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偏諱授与の風習
偏諱授与と言うと主君が臣下に与えると言う印象が強いものの、江戸時代を見てみると譜代筆頭の井伊家は将軍の偏諱を受けておらず代々継字の”直”を名乗っています。将軍家の加冠役なので当然と言えば当然なのですけど、将軍家の世子は勅旨からは加冠を受けていないと言う事ですよね? そういう一方で外様大名は松平の称号と共に将軍の偏諱を受けるのが当たり前みたいになっています。羽柴の称号と異なり上杉家はそういうのを受けていないのですけど、摂家や外様には偏諱が与えられているのに譜代でそういうのを受けているのは榊原と柳沢くらいで一台過ぎるともらわなくなっていますよね?
- hakuzomon
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質問者が選んだベストアンサー
「江戸時代には、将軍が偏緯を与えるのは御三家・御三卿・国持(親藩を含む。国持の一部を除く)、摂関家であった」 ということになっていた、と言う要領を得ない回答になります。 「譜代大名には偏緯を与えないのが慣例だった」ということですね。 井伊家は、大名としての格付は「城主」であり、国持の待遇ではありません。官位の面では、「正四位上 中将」に至った例が複数あり、島津家の下、伊達家の上というくらいの非常に高い扱いを受けているのですが。御三家・御三卿の下に位置する越前松平家や会津松平家も、中将に昇任した例は多くありません。
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- hazu01_01
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大名に対しての偏諱などはその家の家格だとしか言いようがありません。 大体が、その家の初代から3代目くらいの当主において家格が定まってそれが続いていくだけです。 なお、家康は「康」を意外と多くの家臣に与えています。その後、その家の通字となってしまった家も有ります。 それも家格となります。
お礼
詳細な参考文献を提示して頂きありがとうございます。
補足
現代でも親子三代進学校とか、親子三代ミスなんとかとか称したりするのも家格にあやかった言い方なんでしょうか?今は実力社会になってはいますけどね。
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お礼
井伊家は城主であって国持ではないという指摘に専門的な見識を感じました。大変勉強になります。
補足
誤字脱字がありました。勅使からの加冠を将軍家は受けていない。譜代で徳川家から偏緯を受けたのは榊原と柳沢ぐらいだと思うものの、一代限りの印象が強いとの内容にしたつもりです。 越前と会津が中将に昇任した例は多くないという指摘は大変知識として深いものを感じます。