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心理学を過信している人の存在

に、イライラします。今は付き合っていない学生時代の友人なのですが結構優秀な大学にいるのですが、すぐに心理学の理論を場も考えず応用して、相手をわかったつもりになっちゃうんです。 上手く行かない子がいて、のですが、 「人に嫌われる時は、自分の方がその相手を心のどこかで嫌ってるからだ」という理論により 「貴方は彼女のことを好きだと思い込んでいるだけで本当は嫌ってるの」 なんて言いだすんですよね…。 また、あまりにも屈辱的ことを言われたので、ある子に対し怒ってたら、 「貴方は無意識のうちに彼女にコンプレックスを持っているの。だって貴方は・・だけどあの子は・・じゃない?だから貴方それが気に食わないんじゃない?苦手とする人ってさ、無意識のうちにコンプレックスを抱いているものなんだよね」なんていいだす始末。 で、そういう人に限ってその理論?を否定したら逆に怒り出すのです。 上のような社会心理学までならああ、いつもの薀蓄か。で済むのですが、 発達心理学(フロイトとかユングとか)理論を人間関係で持ち込まれた時は流石に「貴方私の育てられ方に何文句つけんの?」って思っちゃいました。 「無意識」なんて大抵解釈者による恣意的な意味づけだと思うんですよね。 (もちろん専門家なら別でしょうが) そういう人皆さんの周囲にいらっしゃいますか?どう付き合ってますか? またそういう理論に溺れる人の心理って皆さんなら逆にどう分析しますか?

みんなの回答

回答No.19

議論というのではなく、質問者さま、役に立のならもう少し書き込ませて戴きます。 学んでいるわたしが云うのもなんですが、理論(心理学)で「他人の心が解る」訳では無いのです、 一所懸命にその人を解ろうと努力した時、心理理論が少し役に立のです。 簡単に他人の心が解ると、言えるのは(多分)理論を見ていて、人間を見ていないのでしょう。 学んでいるから、相手(の心)を見通せるというのは、それこそあなたの言う通り盲信というものです。 そして、心理学を学んだから、性格が良い訳でも人格が優れている訳でもありません。 陸上競技の理論家が皆、記録を持った走りのプロでは有りませんし、 まして、理論と人格とは別物です、そして理論を学んで人格が変わる訳でもありません。 (人格や性格は本人が死ぬ程の思いをして努力しなければ、変わらないものです) 恥ずかしい話しですが、某心理学系の○○学会の会長がセクハラで訴えられたり 自己実現を目指した心理学の創設者同士が訴訟を起こしていたりと、そういった事例も数あります。 そしてあなたの返答しておられる精神科医の精神分析にも疑問符が付きます、 何人か知り合いがいますが、精神科医は身体(脳)と薬の専門家で、心のことは知らないことが多いのです、 メスを持ったからと言って、了解なしに施術するのは、やはり素人の証拠です、 依頼をもらって相手の了解と納得の上に、施術するのがやはり一流のプロという者です。 あなたの中にも、権威に対してどこか盲追してしまう部分があるのではないかと思うのです。 おっと又横道に…話を戻しますが、お友達の彼女にとってあなたはライバルなのでしょうね。 そして、本人(お友達)の方が意外に大きな心の傷を抱えているのかも知れません。 あなた自身が、お友達に対して「あなたも寂しいのね~」と あなたにちょっかいを出す、いえちょっかいを出さざるをえない思いをしている、 お友達の気持ちを少し解って上げることで、相手のちょっかいも、可愛く思え笑って許してあげられ知れませんネ。 面と向かい合っても理解できている自信は在りませんので(笑) ましてや、文章の上ですので読み違い思い違いが沢山あるかと思います、 ユーモアではぐらかしつつ、何故、こんなことを言っているのだろうかと(決して上からの目線ではなく) 相手を理解してあげることで、少し対応がし易く成るのではないかと思います。 そして、たかが心理学です、余り気にされないように(^o^)丿

回答No.18

すみません、肝腎の一言を忘れました。 或る専門家のかたがコラムのなかで仰っていたことばです。 『的の外れた分析ほどストレスになるものはない』 これに付け加えさせていただけるなら 『時をわきまえない分析ほど~』。。。 まあしかし「心理学を過信」してはいけないというのは結局、素人も専門家も同じことなのでしょう。 素人は、その分析が真っ当なものなのか、そもそも何が心理学足りえるのかもよく分かりませんし、専門家は軽率と慢心に尚更、用心しなければならない。 冗漫な投稿を失礼致しました。

回答No.17

>思い込みが先走って本人や周囲の人が「怪我」をしそうな場合には口出しするかもしれませんが。 怪我をさせられた過去を持つ者です。(笑) 誰か言ってやってほしかったですね。「専門家」の名に恥じない人に。(苦笑) (ANo.4様、アドバイスのなかのおことばを横取りした失礼を御許しくださいませ) 自分の場合、言われた時に心外とは思ったんですが、どうも相手は、良い事をしていると信じての発言だったようすなので決して、こちらから抗議らしい抗議もしなかったんですが、ただ、自分としては、そんなつもりはないということだけ言いました。が、始末の悪い事に第三者から相手方に対して厳しいクレームが入ったんですね。それを切っ掛けに事態が重大化してしまいました。 まあ自分などは確かに門外漢ですけど、そっち(専門)方面の立場にいる者だ!と常々宣言する以上は、むしろ「素人」です、と名乗る人以上に心しなければならないのじゃないかと…。 これって、この道に入るに当たっての基本的心構えとして最初に申し渡されているのじゃなかろうかと勝手に想像していたものですから、面食らうと同時に自分自身もプラスイメージとは言え勝手な相手像を描いていたのだなあとガックリしたものでした。そのことを謝罪もしたのですが相手方からは、ついに一度も謝罪のことばはありませんでした。 2度3度と立て続けにガックリしたわけですが、これも己の眼力のなさゆえです。近頃になって、よく分かりました。 ちょっと似たような内容の過去質問です。きっと御参考になると思いますね。 http://personal.okwave.jp/kotaeru.php3?q=1349289 御質問者様の場合、もとが御友人ですし、もしかしたら御友人自身が心理学徒としての自覚に乏しいことをお気づきでないのかもしれませんから、そのへんを(怒り出すと、あとが面倒ですから) 『~じゃないのかなあ?私はよく知らないのだけども、心理学関係の人って普通そういうやりかたをするものなの?』 とヤンワリ(ここ大事!!)疑問形で提示するとか。 自分の場合「不倶戴天の敵」「きのうの友はナントヤラ」というふうな幕切れになってしまいましたが、御質問者様は、でももう付き合っておられないのですよね。まずは御無事でよかったじゃないですか。 今回の、この質疑でも伺えますように、また参照URLを御覧いただいたら御分かりいただけましょうが要するに 「心理学徒・心理学者もピンキリ」だということです。お互い人間ですから、いろいろ種類があると。 大学教授もいれば、それこそ街中のカルチャーセンターのカウンセリング講座とやらを受講して「心理学徒」を名乗っている場合もあるでしょうし。(正しいのかどうかは存じませんけども) わきまえがある人もない人もいるということになりましょうか。 >そういう理論に溺れる人の心理って皆さんなら逆にどう分析しますか? その理論が真っ当なものかどうか、という前提が、まず問われてくるかと思うのですが、他の御回答者がたよりも的を射た見解を出す力は当方ございませんので 「溺れる」ということの裏に「依存」がかかわっているような気がする、とだけ申し上げます。 そして「依存」は何ゆえに引き起こされるのか。

参考URL:
http://personal.okwave.jp/qa1349289.html
noname#25310
noname#25310
回答No.16

#6で回答させていただいた者です。 #15の方が、心理学は統計学と書かれていますが、それは違います。 心理学は統計学ではありません。占いは統計学ですが。 そもそも人間を分類してパターン化すること自体が、とても無意味なことなのです。 性格パターンなどである程度のことは当たるかもしれませんが、人間の本質はそんなところにはありません。 だから私はエニアグラムも占いもまったく相手にしないという立場をとります。 私の友人にもエニアグラムのカウンセラーをしている人がいるのですが、その人のHPを見ても「私はタイプ4だから繊細で芸術的で傷つきやすいの」と繰り返し書かれています。 自分で「普通の人と違う」という人ほど凡庸であるといういい例です。 それと同じで、カウンセラーになりたがる人のほとんどは、カウンセラーに一番向いていない人種です。 カウンセラーに一番求められる資質は、悩みの本質を見抜き、抜け出す方法を知っているということです。 けれどエニアグラムを始めとして、催眠や心理分析などほとんどの精神療法は、人間をパターン化して「あなたはこうだ」と決め付けるところからスタートするので、悩みの本質を見抜くことを不可能にしているのです。 ちなみに私自身、心理療法士をしていましたが、なりたくてなったわけじゃありません。 自分の問題を解決するための勉強をしていたら、自然と求められて療法士になっていたのです。 私のやり方では人間をパターン化はしません。これまでにわかっている心理学をもちろん利用しますが、そのクライアントの悩みはその特有の悩みとして、本質を探ることで、新たな発見があるのです。 それによって治療者自身が成長することができるのです。 最初から「あなたはこうだ」という決め付けをしたら、治療法自体が進化しないんです。 エニアグラムも精神分析も、そのパターンの中だけで答えを出すのは無理ですし、無理やりあるパターンにはめこもうとすると、クライアントは絶望します。 質問者さまがご友人に反感を持つのと同じです。 私自身、たくさんのクライアントの悩みを見てきて感じるのは、本当に人間の悩みはさまざまで、人の思考もさまざまです。 既存の心理学のように「こういう性格だからこういう育ち方をした」と単純に言えるものではありません。 だから私は頼まれない限りは人を分析したりなぞしませんし、その人の悩みや思考の由来を憶測するような無意味なことはしません。 専門家ならば信用できる、既存の心理学ならば信用できるということ自体が妄信であるという意味がおわかりいただけたでしょうか。 参考になさってください。

miekohitom
質問者

お礼

そうですね。エニアグラムで無責任なことを書くわたしもまた 彼女と同じ穴の狢なのかもしれないですね。

noname#22294
noname#22294
回答No.15

こんにちは そもそも心理学というものは、こういうケースだとこういう考えや行動になることが多いという統計学に過ぎず、それに当てはまらない人だっていくらでもいます それを理解しないまま心理学を学んだ人間というのはその様になりがちですね 宗教と一緒です。自己満足で、それが絶対と信じ過ぎるが故に反対意見など受け入れません ほんとのプロならそこをちゃんと理解した上でアドバイスをくれるのでしょうが 『あなたの言ってることは血液型占いや星座占いのレベル。客観的説得性を持たせて理論的に説明して下さい』とか言えば、中途半端な知識しかないような相手ならば諦めるかもしれませんね

miekohitom
質問者

お礼

そうですね。はっきりということがいいのかもしれません…、

回答No.14

お返事を有難うございます、エニアならタイプ9のHarryです(笑) お友達は、タイプ8ではないでしょうね~(おおこわ~) No13の方のアドバイスで、ちょっと気に成ったので蛇足(いえ補足)を… 心理学をやっている方に変人が多いとのことですが、 うちのカウンセリングの師匠から、カウンセリラーに向くのは、 「心に傷を持っていて、それを克服した人」だと言われたことがあります。 だから心理学をやっている人間は皆どこか変です。 ただ、実感としてですが、五体満足な人間は沢山いますが、 語弊のある言い方かも知れませんが、「心の五体満足」な人間には、未だ逢ったことがありません。 逆に云うと、どこか心に傷を抱えているのが、(普通の)人間なんだなぁと、思っています。(笑) 傷を抱えていても、自分の中で、何とかバランスを保って居られる人が、 「五体満足な心をもった人」じゃないかと、考えを変えつつあります。 心理学の本来の目的は、自分自身の傷と心の歪みを見つけ(自覚し)、 修正して行くことにあります。(友人や精神科医のように)頼まれてもいないのに 人の傷を勝手に分析し、(本人の納得なしに)押し付けて来るのは、 大変に失礼なことですし、余りひど過ぎるのはハラスメント(虐め)だと思われます。 「論語読みの論語知らず」が多いのは残念なことです。(←何様!と怒られそうですが…) 話題を戻しますが、要は、(お友達は)自分の優位性を証明したいだけですから 軽く表面上だけで良いので、(あなたのプライドはちょっと横に置いて) 認めてあげてたら良いと思いますよ~  そして、相手があなたを分析して「こうこうだから~」とやり込め出したら 「だからよ~ねぇ」とか「なんでかね~(私解らな~い)」と逃げて下さい。 「三十六計逃げるが勝ち」とか「触らぬ神に祟りなし」とことわざにもありますから~ マジメなあなたが、まじめに対応したり落ち込んだりするから、相手も頭に乗るのです。 当分の間、どれだけふざけて対応出来るかをあなたのテーマにして、 適当に対応してやって下さい。その内、相手も諦めますから ではでは、“ふざける”ことに頑張って下さい。(^o^)丿

miekohitom
質問者

お礼

タイプ4の特別でありたい人のような気もします。本人に聞かないと判りませんが。競争にはなりますが、根は暖かくていい人なんですね。やな奴だったら無視しますもん。がんばってふざけて論点をずらします!。

回答No.13

私も大学で心理学、特に精神分析学(フロイト)を扱うゼミに属しています。 質問者様のご友人の様な、心理学をすぐに持ち出してくる方って本当に厄介ですよね。 私のゼミの教授はかなりそのタイプで、学生の些細な発言や反応をすぐに「精神分析学的」に分析して、ときには屈辱的なことまで言い放ちます。 あなたは父親に愛されてない人だ、とかなんとか・・・。 「心理学」という学問的見解を持ち出されては、言われたほうはぐうの音も出ませんよね。 ただ「心理学」を盾にして相手を傷つけることまで言っていいとは絶対に思えません。 私の場合は相手が教授なので正直反論も何も言えないのですが、質問者様のご友人の将来のことも考えたら、「そのような言い方は相手を傷つけるよ」ということを伝えるべきではないでしょうか。 また主観ですが、心理学を勉強している人は自分も何らかの心理的・精神的な問題を抱えていることが少なくありません。 実際私のゼミも"変人"が多いようです。 ご友人ももしかしたら、他人を自分の都合のいい理論で分析することで、自分を守ろうとしているのかもしれないですね。 あまりアドバイスにならない回答で申し訳ないです。

miekohitom
質問者

お礼

精神科医にも精神分析をされ、全然関係のないときにも貴方はお勉強が好きだと思っているんだけど、心のどこかでは勉強がきらいで、抑圧が云々って言われてました。私は数学が好きでたまらなかったんですが、本当は嫌いだったんでしょうか?お勉強を禁止されていました。すきとか嫌いが判らなくなってしまいました。医者は権力があるから厄介です。ゼミのなかだと教授もそうですよね。大変ですよね。傷つけるよと言いたいのですが、彼女は学年が上で、人脈も持ってるので、言いづらいんです・・・。

回答No.12

まだ〆切っていないようなので、参加させて下さい。 一応心理学なるモノを15年程勉強して来ました、ただ心理学といっても 結構広いもので、一応臨床やカウンセリングを中心に学んでいます。 書いてあることから判断しますと、この(心理学を過信している)友人のやっていることは、 心理学を道具にしてあなたを“やっつけ”ているに過ぎませんね。 TA(交流分析)で云うゲームの状態です、自分の正しさを証明する為に (多分あなたには解らないだろうと)心理学の理論を使っているだけで、 理論の正しさとか間違いとかに、余り深い意味は無いように思われます。 相手は、(表面上ですが)自分は理論的に正しいことを言っているのに、 『何故あなたは感情的に怒るの?(バカじゃない?)』云うことを証明したいだけなのですから 感情的に応じないことが、大切です、 『(感情を相手に見せずに)ふーんそれで~』とか否定せずに、受け流すか (ユーモアなどで)話題を換えてしまうことで、相手の意図を、かわす事が出来ます。 心理学の理論なんて、所詮人間相手ですから (自然相手の物理法則とは違い)100%当たることなど、到底在り得ません。 こういう環境だったら、こんな風になるみたいなことは、確率の問題のようなもので、 理論は全体的な傾向は計れても、必ず個人に当てはまるモノではありません、 地図と実際の場所は、(当たり前ですが)まったく違う物です。 人間を理解する為の学問が心理学ですが、 人間を見ていない理論だけの心理学は、人を傷つけることくらいにしか役立たないですね。

参考URL:
http://www2.ocn.ne.jp/~oshima/ta.htm
miekohitom
質問者

お礼

やっつけてる、そういうの、感じます。年が近い先輩なのですが、競争になるんですよね.。。。で、私が失敗したらうれしそう。比較的お勉強が得意な子なので、意地悪に学問的な理由付けをしているだけかもしれません。TA見ました。エニアグラムは知っていましたが、カウンセリングなんかもまた自分が傷つけられるような気がして心理学不信でチャレンジできません。ちなみに私のタイプはタイプ6でした。

noname#62566
noname#62566
回答No.11

人間の世界は、すばらしいものです! 誰ひとり、同じ考えや容姿がないですから「何々学」とあるのはよく似た考えの人の学問と思えばそんなことでは悩まないと思います。 みんなは自分の考えに方について来てほしいと思うだろうがそれは無理です。だいたいよく似てるから合わせようと思えばどんな人でも付き合えるはずです。 生き物は同じ物同士が集まる習慣があります。だから群れが出来る(仲間が出来る)と思います。 そうゆう仲間から(場所から)逃れるのは、そんな仲間から離れることが一番手っ取り早い話ですが殆どの人は友人をなくすると思いで離れるのが怖いから出来ないのです。 心理学の考えの答えになりますか?

miekohitom
質問者

お礼

離れる離れないの部分は、離れたくても同じゼミとか同期とかで 離れられない事情があるのです。 皆が違う、ですまされる程度ならいいですが。。。 ありがとうございました

回答No.10

すみません・・私も、ついつい人間観察と思索をしてしまいます・・。 自分と他人(主に自分につながっている人)が、なるべく気持ちよく生きるためには どうしたらよいものかと試行錯誤しているのですが、その参考にするためでしょうか。 頼まれもしないのに人を分析して決め付けたりしないようにはしている(つもり)なの ですが、今後ますます気をつけます(笑)。前置き長くてすみません。 私は心理学の教育を受けたことがないので、以下は、心理学ではなく、 私が、思索をしがちなときの私自身を観察した結果をもとに書きます。 そのような方は、 1.人を(主に悪い方向に)「決め付ける」ことによって安心したいのではないでしょうか。 人の悪い部分を掘り出して(でっち上げて)自分の優越感のエサにしているといいます か・・そうすることによって自分の脆弱な自尊心(もどき)を保っているということも 考えられると思います。あるいは、一人の人間を「いろいろな面を持ったなまなましい 生き物」として受け容れることができず、人間の「取り扱い説明書」を勝手に作ることに よって自分を守っているということも考えられると思います。 2.人から承認されたいのではないでしょうか。   認められたくて褒められたくてかまってもらいたいのではないでしょうか。   幼児が母親にしてもらうようなことを、大人になっても不特定多数の人に求めてい  るのではないでしょうか。承認を得るための道具(言葉が悪くてすみません)として   質問者様を使っている(つまり質問者様に甘えている)のではないでしょうか。   少し素直な人なら、素直に「褒めてください認めてください愛してください」と訴え ることができると思うのですが(さらに素直な人は、素直に自分と他人を信じることが できると思うのでそうする必要もないと思うのですが)、例のような方は、承認しても らいたい気持ちを表現する方法が分からないか、あるいは分かっていても怖いか、ある いは、隠しておきたくて、歪んだ甘え方をしているようにも感じます。 いずれにしても、自信のなさゆえのマスターベーションのようなものだと思います。 余裕があれば、お付き合いしてさしあげるのも面白いかと思いますが、 その方(+その周囲の人たち)の問題を解決するには、その方が、自分の自尊心を養う 方法や、自分の不安や恐怖と付き合う方法を、自分で見つけるしかないように思います。

miekohitom
質問者

お礼

そうかも、安心したいのかも、元々私が失敗をするとうれしそうな顔をしたり、しますし。名前が知れている大学なので、プライドと、自分の悩みと、自尊心と挫折感のバランスが取れていないのかもしれません。

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