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studying philosophy seemed an impressively impractical thing to do
「哲学を勉強することは、とても非現実的なことだと見られていた」 studying philosophy seemed an impressively impractical thing to do でなぜ to do があるのでしょうか? なくても訳が成り立つようにみえてしまうのですが・・
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単に書き手が、これからやるべきことの一つとして意識しているからでしょう.誰がやるかは別問題として、誰か、多分、読者がやるべきことの一つのような意識があるからでしょう. そう言った意識がなければ、当然、to do は、なくてもかまわないと思います.
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- 06miyachan
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なるほど。でもね、次の語を知っていらっしゃいますか? >>to-do list(しなければならないことのリスト、やることリスト) つまり、「to」は、「すべきこと、特定の、選択的」といった意味があるので、強調の意味でつけているわけで、なくてもかまいませんが、あったほうがいいように感じられませんか? つまり、文法的にどうかというより、自分の感想をつよく述べたい気持ちがあるかどうかです。
お礼
たしかにdo listでも良いですね。 ありがとうございます。 ポイントなのですが、基本的に早い順にしています、すみません。 ありがとうございました。
- Ganbatteruyo
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アメリカに住んで40年目になりました。 何か私なりにお手伝いできるのではないかと思います。 #1さんのご回答の補足というか言い換えになります。 もし次のような文章を見たらこのto doがなぜしたの表現にしなかったのかわかるのではないでしょうか。 studying philosophy seemed an impressively impractical thing to advise. studying philosophy seemed an impressively impractical thing to talk about. studying philosophy seemed an impressively impractical thing to follow nowawadys. studying philosophy seemed an impressively impractical thing to appreciate. studying philosophy seemed an impressively impractical thing to teach today's youths on. studying philosophy seemed an impressively impractical thing to do in Greek for the Japanese people. どうですか? なぜ、to toが使われたかお分かりですね。 It seems to be an impressively impractical thing to xxxと言う表現であれば分かりやすかったかもしれませんね。 つまり、することが、なのか、教えることなのか、議論することなのか、区別したいフィーリングがあったと言うことになるのです。 他のことではなくただするということをこの文章では言いたいわけですね。 この区別の必要性を感じないか区別したいとは思わなければ、当然to doは必要ないということになり、追加しないと言うことになるわけです。 to doを書かなくてはならないと言うことではなく、書きたいと言う欲求があったと考えるわけです。 ですから、いつか、この文章を使いたいときに、哲学を弁することに関して教えるのは、と言いたいときにはm、toの後を省きたいとは思わないですね つまり、文法ではなく、何を相手に伝えたいのかを表現するための、フィーリングの伝達をするための表現だと言うことなのです。 ここにいくら文法を専門的に勉強しても表現力がつくかと言うと非常に疑問となるわけで事実既に証明されていますね。 参考になりましたでしょうか。 理解しにくいところがあったり追加質問がありましたら締め切る前にまた書いてくださいね。
お礼
ありがとうございます。 やはり文法だけでは限界があるのですね。 口語の文も積極的に勉強していきたいと思います。
お礼
なるほど、意識して伝えたいかどうかのフィーリングの問題なんですね。 ありがとうございました。