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笑う時の発音と言葉について 「だははは」の「だ」?とか。

tesutoo3の回答

  • tesutoo3
  • ベストアンサー率27% (13/47)
回答No.3

>「ダハハハハ」とか「ブはははは」とかの「ダ」とか「ブ」とか「ガ」とか(中略)実際にはあまり使われないと思われますし、発音上自然ではないように思われるのですが、なんでそのような言葉がうまれたのでしょうか? 質問者様は実際にダハハとか笑う人がいると 本気で信じていらっしゃるんですか? これは新聞記事や漫画などで笑い声を強調するために使う手法です。 例えば、人が多く賑やかな様子をよく「ワイワイガヤガヤ」と表現しますが、 本当にワイワイガヤガヤなんて言ってる人はいないのと同じ理屈です。 No.2の方の回答を読んで気づいたのですが、文章の中の意味の無いスペース乱用も気になります。 >「ふへほ」は かなり一般的です。 >それに けっこう そのへん発音自体は世界的に共通しています。 >とても ほんとうには笑っているとは思えません >なぜ人間だけが 心から 腹から 体中で 笑ったりする生物 ちゃんと「。」は使っているのに、「、」をスペースに置き換えているのって不自然ですよね。

arayata333
質問者

お礼

「ダハハハハ」という発音で笑う人はいないわけではないのですが、tesutoo3様の回答で、「ダ」については、なんでそのような発音の仕方で笑う人がいるのかは かなり明確になったようです。 つまり、新聞記事や漫画などで笑いをそのような言葉で強調表現しているのを見て、わざとおどけてそれをもじって「ダハハハ」と言って受けをねらってるだけなのだ。という点が明確となったようだということです。 おそらく、まさにそのとおりなのでしょう。 なお、「スペースの乱用」については、NO2の方のご指摘に詳しく補足回答の文を書かせていただいておりますが、 迷いと急ぎの用が重なって あのようになってしまったとはいえ、大いに反省すべき点にも気付かされています。 tesutoo3様にも 重ねてご指摘へのお礼を述べさせていただきます。 ありがとうどざいました。

arayata333
質問者

補足

たとえば、「デへへへへ」の場合、かなり照れ笑いという感じがして、なんとなくですが解かる気がします。  でもまだ、「そこの新聞取って」と言われて「はいイチゴね」なんていう会話が無いように、そのように正確に何かが解かるというふうには感じません。  なんらかの人間特有の「感情」をその笑いの言葉で表しているとして、それが多くの場合はっきりしないので、そのへんの答えを求めてアンケート質問をしています。  ですので、そちらの見解も、おおいに参考になっています。 「ダハハ」の場合は「デヘヘ」と比べて、ほとんどそこらへんの「感情」が解かりかねていたからです。  「デ」が強調だとすると「へへへ」の場合は、自慢げに笑う時が多いですから自慢の強調ということになってしまいますが、 「デへへ」という時の「〇へへ」自体、自慢ではなくすでに照れ隠しの「へへ」なのだとも言えるような気もしますし、そこから自慢と照れ隠しとは人間の「感情」の中でどこか結びついているのではないか という推論とかも生まれてきそうですね。 でも「ダハハ」となるとそうしたことが解かりかねていたところなのです。  やはり、多くの人の見解を聞いてみるものですね。  おそらく人間は 一つの「感情」の要素だけでなく多くの「感情」の意味合い、あるいはニュアンスを総合してその上でその場その場に笑いの命を宿しているのでしょう。 私にはそう思えるんです。 それで より多くの方の「感じ」かたとか 考えとかをお聞きしたかったわけです。 そこから新たな多くの類推を追いかけてゆくことで「笑い」という人間性に深く根ざした、また脈動した命のより価値的な探求ができるかもしれないと考えたからです。   ここでは言葉遊びの意味もありますが、 そのような真剣な意図もあったわけなのです。 やはり、これは国語や哲学のカテゴリーからのほうが専門的な答えが出てきそうなところですね。 でも、これってそれだと「ダハハハ」は永久に謎のまま(笑)だったかもしれないですよね。 大勢の人が サルではないはるかに進化した生物としてこの大地を生きているのですから、学者様だけが「笑う」わけではないように、庶民のほうが その知恵をもっていたりもするんですよね。 すみません、お礼の方を先に書いてしまいましたが、 たいへん忙しい中で書いているものでまとまった時間がうまくとれずに順序が逆になってしまいました。 いくつか続けて笑いに関するテーマの質問を続けようと思っています。 次からは、本質的なテーマに入ってゆけそうです。 また何か庶民的なご意見がありましたら是非参加してください。 よろしくお願いします。   文章のレイアウト、全体のスペースの中のデザイン、ネット文のあり方を今一生懸命自らに問い直しているところです。 がんばるから失敗するとも言えますが、そういう失敗はきっと進歩を生むと自分を自分で信じています。 というか 落ち込んでいても意味ないですからそう思い、さらにがんばっていきます。 ここでも お礼を言わせていただきます。  ありがとうございました。

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