になった歴史建造物のを調べていたら、創建当時のものではなく再建した時のもので異なるそうなんです。 古墳時代は分からないけど、特に奈良時代以降から平安、鎌倉時代までの・・・。 もしかして、再建時にオリジナリティを入れて建てたとかあるのでしょうか・・・。 縄文は分かるにしても、弥生は謎に包まれて分からないですが、古墳時代又は奈良時代から江戸時代までに消えた建物もいくつかあったんじゃないかとも言われています・・・。 それで、書物を参考に再建したものあるとかあったんですかね。 平安神宮はその典型です。 当時の平安時代背景建造物とは少々異なるものの明治時代に創建しています。 しかし、こういうのが多いということは日本は歴史建造物を創建当時のままに保存してこれなかった理由とかあるんですかね。 焼失事件があったようで、それが関係しているとかなのでしょうか。 それとも、復元と復原の違いが関係していますかね。 (能力などの技術力不足又は資源不足を含めて) 日本の歴史建造物は復元したものが多いらしいので・・・。 大人のくせに江戸時代以前の歴史は無知な上だし、私主観なので間違い認識ならすいません。 ※参考程度に  東大寺の創建当時、再現CGです  (東大寺内部の芸術性も又、古代の中国辺りや古代の朝鮮半島辺りに似たような又は近い様式をしています。)  ↓  https://www.nicovideo.jp/watch/sm12549049  絵巻図もあり東大寺縁起という。  焼失を2回していて、再建は2度もしています。

  • 真言宗も総合仏教?

    先週、幾つかの真言宗(豊山派)の寺院にお参りに行ってきました。 それぞれ御本尊がお不動さん、十一面観音さん、阿弥陀さん、薬師さん、お釈迦さんと色々でした。 真言宗では「自分も含めて諸仏諸尊は大日さんの一部である」という教義らしいですが そこで阿弥陀さんを御本尊とするお寺の和尚さんに「阿弥陀さんには阿弥陀経を上げるのですか?」と聞いたら「15日が縁日ですのでその日には私達僧侶が阿弥陀如来根本陀羅尼を唱えたらお檀家さんや拝観者さん達と一緒に御名号と御真言を七回唱えて阿弥陀経を読んで差し上げます。」と仰っていました。驚きました。まさか真言宗寺院で「南無阿弥陀仏」と唱えているとは思ってもみなかったからです。さらに「葬儀法要でも御故人に極楽の御浄土の信仰があると分かった場合は阿弥陀三尊に御来迎戴いて引導を渡すこともします。」と和尚さん。 帰って来て檀那寺の和尚さんにその事を話したら「そりゃあそうでしょう!大切な事は信徒さんや亡くなった人が何を求めていたかを見極めることだよ。人の価値観や信仰は十人十色だからね。安心(あんじん)になってもらわないと。教科書的に弥勒さんとお大師様が迎えに来て兜率天に往生しましたと言っても理解出来ない人が多いんだよ。細かい事を気にしない人や遺族だったらそれでもいいのだけど阿弥陀さんと縁がある人には阿弥陀経を上げて阿弥陀さんの元に逝ったと言うさ、あんた。葬式は遺族の心の安らぎのためでもあるんだから。」と。 私「では、薬師さんを信仰している人には浄瑠璃世界もあり得るんですね?」 和尚さん「そのとおり!『南無薬師瑠璃光仏』と唱えて御真言や陀羅尼と唱えて薬師経をあげさせていただきますよ?」 私「死んだら大日如来に帰依するんですよね?」 和尚さん「そうだよ。この宇宙は大日さんそのものな訳だから阿弥陀さんが治める極楽だってこの宇宙の一部な訳だから極楽に行って阿弥陀さんのお世話になったとしても大日如来に帰依している事に何ら変わりはないんだよ?」 私「つまり、特に信仰がない人やこだわないであろう人には大日さんの弟子に、特定の仏さんに縁がある人にはその縁を尊重するという事ですか?」 和尚さん「その通り。」 私「法華経はうち(真言宗)には関係ないのですか?」 和尚さん「そんな事ないよ?結論から言うと全てのお経は大日経と金剛頂経に通じているんだよ。だからどのお経を上げたって結局は大日経や金剛頂経をあげているのと同じなんだよ。だからお坊さんによっては阿弥陀経は必要ないって考える人もいるらしいよ。でも僕はそうはおもわないけど。 だってそのお経にしかない個性があるでしょうよ、あんた。阿弥陀さんには阿弥陀さんにしかない個性があるでしょうよ、大日さんにはない個性がね。それがまたいいんだよ。」 私「法華経はレベルが低いってお大師さんは言ったらしいですね?」 和尚さん「完璧なお経などありゃしないさ。それにさっきもいったように全てのお経は大日経と金剛頂経に通じているのだからそういう解釈ができたんだろうね。でも本当にそんな事言ったのかねえ。」 最後に「それぞれの縁日毎に色んなお経を上げているから時間があったらいらっしゃいな。」と。 阿字観という座禅、様々な種類の念仏と真言、豊富な種類のお経・・・。 天台宗とはまた違った切り口で総合仏教であると感じました。間口が広大です。 密教ですが顕教も内包しているのでしょうか? そういえば天台宗も正式名称は天台法華宗で伝教大師は法華経に重きを置いたのに時代がさがって密教等の要素を取り入れたのを思い出しました。