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聞き手や「聞く」という行為に関する理論ありますか
哲学、社会学、言語学、心理学、教育学などの文野で、会話における聞き手や「聞く」という行為、あるいは相互行為一般における相手の行為の解釈者に関する理論はありますか? あるいは、これらについて考える上でヒントとなりそうな理論でも構いませんので、あれば教えて下さい。
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いくつかのアプローチの仕方があると思うんですが、とりあえずこういうのがあるよ、と思いついたものを。 身体論の方では「聞く」というくくり方ではなく、「感応動作」あるいは「役割的同調」という観点から考察されているはずです。 わたしはここらへん、あんまり知らないんですが、市川浩『精神としての身体』とか佐々木正人『からだ:認識の原点』あたりをとりあえず手にとってみてください。これとか尼ヶ崎彬の『ことばと身体』にもよく引用されているスペルベルとウィルソンの本とかをみていくと、きっと参考になると思います。 この方面は認知心理学に詳しい方からもう少し適切なアドヴァイスがあるかもしれません。 言語哲学の方では、「会話」を中心に考察したのは、なんといってもポール・グライスです。代表的なものに『論理と会話』(清塚邦彦訳 勁草書房)がありますが、やっぱりこれを読もうと思ったら、サールを読んでおく必要があるように思います。 言語哲学は「言葉」の哲学ですから、基本は「発話」にあります。 それはもうこの系統の元祖といってもいいようなオースティンの『言語と行為』の原題「言葉をもっていかにしてことをなすか」に明確に現れている。根本にあるのはそういう問題意識なんです。 そこからサールの『言語行為』(なんで似たようなタイトルばっかりつけるかね。ただこっちの原題は"Speech Act" ですからその通りなんですが)がでてくる。 サールの言語哲学のアウトラインがつかみたかったら、『アメリカ言語哲学入門』(冨田恭彦 ちくま学芸文庫)がおすすめ。これ、サールからクリプキ、クワイン、デイヴィドソンあたりの流れを頭に入れることができる。ただこの本ではグライスにはほとんどふれられていません。 グライスは、サールの「言語行為」を受けて、会話のなかにある「協調の原理」(なんかグライスっていうと、こればっかりが有名ですが)をさぐっている。グライスはここで発話者だけでなく受け手の「了承」と「理解」ということを扱っています。 聞き手が「どう聞くか」ということを正面切って取り上げているものはグライスをのぞいてはあまりないかな、と思います(重ね重ねいっておきますが、わたしはあまり詳しいわけではありません)。 ともかく、G.H.ミード以降、コミュニケーションの開始は主体の発話ではなく、聞き手が受け取ってから始まる、ということは、あらゆる言語行為論の前提にあります。聞き手の存在抜きのいかなる発話もありえない。となると、発話行為を探ることは、同時に聞き手を問題にしていくということでもあるわけで、「聞き手」がいかに聞いているかを問題にした言語哲学というのはあまりないかな、と思います。いや、わたしが知らないだけかもしれませんが。 あと、まったく別の角度から、これは分類からいうとカルチュラル・スタディーズになると思うんですが、スチュアート・ホールのオーディエンス理論があります。 わたしはホールはここで質問に答えたときに、逆に質問者の方から教えてもらったんだけど、ホールのいう「オーディエンス」は、単なる聞き手というよりは、もう少し広い対象を扱っている。TVの視聴者とか、読者とか、メディアという媒体を通したコミュニケーションの受け手全般が「オーディエンス」です。 発話者がメッセージを記号化してオーディエンスに送り届ける。この記号化がエンコーディングです。そうしてオーディエンスの側がこの記号化を読み解く。それがディコーディング。オーディエンスがこのディコーディングをどの立場から行うかによって、メッセージの意味そのものが変容していく、というのが、ごくごく荒っぽい説明です。 わたしはまだホールはこれ一冊しか読んでないんですがJ・プロクター『スチュアート・ホール』(小笠原博毅訳 青土社)はおもしろかった。 さらに「読み手」という観点になると、これは受容者理論になっちゃって、これまたもうどっさりありますが、きっと質問者さんの問題意識とはずれてるね。 あと哲学の方に行っちゃうと、「聞く」というか、他者論になっちゃうかな、という気がします。フッサール、メルロ=ポンティ、レヴィナス、それはもういろいろありますが。 ただ、 >大学院で会話について研究しようと考えていて ということでしたら、こういうところで質問せずに、ちゃんと指導教官と相談してみてください。 あくまでも思いつきなので、あまり参考にせず、こういうのもあるべさ、ぐらいに受け取ってください。だけど一応、読んでおいて損はない本ばかりではあります。
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二つの文献及び人物を紹介いたします。 一つ目は、学問探究の立場からでも、その他の立場からでも、それを聞き、考察、恕することのできる文献、言葉とその起草者を紹介いたします。 http://www.geocities.jp/srkw_buddha/index.html 参照されたい項目をクリックしてください。聞くと言うことや、言葉について解説されている項目があります。 二つ目も同じように、対象者の立場を問わないものを紹介いたします。これは原文が外国語であり、日本語訳が出版されております。 http://www.msz.co.jp/book/detail/02197.html 人は(言葉を含め)事をどう受け取り我がものとするか、また、それらからいかにして自由になれる(転ずる)かが、心理的諸タイプと言う方法を用いて述べられています。臨床に基づいた経験から述べられたこれらは、過去から人々がこのことに関心を持っていたことをも、過去の文献を分析することで、心理的諸タイプの発見を示しています。 直接的に論文の参考にはならないかもしれませんが、私の知っているもので、ご紹介できるのはこれらです。聞き手ズバリそれを対象にした理論、文献と言うのは、どのようなものを想定されているのか。 例えばラジオやテレビと視聴者、ネットの配信と受信、親と子、世間と個人、又は異種生物(犬など)と人間、信頼関係の有無、秘密情報の共有、歌唱、物語、音声(言葉以外も含めて)、聞き手の存在する様々なシチュエーションが私には数限りなく想定され、これら様々なシチュエーションを「聞き手は」と言う観点で一つの基盤によって統合し、聞き手の在り様、立場、性質、条件などを説明できるようなものを勘案されているのでしょうか。 私が後半部分に述べたような雑多な表象はざわめく木陰のようなもので、平安と不穏が入り混じったようなものです。もしこのような表象や想いがふと過ぎったとしても、おおらかな心で、ご自身の探究を、ぶれない様に導かれてください。
お礼
回答有り難うございます。 宗教もユングも、自分にとってはなじみのないものですが、面白そうだなと興味はありました。 参考にさせていただきます。
おもいやることの大切さを、教わったことがあります。 様々なことを聞いて来ましたが、これがエッセンスです。 やさしいなら、他の事は知らなくてもいいです。特別な知識なども必要ありません。 それでも、、と感じられるならば、文献と人物を合わせてご紹介いたします。
お礼
回答有り難うございます。 私は自分の研究に関して参考にできそうな理論を知りたいと思い、今回の質問をしました。 言語学や社会学(エスノメソドロジー)を始め、会話についての研究は多々あり、またその中には聞き手について(付随的に)語られているものもあると思うのですが、自分が調べてみた限りでは、「聞き手」や「聞く」ということを主題として行われた研究はほとんど見当たりませんでした。 恐らく自分が勉強不足なだけで、そうした研究はきっとあると思うのですが…。 BABAaさんが参考にされた理論や文献を教えていただけると嬉しいです。
時間を気にしないと言う事は、人の話を聴く上での注意点として、挙げれるかもしれません。 もう一つは、相手が話しやすいように、受け手側になるというスタンスは大切なように思います。 人の話を遮ってしまわないよう気をつけ、石ころのようなものを適宜除いて、本音が出やすいように、やさしく居るのがよいように思います。 相手に束縛されず、自分もまたごく自然であるという状態です。 人は、相手を見て、話のできそうな人かを、本能的に見抜いている様に思います。少しでも不信があれば、回りくどい表現や、どこか隠した言葉ないしそぶりを見せるものではないでしょうか。 故に、本能的に怪しいと察知されない姿勢が、もっとも相手にとっても、自分にとっても自然な、灰汁のない、ニュートラルのような気がします。人はそれを見て、心のしょうげをはなれて、囚われのない心から接しよう決めると私は思うからです。 私が悩んでいるのは、自分が本能的に相手を見て、それで本音をさらけ出すかどうかを決めかねてもじもじしてしまうことです。 自分が、本能的な揺れ動きでなく、いつも自然だったら、ちゃんと、はっきりとものをいえるようになれるのかなと、思います。自分に違和感がないというのは、とても近い様に思うのですが、難しい。
お礼
回答有り難うございます。 私は、大学院で会話について研究しようと考えていて、今回この質問をしたのですが、BABAaさんがこの回答を述べるにあたって、参考とした理論や文献はありますか? もしあれば、ぜひ参考にさせていただきたいです。
- magga
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仏教に「真理の護持」や「真理の分類」等があります。 分類には 1・聞いた話 2・自分の能力で出来る範囲で論理的に考えた結果 3・実際に何度も確かめ確認したもの <ルール> 自分こそ正しいと思ってはならない 常に更新可能な柔軟な状態にしておく 根拠を持って考察する…など 実践をざっくりと書くと 1・根拠のある見解を作る 2・聞いただけで執着しない 3・真理の護持=範囲を守り、理解する範囲内でただそうだといい、真理に結び付けない。観ないこと知らないことを論拠にしてはならない。自分が真に正しいと思ってはならない。=を守る 4・他者の話を聞くとき自分の智慧によって根拠があると思う事だけを思惟する、それを言う人が誠意ある偏見無き慧のある人と思ったなら、引き続き真実の根拠を求め確かめるために受け入れる。 5・心が受け止めたことを論理的に熟慮して自分の見た限りの根拠で感動するまで間違いないと確信したら、真実を知覚できるように実践することが出来る。 6・もし疑念があれば清浄なる気持ちで急いでたずね智慧を目指しその信を確固たるものにしてその根拠を完全に役立てるためはっきり調べる ざっくりとですがこんな感じです。 実際はもっと厳密ですがw 自費出版の「仏法」を参考に書きました。 そのうちサンガ出版からちゃんと出るかもしれません。
- 参考URL:
- http://www.j-theravada.net/
お礼
回答有り難うございます。 仏教や、その他の宗教、宗教学についてはほとんど知識がないのですが、参考にできる部分がありそうですね。
- gigamaiden
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全然違うかもしれませんが・・・ 「聞く」ではなく「読む」ことに関する本ならば 近代読者論(外山滋比古著)があります。 これは、「書き手」ではなく「読み手」に焦点をあてた 理論や歴史の話です。 なにかの、参考になれば・・幸いです。
お礼
回答有り難うございます。 読者論というものがあるということは、聞いたことがありました。 話し手と聞き手の関係は、書き手と読み手の関係に類似する部分があるので、もしかしたら参考になるかもしれませんね。
お礼
回答有り難うございます。 言語学でいうと、やはりグライスになるのですね。 オースティンの『言語と行為』、サールの『言語行為』は読んだことがあるので、グライスやウィルソン&スペルベルの理論も見てみたいと思います。 私がオースティンやサールを読んだ時も、聞き手の影響も含めつつ、発話行為について考えられているものの、ではそもそも聞き手(の影響)とは何かということについては、述べられていなかったように思いました。 他にも、身体論、カルチュラル・スタディーズ、他者論と、さまざまなアプローチの可能性を提供していただき、参考になりました。 有り難うございました。