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沖縄の従軍慰安婦

次のようなURLをみつけました。 http://w1.nirai.ne.jp/ken/syo3.htm 認識不足ですが、沖縄にも慰安婦を従軍させていたという事を初めて知りました。 これは事実ですか?

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  • jayoosan
  • ベストアンサー率28% (929/3259)
回答No.2

記事の中の「強制連行されたのは」とか、質問者さんの質問中の「慰安婦を従軍させていた」かどうかは、当時の軍としての関わりの証拠が出ないとなんとも言えないと思います ただ「若い女性達が戦場」にいたされたもしくは戦場の近くにいたという事実は、沖縄県発行「沖縄 戦後50年の歩み」の内容に読者が信頼がおければ(また客観的な資料としてあるならば)、事実として捉えていいと思います。沖縄人女性だってある意味、戦場にいたのですから。 強制連行か戦場に送られたかは別として、沖縄には朝鮮や台湾から多くの人が移ってきているのは事実です(それを全て自分たちの意思で渡ったというのも、強引です)。 沖縄に親戚がいますが、その中に台湾人(といっても当時は日本人として渡ってきた人たち)の家系がいます。また、沖縄に残って中華料理(当時は台湾料理という認識はなかった)店を始めた人もいることは、沖縄の歴史をみるとわかります。 私は台湾人の歴史は関心がありますが、韓国人の親戚がいないせいか、朝鮮系の人の話は積極的に読んだことがありませんが、同じように朝鮮半島からわたってきた人もおり、沖縄に残った朝鮮人と半島の親戚が戦後しばらく会うことができなかった話は読んだことがあります(朝鮮半島が政治的に80年代まで戒厳令を敷いていたなどのため)。

noname#47444
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 地理的に言っても、沖縄は大陸に近いので、朝鮮半島からはいろいろな理由で人々が渡って来たと思うのですが、、、 この質問とは関係ないかも知れませんが、朝鮮半島の人々の離散の歴史は哀れを誘うものがあります。 従軍慰安婦と言えば、南方の島という認識しかありませんでしたので、この記事には大変驚きました。

その他の回答 (8)

noname#49020
noname#49020
回答No.9

 ANo.5です。  「従軍慰安婦」という造語がいけないのは、「従軍看護婦」、「従軍記者」などと同じように軍隊組織の一部であるかのように、ワザと誤解させるような名前の付け方にしていることです。実態をよく知らない人は軍属である従軍看護婦と同じように、軍部隊の一員と錯覚してしまいます。  このサイトでも、実態は専門家でもなんでもない人の「専門家」「自信あり」の回答をみると、他の優れた「一般人」「参考意見」よりも正しいと、頭から信用したくなってしまうのと同じです(これは一般論で、特定の回答者を指しているのではありませんぞえ)。  私はANo.5で言っていますとおり、沖縄戦の後半は住民も軍も一緒に入り混じって、米軍に追い立てられていたところがありますので、URLの文には誇張があるような気がしてなりませんが、丸々否定するわけにもいかないように思っています。 

noname#47444
質問者

お礼

仰るとおり従軍という言葉は誤解を起こさせますね。 「従軍看護婦」「従軍記者」などは、危険を承知で国のために尽くす覚悟で戦線に赴くわけですし、それ故の自負心もプライドもあったでしょうが。 「慰安婦」には何が残ったのでしょうね? 支払われた軍票も紙くず同然になったと聞きますし。 事実関係にいろいろな説はあるでしょうが、このような女性達がプロであって自発的に従軍したにしろ、一抹の哀れさを感じない人はいないのではないかと考えます。 それとも、この考えは甘いでしょうか? 回答有り難うございました。 良いお年をお迎え下さい!

  • buchi-dog
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回答No.8

No3です。 「いただいた資料はあまりはっきりした画像が得られなく充分に理解出来ませんでしたが」 この史料は恐らくガリ版印刷、鉄筆で書いたものですので確かに読みやすいとはいえませんが、「はっきりした画像が得られない」とはどういうことでしょう?私のPCに専用ソフトをダウンロードすると、十分鮮明な画像として史料を閲覧できますが。PCの仕様で違うのでしょうか? ともあれ、警察が「売春業」を「監督官庁」としてこれほどまでに詳細に把握分析していたこと、全国に多数の娼婦が公娼、私娼として存在したことには驚かされます。日本が貧しい国で、女性の値段が安かったと言う悲しい事実も示しているでしょう。 戦前の女郎屋では、通貨を現在価値に直して現在のソープの総経費と比べて数分の一で一晩(夕方から翌朝まで)女郎を買えたようです。今でしたら、ソープのような「特殊なサービス」を含まないとしても、そんなことをすればホテル代も含めて10万、15万は下らないでしょう。その安い「代金」の半分以上が抱え主に入り、女郎の取り分と抱え主の取り分が半々であるというのは稀なケースであったようです。 女郎が鑑札を持たない私娼窟(曖昧屋、銘酒屋などといいました)の場合は更に女郎の取り分が少なく、抱え主8、女郎が2などと言う場合もあったようです。この場合、仮に一夜の総代金が3万円とすれば、女郎は一夜の重労働で6千円しか得られません。この中から雇い主によって水増しされた経費、衣装代、借金の利息を払わねばなりません。体を売れども売れども借金は減らず、そのうちに梅毒にかかって容姿が衰え、より条件の悪い女郎屋に転売されて死んでしまい、無縁仏の墓に捨てられる事例も珍しくなかったようです。 参考資料として 芸者―苦闘の半生涯 (平凡社ライブラリー) http://www.amazon.co.jp/%E8%8A%B8%E8%80%85%E2%80%95%E8%8B%A6%E9%97%98%E3%81%AE%E5%8D%8A%E7%94%9F%E6%B6%AF-%E5%B9%B3%E5%87%A1%E7%A4%BE%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%83%BC-%E5%A2%97%E7%94%B0-%E5%B0%8F%E5%A4%9C/dp/4582761224/ ※ 芸者に身売りした女性の自叙伝ですが、芸者と女郎がほとんど同じ存在で、女郎として転売すると女郎を脅して、病気(梅毒)で寝ている女郎に客を取らせる描写もあり、戦後は「芸者も春を鬻ぐのが当然」となった(筆者が年を取ったためもあり戦前は芸者は10台が当たり前で、20代になると『年増』でした)、戦前の日本を知るのに実に勉強になる本です。 若干ズレましたが、現代人の想像以上に、沖縄に限らずに戦前の日本には貧困故に娼婦が多く、売春の代価は安かったのです。今の女子高生の「援助交際」とは代価が数十倍ではないでしょうか。どちらも、相手の「女性」の年齢はほぼ同じです。戦前は、16歳未満の娼妓は原則として存在しないものの、16歳を超えると娼妓の鑑札を得ることが出来たようです(根拠法規が良く分からないので、「ようです」と言う表現になります)。 鑑札を持たなくても良い私娼であれば、10代前半の娼妓もいたでしょうね。嫌な話ですが、それが史実です。 沖縄の女郎事情についてはこんな本もあります。より詳細です。 沖縄の遊廓―新聞資料集成 辻・仲島・渡地・各地の料理屋(魚屋)事情 http://www.amazon.co.jp/%E6%B2%96%E7%B8%84%E3%81%AE%E9%81%8A%E5%BB%93%E2%80%95%E6%96%B0%E8%81%9E%E8%B3%87%E6%96%99%E9%9B%86%E6%88%90-%E8%BE%BB%E3%83%BB%E4%BB%B2%E5%B3%B6%E3%83%BB%E6%B8%A1%E5%9C%B0%E3%83%BB%E5%90%84%E5%9C%B0%E3%81%AE%E6%96%99%E7%90%86%E5%B1%8B-%E9%AD%9A%E5%B1%8B-%E4%BA%8B%E6%83%85-1984%E5%B9%B4/dp/B000J6MIIM/ 図書館で探して読んでみると良いでしょう。

noname#47444
質問者

お礼

いろいろ有り難うございました。 良いお年をお迎え下さい!

回答No.7

>もしこれが捏造だとしたら、あちこちで起きなくても良い諍いがおきますよね! 現在、日本に対して「戦時中の日本軍・政府による残虐行為」ということで、中国の「対日戦争資料館」や韓国の同様の施設、そして反日歴史教育、諸外国による従軍慰安婦に対する謝罪要求決議等々、すでに起きなくても良い諍いがおきます。 発端は朝日新聞の捏造記事ですが。 中国・韓国は、その捏造記事をうまく利用していますね。 >でも何の目的で、創価学会は人を騙すのでしょうか? 極言すれば、お金を貢がせるためです。

noname#47444
質問者

お礼

既に、もう諸外国から反発は起きていますけど、その発端が朝日新聞の記事とは知りませんでした。 お金を貢がせるためというのが慰安婦問題とどう絡むのかよくわかりませんが、この問題、これからどういうふうに決着付くのでしょうね。 いろいろ教えていただいて有り難うございました。 良いお年をお迎えください!

  • googahaku
  • ベストアンサー率17% (43/242)
回答No.6

 誇張や、悪意はあっても、大筋では本当にあったと思われます。 「強制連行」は、国家総動員令がでて、日本の女学生でも命令が出れば 回避することは出来なかった。回避すれば罰せられた。  「粗食」「過酷労働」もガタルカナルやインパールの例を引くまでもなく日本国内でも例外ではなかった。「ヒロポン」を打って軍需工場での過酷労働に耐えていた。  「慰安婦」については「日本人」も「朝鮮人」「中国人」もいた。それが「強制連行」であったかどうかは推測が分かれているようだが、「日本人」も「朝鮮人」「中国人」も同じ条件。朝鮮人だけが特別ということはなたった。 URLに描かれていることは、ことさら朝鮮人の被害者意識を誇張ししているが、当時の日本人は、前線にあっても、内地にいても、状況は大同小異、今もって泣き言を言わない日本人が圧倒的に多い。  なぜ、当時は紛れもない日本人であった朝鮮人が、こんな泣き言をいうのか? 単に自虐的な日本人支援者のマゾ的独りよがりか?

noname#47444
質問者

お礼

>なぜ、当時は紛れもない日本人であった朝鮮人が、こんな泣き言をいうのか? まあ、お言葉を返すようですが、これに付いては私はそのようには思いません。もし、これらの慰安婦が正真正銘の日本人であれば、今、世界中から非難される事はなかった筈です。 他国の女性を、蹂躙したから問題になっているのではないでしょうか。 回答ありがとうございました。

noname#49020
noname#49020
回答No.5

「従軍慰安婦」という言葉が使われ始めたのは、40年余り前のことだと思いますが、いい造語ではありませんですね。  従軍記者や従軍看護婦と同列視してしまう誤解のもとになっています。 >これは事実ですか? ・・・正直いってわかりません。沖縄には売春宿、売春婦が存在していました。今から50年前に売春禁止法ができるまでは、日本国中どこにでもあり、多くの男性がコソコソする風もなく、女を買っていました。  中国戦線には兵隊相手の売春宿(兵隊は「ピー屋」と呼んでいました)があり、そこには朝鮮ピー(朝鮮人の売春婦)もいたことは事実だと思います(これについては多くの元兵隊に直接聞いて、確認しています)。  さて、ご紹介のURLの下の文章ですが、 「・・・若い女性達が「慰安婦」として戦場へと送られた。沖縄でも一個中隊に6、7名の女性が従軍していた。 彼女たちは日本軍の慰みになるばかりではなく、壕などでは危険な入り口付近に追いやられた。そして戦況が悪化して軍隊が撤退すると、食料も与えられず戦火のまっただ中に放り出され、銃弾の犠牲となっていった。また戦後終了後助かったものも、駐留する米軍に利用されるケースも各地で見られた。終戦後の彼女たちの行方、生存の有無はいまだにほとんど明らかになっていない。 」  以上のうち「強制的に戦場に送られた」、「一個中隊に6,7人」などについては「ホントかいな」と思ってしまうところがあります。  まあしかし、沖縄戦の後半は住民も軍も一緒に入り混じって、米軍に追い立てられていたところがあります。URLの文には誇張があるような気がしてなりませんが、丸々否定するわけにもいかないように思っています。   ということで、それに近いようなことがあったかも知れませんが、よくわからん、ということでご勘弁ください。

noname#47444
質問者

お礼

そうですね、どうしてもこの言葉には忌まわしいイメージがつきまといますね。 (従軍)も(慰安婦)もそれ自体もともとの意味はそれほどでもないのに、何故か救いようのない惨めな様子の女性達が浮かんで来てしまいます。 回答者さんの言われるように、戦後60年も経った今は、「正直言って分りません」というところが本当のところかも知れませんね。 回答ありがとうございました。

  • kantansi
  • ベストアンサー率26% (658/2438)
回答No.4

当該サイトは、半島と親密な反日の学会員が立ち上げてものですが、内容が出鱈目で見向きもされない為、2000年を最後に更新もされず、打ち捨てられているものです。 こんなサイトを見るのは時間の無駄です。

noname#47444
質問者

お礼

時間の無駄かも知れませんが、いろいろな事が分って勉強になりますので、時間があれば見ています。 また、こうして此処に質問すれば、教えていただけますし。 反日の学会員がいて、朝鮮半島と親密だという事も初めて知りました。 ありがとうございました。

  • buchi-dog
  • ベストアンサー率42% (757/1772)
回答No.3

インターネットで国立公文書館の所蔵史料を閲覧できます。 国立公文書館 アジア歴史史料センター ここで、キーワードを 「公娼 私娼」として検索すると、 【 レファレンスコード 】 A05020127200 「公娼と私娼」 という、内務省警保局が作成した資料を閲覧できます。この史料を見ますと、昭和6年現在で沖縄にあった遊郭(戦後の赤線)と私娼窟(戦後の青線)の数や場所が分かります。 なお、私娼窟というとなにやらおどろおどろしいイメージを字面で持ちますが、実際は公認の遊郭とほとんど同じ施設です。 上記のように沖縄には多数の売春業者と娼婦が存在しましたので、新たな「従軍慰安婦」などは不要です。

noname#47444
質問者

お礼

いただいた資料はあまりはっきりした画像が得られなく充分に理解出来ませんでしたが、私は、何か、沖縄の人はもの静かで、慎ましいという感じを持っていたので、そんなにたくさんの兵隊を受け入れるほどの施設があったという事に驚きました。 回答ありがとうございました。

回答No.1

嘘ですね。 沖縄にも遊郭・売春施設があったでしょうから、わざわざ作る必要もないのです。 強制連行虐殺調査団とありますが、その根拠も示されていません。 創価学会とありますから、人を騙すための方便ですね。

noname#47444
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 強制連行虐殺調査団とは聞いただけで恐ろしい響きです。 でも何の目的で、創価学会は人を騙すのでしょうか? もしこれが捏造だとしたら、あちこちで起きなくても良い諍いがおきますよね!

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